「広島国際平和会議2006」の初日、基調講演するチベット亡命政府の最高指導者ダライ・ラマ14世(撮影:吉川忠行)

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広島市中区のアステールプラザで今月1−2日に開かれた「広島国際平和会議2006」で、チベット亡命政府の最高指導者のダライ・ラマ14世が講演し、1人ひとりが背負う「普遍的な責任」について語った。要旨は以下の通り。

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 有史以来、私たち人間は他人とともに社会生活を営んできており、個人の幸福はその人が属する社会に依存している。社会が幸せで繁栄していれば、その中に住む個人も幸せで、繁栄を享受できる。逆に、社会全体が苦しみにあえいでいる場合は、個人も労苦を背負うことになる。

 イラク戦争は原油の高騰をもたらし、世界経済全体が悪影響を受けている。現在、世界は相互依存関係にあり、私たちは人口爆発、経済のグローバル化、環境問題などの「新しい現実」に直面している。世界全体を1つの社会というか、1つの家族として捉えることが非常に重要だ。人間性を考えるに際しても、国や地域などのレベルでのみ考えるのではなく、世界全体のことを念頭に置いて「普遍的な責任」を個人個人が背負っていることを意識すべきだ。

 私たちはある種のグループを“敵”と呼ぶ習性があり、その“敵”に対するものとしての暴力が戦争を呼ぶ。通常、人を殺せば罰として刑に服さねばならないが、戦争は合法的な暴力として認められていることにより、何千人もの殺戮(りく)が起きても、法律的に守られ、正しいと信じるような間違いが許されている。

 知性が備わっているがゆえに、人間は愚行を繰り返してきた。知性は科学技術をもたらし、人間はほかの動物と異なる進化を遂げたが、自らの持つ力を悪い方向に用い、私たち自身で破壊的な惨事を発生させているのが実情だ。自分の隣人を害することは、自分を害することにつながるという「新しい現実」の特性に気づかねばならない。

 私たち一人ひとりは、宗教も、民族も、年齢も、考え方も違う。しかし、すべての人に共通していることもある。誰もが「苦しみをなくし、幸せになりたい」と思っているのだ。

 自分のことだけを考えて、「世界は平和で美しい」と思い込むのは間違っている。地域でのみ政治を考えていては、世界全体の幸せや平和の準備をすることはできない。世界のどこかに苦しみが存在する限りは、私たちはその悲劇を自らの体験として感じていかなければならないし、それを取り除く責任を負っている。誰かが死んでいるのを目にして、それに無関心であるとしたら、人間とは言えない。知性を持つ人間こそ、他人への思いやり、慈悲の心を持って欲しい。

 人間は生まれながらに、思いやりや慈悲の心を持っている。自分にはっきりした意識や自我がない時期から、母という存在が与えてくれる献身的な愛情を受けているので、他者への依存が必要だという人間の本質を知っているはずだ。怒りに震えたときには、それぞれが温かい“心の種”を持っていることを思い出してほしい。【了】

ダライ・ラマ14世 1935年チベット・アムド地方のタクツェル村生まれ。39年、ダライ・ラマ13世の転生者として認定され、ラサのポタラ宮殿で英才教育を受けた。59年に隣国インドに政治亡命し、チベット亡命政府を樹立。チベット情勢の平和的解決に向けたプランの中で、同地を非暴力地帯にする構想を発表し、89年にノーベル平和賞を受賞した。チベットの解放と、チベット文化や宗教、伝統の保全活動に努めている。

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