「マッドマックス 怒りのデス・ロード」ワーナー・ブラザース映画提供
全国ロードショー公開中

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ツイッターの検索窓に「マッドマックス」という言葉をいれると、「マッドマックス つまらない」と、関連ワードが出てきます。
しかし実際に個々のツイートを読んでみると、「マッドマックスと比較すれば●●はつまらない」とか「マッドマックスをつまらないと感じる人なんているのか」といったニュアンスの、絶賛の感想ばかり出てくるのです。

そんなわけで『マッドマックス 怒りのデス・ロード』に興味を持ちました。子供のころミニカーで遊んだこともない私にとって、本作が人生で初めてのアクション映画であり、シリーズの過去作品はひとつも観ていません。

しかし「過去作品を観ていなくても楽しめる独立した一編」「アクション映画に興味が持てない人にこそ観てほしい傑作」「男性にはもちろん女性にも楽しめる、フェミニズム的な視点のある映画」と、友人たちが口々にすすめてくれます。いま自分が新作エンターテインメント小説を執筆中ということもあり、「女性にも男性にも支持されて、これほどまでに熱く語られる作品、いったいどんなものなんだろう」と知りたい気持ちもありました。

本作の公開直前、とみさわ昭仁さんによってエキレビ!でも紹介記事が書かれています。

深夜の新宿バルトナイン。2Dの日本語字幕版にしました。「セリフが極端に少ないから吹き替えでも字幕でも大丈夫」との噂。もともとアクション描写が苦手であることは自覚しているため、飛び出すアクションはもっと苦手だろうと考え、迷わず2Dにしました。

以下は、この映画を私にすすめてくれた腐女子主婦・マキさんとの会話を録画した動画です。場所は新宿二丁目、作家・伏見憲明さんがオーナーをつとめるバー「A Day In The Life」。マキさんは毎週水曜日と木曜日に店にいます。

以下、動画で語っていることを箇条書きにし、一部に事実誤認があったので補足します。

▼私なら冒頭5分ですでに死んでいる
▼ケガしてるのにみんな元気すぎる[*1]
▼洗脳がとけるのが速すぎるのではないか
▼政権交代(?)があっさり成功しすぎる
▼体調悪いワルモノが前線へ行くだろうか
▼本拠地がガラあきになる迂闊さ[*2]
▼沼の奇妙な生き物が面白かった[*3]
▼みんな、おなか、すかないのかな?[*4]
▼水浴びシーンは飲料水の無駄づかいでは?
▼なぜ女性が大隊長になれたのか?[*5]
▼おばあちゃんがニヤッとする[*6]
▼「俺の車だ」って何度も言いすぎる
▼ヤスリをつかうシーンが危険すぎる
▼探し物に辿り着きガッカリするという典型[*7]
▼避けていた場所に戻るという典型[*8]

[*1]主人公マックスは「戦士に血液を提供するだけの輸血袋」として車にくくりつけられるのですが、その位置が車の前であることも気になりました。大切な輸血袋が傷んでしまいます。吉田戦車が漫画に描きそうなシチュエーションで、笑いをとっているのかもしれないとも思いましたが、マックスが死んでしまったら貴重な血液もだめになってしまうので、もう少し考えたほうがいいと思いました。

[*2]熟考が必要といえば、妻たちをワルモノ(イモータン・ジョー)から逃すためのヒロイン(フォリオサ)も、意外と考えなしの印象を受けました。妊婦を含む5名の妻たちを遠くへ逃がすにしては、逃亡計画がかなり大雑把だった気がします。結果的にマックスが協力したことによって目的はまっとうしますが、本来なら味方であるはずのお供を裏切って、さらに敵陣に踏み込むというのは、やけくそ気味の無謀な計画と言わざるをえません。

[*3]夜の沼にいる足の長い謎の生き物は、竹馬的なものをはいた人間かもしれません。

[*4]食べ物は爬虫類と昆虫(蜘蛛?)のほかには母乳しか出てきません。大人になってから飲んだ母乳は微妙な味でした。母乳は保存するのが難しく、傷んでないか心配です。

[*5]後述の二村ヒトシ説をご覧ください。

[*6]「生きるために?」と訊くのがヒロイン(フュリオサ)であるかのように話していますが、そうではなく別の女性です。おばあちゃんがニヤッとするのは、再確認したところ私の誤認でした。ただ、おばあちゃんがやけに生き生きと闘っているというのは事実で、そこから記憶ちがいが生じたのだと思います。

[*7]アップルシード・エージェンシーのメルマガに連載されていた『誰でも書けるかな、駒込しじまの小説作法』に書いてありました。

[*8]大塚英志著『ストーリーメーカー 創作のための物語論』に書いてありました。

なお、動画を撮影している私自身の顔がうつっていませんが、「こんな感想を言っている男が、どんなつらなのか知りたい」という方は、私が過去に書いた記事と動画をご参照いただけると幸いです。

ほかの方の感想を読んで考えてみた


その後、私は自分の疑問点を解決したくて、ネット上にある大量の感想を読みあさりました。ツイッターでおすすめしていただいた記事も拝読しました。
ライムスター宇多丸さんの熱い語り、町山智浩さんの撮影秘話、高橋ヨシキさんによる行き届いたインタビュー、面白かったです。

ほかに印象的だったのは「映画『マッドマックス 怒りのデス・ロード』が駄作な7つの理由」という記事です。とにかく犬がお好きなんですね。もしも今作に犬が出てきたらすぐ死んじゃうから、犬は出てこなくてよかった、と私は思っています。

「マッドマックスの"男が夢見るフェミニズム" 」という記事も気になりました。私はむしろ「この映画のマックスとフュリオサが恋愛関係にならないのは、女性がそのような関係を夢みている現実に寄せたのだろう」と解釈していました。

それから「『マッドマックス』におけるフェミニズムと、マゾヒズムによる権力の解体」という記事も興味深かったです。私は最初に足を撃たれてずーっと痛いのを我慢していた妊婦が足を滑らせて死ぬシーンがいやだったのですが、それを「中絶」と解釈するとは。

マックスが心の病気であることに着目した記事「マッドマックス 怒りのデスロード:一度でも精神を患ったことがあるなら、もう一度見るべき映画」も参考になりました。というか私は「この映画はつまり、心を病んだマックスが死にながら観た美しい夢なのではないか」と疑いました。辻褄の合わなさも、大量の銃弾に当たらずに済む運のよさも、それで説明がつきます。

私の疑問点をいちばん合理的に解決してくれたのは、二村ヒトシ監督のレビューでした。とりわけ左手を失った女性であるフォリオサがなぜあんな偉い地位につくことができたのか、という疑問に対し、イモータン・ジョーとかつて恋愛関係にあったからという解釈は説得的でした。フォリオサは闘いの中でイモータン・ジョーに「わたしのことおぼえてる?」と言います。そのセリフは、かつて特別な関係にあった相手への言葉です。

しかし二村ヒトシ監督の「マックス=インポ説」には素直に頷けない部分もあります。
私はマックスが作中で美人たちに「ホモ」と罵られるため、「同性愛者だから女に欲情しないのかな?」と思っていました。インポであるというふうには想像もしませんでした。
なぜなら私自身が離婚してから十年以上、治りかけたりまた元に戻ったりする「慢性インポ状態」を生きているからです。生命力あふれるマックスが、こんな自分と同じ症状とはとても思えませんでした。二村監督はインポになったことがないのかもしれませんが、インポであっても性欲が全然ないわけではないのですよ。「むらむらするけど、できない」という苦痛を味わいます。そのような葛藤がマックスにはまったく感じられませんでした。

たまに映画を一緒に観たりしている漫画家の古泉智浩さん(ハッピーターンの亀田製菓の、創業者の孫にあたるそうです)は、本来好きになりそうなこの映画の魅力がなかなか受けとめられず、現在までに3回観たとのこと。その姿勢に感銘を受け、私も、もういちど観てみることにしました。

2回目も2D日本語字幕でしたが、わざわざ「極上爆音上映」を売りにしている立川シネマシティに行ってみました。なにしろ「マッドマックス」を上映したいがために新しい機材を導入したというのです。

2回目を観ての感想


2回目は時間があっというまに過ぎました。
マックスが伏せていた自分の名前をフュリオサに告白するシーン、1回目は「うーん、名前を告白するシーンならオリエンタルラジオの小説のほうが感動的」と思っていましたが、2回目のそのシーンで素直に泣いてしまいました。
 ワルモノ(イモータン・ジョー)が洗脳された兵士(ニュークス)の名前をきくシーンも印象に残りました。この世界では命が粗末に扱われているが、それでもひとりひとりにつけられた名前が大切にされているのです。いささか長すぎるエンドロールに流す曲は、ゴダイゴの「ビューティフル・ネーム」にすると、しっくり来るのではないでしょうか。

新宿二丁目で二村ヒトシ説の支持率は最低


その翌日、伏見憲明さんのバー「A Day In The Life」で「マッドマックス」を皆で観て感想を語り合う会がありました。

なかには「もう4回観ました。あした5回目を観ます」と言っている女性もいました。その女性に二村ヒトシ監督の「マックス=インポ説」を話したら、「インポでなければ男女はセックスをしているはずという考え方には納得できない」と怒られてしまいました。
その件に関しては別の女性から「二村さんは自分がもしマックスだったら、女と絶対やってるはず、と言ってるだけでしょ」とのツッコミもあり、二村ヒトシ監督の意見になかば共感していた私はタジタジになりました。
 伏見憲明さんは、「この映画の女性は結局、強い男性性を利用することで問題を克服している。それはほんとうに女性の勝利といえるのだろうか」といった意味合いの興味深い指摘をされていました。(伏見憲明さんの詳しい感想は無料メルマガ「A Day In The Life」vol.177掲載。メルマガ希望の方はお店のほうに直接お問い合わせください)

私は、「マックスがもし実際にインポだとしたら、マックスにあまりにも救いがなくてかわいそう」と発言しました。すると隣の席のゲイ男性が「要するに枡野さんは、インポである自分がかわいそうと思ってるんでしょ」と言い放ちました。「いや、僕はこの十年以上ほとんどインポだったけれど、こんなインポの僕にだってアプローチしてくれる女性もごく稀にいたから、あのマックスほどの男だったら、たとえインポでも女性たちのだれかがマックスに惚れてしまうようなことはあるだろうと思っただけです」と反論しました。

私がマックスを「いい男」と思ったのは、フュリオサが銃を撃つときにマックスが肩を貸すシーンです。強い男は往々にして、「俺のほうがうまいから銃を貸せ」的なふるまいをしてしまいますが、マックスはそうしません。フュリオサの銃の腕を信頼しているからです。そこに惚れました。と話したら、隣のゲイ男性が「枡野さんは男も好きで、要するにマックスが男としてタイプだったんでしょ」と言いました。正直それは否定しにくいです。

以上、マックスから、ちからと思いやりとルックスと運をなくしたようなインポ男による、マッドマックス最新作のレビューでした。
(枡野浩一)