「ストレートは以前の方が速く感じました。ドーンと向かってくるような感覚で、迫力がありました。だけど今は、脱力した投球フォームからピュッと伸びてくる。決して速いとは思わない。でも、それがイヤなんです。球速がないので『スライダーかな』と思って待つと、真っすぐでびっくりなんてこともありました。腕の振りもストレートと変化球が同じなので、区別するのが難しいんです」

 これはロッテの今江敏晃に聞いたソフトバンクの大隣憲司評である。5月4日の試合でふたりは対峙した。

「僕は(大隣を)打っているイメージがある(過去2年の成績は4打数4安打)」と話した今江だったが、この日はショートゴロ、ショートゴロ、センターフライと完璧に抑え込まれた。

 第1打席は134キロの真っすぐをファウルにしたあとのチェンジアップに泳がされた。第2打席はチェンジアップからの131キロの真っすぐに詰まり、第3打席は1打席と同じようにチェンジアップを打たされた。

「インコースのいいところを突いてくる。だから外角へのストレートやチェンジアップも生きる」

 この試合で大隣はロッテ打線を7回2失点に抑え、今季4勝目を挙げた。防御率1.44はパ・リーグ3位(5月8日現在)。さらに先発した6試合すべてクオリティ・スタート(※)の安定感を見せている。
※クオリティ・スタートとは先発投手が6回以上を自責点3以内に抑えること

「今年は真価が問われるシーズンになる」――開幕前から大隣は強い決意を滲(にじ)ませていた。

「もう病気だったことは過去の話。もちろん、支えてくれた方々や応援してくれた人たちへの感謝の気持ちを忘れることはありません。だけど『復活』などと言われるのは昨年で終わり。今年はひとりの投手としてガチンコで勝負したいんです」

 大隣が最初に体の異変に気付いたのは、2013年4月29日、ロッテ戦に先発する朝のことだった。遠征先の千葉のホテルで目覚めると、左足に力が入らない。「ぼわーっとする感覚でした」。前日まで何ともなかった。球場に到着しても変わらない。「もともとヘルニアを患ったことがあるので、その影響かも」と球団スタッフに言われ、とりあえず試合には投げた。6回1失点で勝利投手に。だが、日が経つにつれて、足の異変は悪化するばかりだった。5月30日、ヤフオクドームの広島戦でも勝ち投手になったが、「もう限界です」と投手コーチに打ち明けた。この頃には階段を上り下りするのもやっとの状態だった。

 検査を受けると黄色靱帯骨化症と診断され、数日間思い悩んだ末に手術を決断した。黄色靭帯骨化症とは、脊髄の後ろにある黄色靱帯という靭帯が骨化することで発症する疾患で、国が指定する難病である。骨化した黄色靭帯が脊髄を圧迫することで、足が痺れるなどの症状が起き、歩行も困難になる。

 手術が行なわれたのは6月15日。背中にメスを入れ、背骨の一部を取り除いた。手術の前は「もう投げられないかもしれない......」と恐怖に見舞われたが、それでも「もう一度マウンドに立ちたい」という気持ちが大隣を駆り立てた。術後2日間は寝たきりだったが、3日目には自力で歩きトイレに行った。

 その後も懸命にリハビリに耐え、再び一軍のマウンドに上がったのは、2014年の7月13日。この時は1イニングだけの登板だったが、復帰2戦目となった7月27日のオリックスでは先発し、7回を3安打1失点に抑える好投を披露。プロ野球界で初めてこの病気から復帰して白星を挙げた投手となった。シーズン終盤にはチームの大事な試合で先発を任され、その期待にすべて好投で応えてみせた。

 リーグ優勝を決めた10月2日のオリックス戦では6回を無失点に抑え、クライマックス・シリーズでも第1戦と第6戦に先発して、安定感のある投球でチームを勝利に導いた。阪神との日本シリーズでは1勝1敗で迎えた第3戦に登板し、7回を3安打無失点で勝利に貢献。大隣の好投で勢いに乗ったチームは3連勝して悲願の頂点に立った。

「昨年の10月は中身が濃すぎるほどの1カ月。自分でも怖いと思ったくらいです。だって、思ったところにボールが行くんですから。正直、昨年の自分はまだ発展途上というか、状態を戻している途中だと考えていました。もともとコントロールは特別いい方ではないし、二軍で調整している時もあんな感覚で投げたことはありませんでした。もちろん、気持ちの入り方や集中力に違いはありますが......」

 だから、今シーズンを迎えるにあたって大隣は「昨年は特別だから、その時の自分は追いかけない」と決めていた。だが今シーズンも、開幕からのピッチングを見れば、昨年の10月に匹敵するといっても過言ではない内容の投球を見せている。

 大隣が勝ち続ける要因は何か。そこに今江が言う「速くない真っすぐ」と「インコース」というふたつのキーワードが浮上してくる。

 かつて近畿大学時代は最速152キロをマークし、"近大の江夏豊"の異名をとった。プロに入り球速は落ちたが、それでも病気にかかる前は140キロ中盤の真っすぐを投げていた。それが復帰後は135キロがやっとである。大隣はその原因について、次のように分析する。

「僕はもともと、少し反り返って投げるタイプだったんです。それが背中にメスを入れてからは、その投げ方ができなくなった」

 人間は背筋の方が腹筋よりも強い。大きく胸を張るように少し反り返った方が背筋の力を有効に活用できるため、球速が出ると言われている。だが、体に力が入れば体勢を一定にするのが難しくなり、それがコントロールのばらつきにつながってしまう。

「手術後に医者から『反り返る運動はしばらく控えるように』と言われたので、それを守っていたんです。それが影響したのかは定かではありませんが......」と笑いつつ、今の感覚について説明する。

「セットポジションから右足を上げる。その時にはもう、自分の目から捕手のミットへ1本のラインが見えるというか、球筋が分かるんです。『決まった』という感じですね。以前とは見える景色が変わりました」

 右足を上げ、左手でテイクバックを作り、そして投げにいく。そこに無駄な力は一切ない。体の軸がブレないから、視線も腕の振り方も安定する。となれば、コントロールが乱れるはずがないのである。

 好投手の条件のひとつに、インコースをどれだけ突けるか、というのがある。今の大隣はそのインコースに何球も続けて投げ込む度胸と技術がある。涼しい顔をして次々に胸元を突かれると、打者はたまったものではない。

「僕は入団してからずっと期待を裏切り続け、2012年にようやく12勝(防御率2.08)してチームに貢献することができました。翌年にはWBCの日本代表にも選ばれて、さらにチームの柱として活躍しなきゃいけない時に......そんな矢先のあの病気でした。今年は具体的な数字より、まずは1年間先発ローテーションを守り抜くことが目標です」

 遠回りをした。だが、どんな状況に置かれても前を向き、持ち前の明るさだけは絶対に失わなかった。そんな左腕にいま、野球の神様がほほ笑みかけている。

田尻耕太郎●文 text by Tajiri Kotaro