駄菓子と微エロに共通する寸止め感「だがしかし」

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ライター・編集者の飯田一史さんとSF・文芸評論家の藤田直哉さんの対談。今回はアニメ版が放送中の『だがしかし』について語り合います。

『だがしかし』は『ピューと吹く! ジャガー』リスペクト作品?



飯田 『だがしかし』はコトヤマ作、週刊少年サンデー連載の駄菓子もののギャグ(?)マンガで、2016年1月からTVアニメが放映中です。竹達彩奈さんがヒロインのほたるちゃんを演じているのですが……エロい。

藤田 ギャグマンガと、美少女ラブコメの融合ですかね。で、駄菓子蘊蓄モノでもあり、食事マンガでもある、と。

飯田 流行りの食マンガものの一種で、主人公の男の子が駄菓子屋の息子(本人はマンガ家志望)で「後を継ぎたくない」と言っているところに駄菓子メーカーのお嬢様であるほたるちゃんが現れて、駄菓子のすばらしさを毎回説き、なんとか後を継がせて父親の方をメーカーに引っ張り込もうとするお話……ですが「後を継ぐ」云々は基本、どっか行ってますね。

藤田 ギャグの方向性や絵柄などから、おそらくうすた京介先生の『ピューと吹く! ジャガー』にリスペクトがあるのではないかと推測します。あれも、笛職人の親父と、息子が継ぐか継がないか、という枠を利用して、物語はどっかいっちゃいますからね。
 父親がその世界では「伝説」的な人で、「その世界」に詳しい誰かと主人公そっちのけで盛り上がったり、主人公を「その道」に進ませようとする、という部分は共通ですね。ただ、『ジャガー』とは違って、『だがしかし』は美少女が来る。そして、蘊蓄はリアル寄り。『ジャガー』には蘊蓄はほとんどないし、美少女の造型や服に対するこだわりも薄いので、そこが差異。

駄菓子へのノスタルジーを利用……って「少年マンガ」としていいのか?


藤田 これに出てくる駄菓子って食べてました? ぼくは遠足のときとか、おばあちゃんの家に行ったときに食べていた記憶がありますが。

飯田 けっこう食べてた記憶あるよ。うちのじいさん、駄菓子屋じゃないけど食品扱う商店やってたし、小学生のときはたまに駄菓子屋行ってたので。

藤田 そうですか、この駄菓子のリアリティって、どの世代まで届くのかなぁと思っていたのですが、地域差とかもあるのかもですね。この作品も、場所が首都圏ではない。

飯田 駄菓子って「昭和」というより「幼少期」のアイテムなんだなと、この作品に出てくる駄菓子がいまだ現役で発売中であることを知って感じたけども。

藤田 ええ、今でも売ってますよね。コンビニとかでも売っていた覚えがありますよ。
 グミの長いお菓子とか、あったなぁ、と思い出しました。食うことそのものよりも、遊ぶことがメイン(というか、遊ぶということを組み合わせることで、量の少なさをカバーする)駄菓子の戦略自体は面白いですよね。
 ノスタルジィを刺激されるところがあるのだけれど、割と現代風で都会的(作中でそう表現されている)な美少女が熱狂的な駄菓子マニアという、キャラクターもの、ギャップ萌えものでもありますよね。その設定で、時代の感覚が割と屈折する。

飯田 駄菓子はもともと江戸時代から食べられていたものだけれども、現在に通じるものとしては戦後に発達したものがほとんど。で、今も昔も値段が安くて、幼稚園児や小学生でも買えるのがポイントですが、『だがしかし』は「少年サンデー」といういちおう少年誌に載っているのに少年目線ではなくて駄菓子の扱いがどちらかというと「なつかしいもの」目線。「少年マンガ」というくくりが読者の年齢というより主人公の年齢による区分になっていることをはからずも改めて感じさせるものになっている(日本のコンテンツではあらゆるところで似たようなことが起こっている現象だけど)。

駄菓子と微エロの寸止め感の共通性


飯田 『ダンジョン飯』と対比すると、出てくる食べ物は実在の駄菓子で、舞台は現代の日常。作中でもネタにされているけど、YouTuber的だよね。身近なものを使ってバカをやる。「あるある」というか「あったあった」感。それに微エロが加わっている。
駄菓子の「満腹にならない」寸止め感とこの作品における「ちょっと嬉しい」というていどの微エロ度合いは近い。「こどもの恋愛」に徹しているというか、小さいころにどこか願っていた「こどもが考える幸せのイメージ」に似ているんじゃないか。ヒロインが巨乳なのは、これは母親の代替物だろうとw 父親は出てくるけどなぜか母は出てこない。母の不在とほたるちゃんの巨乳の強調は明らかに関係している。

藤田 寸止め感はそうでしょうねぇ。人間も駄菓子みたいというか。……主人公がなぜかマンガ家志望で、最初のエピソードで、女性キャラに願望が入りすぎていて童貞くさいと父親が評するという謎のメタ視点のエピソードで、言及されていますね。リアルなものとして描かれていない、と、実質的に最初に宣言しちゃってる。

飯田 駄菓子という、ほかのグルメとは違って「本物志向」「高級志向」が不可能なものを選んでいることと、そのメタ発言はつながっている。「リアルで成熟した女性など選ばない」という価値判断とパラレル。

藤田 本物の食事よりも、遊びっぽい食べ物のほうが好きというのとも、パラレルかもですね。お菓子とか、ジャンクフードが脳に直接作用する感じと、萌えの感じって、多少似ている感じはしますよね。

飯田 で、出た?! 藤田の脳内報酬系操作理論!!!(※くわしくは『文化亡国論』などをお読みください)

藤田 似てるでしょw

飯田 かくいう僕だってゴスロリみたいな服着てパースのきいた構図でポーズを取るほたるちゃんは好きだけれども……。

藤田 あの服装や絵が、メインにたいして、余分な遊びが多いという駄菓子の在り方とも、ギャグマンガと言うもののありかたとも関係するわけですよね。メインの物語よりも、細部や脱線こそが、ギャグの命ですから。
 まぁ、もっと言うと、生殖なり種の再生産なりの「目的」から逸脱する部分が、性なり恋愛なりには、ありますよね。「駄菓子」の目的逸脱性と、「萌え」の、種としての目的逸脱性って、似ている感じはしますよ。単に生存を維持するためだけなら、なくてもいいわけですから。
 ところで、女の子をかわいく書く能力と、ギャグの能力って、反比例する傾向があると勝手に思っていた(例、漫☆画太郎)ので、この作品は配合がちょうどいい感じでした。

飯田 画太郎先生は女の子描く画力あるよ!w

藤田 画太郎先生はババアの方が魅力的なのでw

飯田 いやあ、江口寿史みたいに両立させた作家もいますけどね。
『だがしかし』は、ほかのグルメものなら食に関するウンチクは本物らしさとか一流志向につながるけど(あるいはそれを利用しながらギャグにする)、駄菓子のウンチクはいくら積み上げても笑いにしかつながらない。偶然かもしれないけど、それを見つけたのが良かった。

藤田 笑いと言っても、大爆笑まではいかないですよね。「くすり」とか「あるある」程度。微笑い。駄洒落、とも違う。駄ギャグ(?)。

駄菓子ネタが尽きたらどうするのか? 『美味しんぼ』に学べ!!!


藤田 作品が解体してもいいからギャグに突っ走る、という内容ではない。毎回、ちゃんと一つぐらいの駄菓子が出て来て、紹介されて、「へぇ」ボタンが押せる感じ。そこは律儀。『クッキング・パパ』を思いだしましたw

飯田 ネタにできる駄菓子があるかぎりは続けられるんだろうなあ。スタイルが確立されていて、新キャラがほとんどまったく出てこない。いさぎいいくらいほたるちゃんの魅力と駄菓子ウンチクに頼っている。

藤田 逆にいえば、駄菓子が尽きたらどうするのか、という問題もありますが…… 駄菓子は、そんなにあるんだろうか?w

飯田 ないでしょう。むりに引っ張らなくていいよ。

藤田 同じ駄菓子も、角度を変えればいいわけですが、駄菓子ネタが尽きてきてからが、また新展開してきそうですねw 無理に頑張れば、ラブコメ的なストーリーも発展していけるし、マンガ家志望のエピソードも広げられる…… 『美味しんぼ』は、山岡と栗田さんがくっつくの、43巻までかかってますからね。そっちに行く余地もある。究極の駄菓子vs至高の駄菓子で、親子対決してもいいし、子供が生まれたり、会社を乗っ取られるとかのエピソードが、80巻辺りで展開するかもですよw

飯田 そして福島に行って鼻血を出して連載終了……