寝ているあいだに移動できてホテル代も浮くのが利点だった夜行列車。しかし交通や宿泊事情の変化に伴い、姿を消したり、クルーズトレインへ「進化」したりしました。平成時代の夜行列車の変遷を振り返ります。

豪華な寝台列車は「乗ること」が目的に

 1988(昭和63)年9月7日、フランスのパリ・リヨン駅の案内板にフランス語で「オリエント急行・東京行き」の文字がありました。映画の撮影ではありません。フジテレビが開局30周年企画として、本物のオリエント急行を日本まで走らせたのです。日本の鉄道史において最も「バブリー」なエピソードは、これをおいてほかにはないでしょう。


1988年3月、青函トンネル開業とともに運行を開始した寝台特急「北斗星」(2014年10月、恵 知仁撮影)。

 フランスを出発した列車は、ヨーロッパ諸国、ソビエト連邦(当時)、中国を経由してユーラシア大陸を横断すると、香港から船で日本に渡り、広島からJR山陽本線・東海道本線を走って10月18日、東京駅に到着しました。

 オリエント急行がやって来た1988(昭和63)年は、3月に青函トンネルと瀬戸大橋が相次いで開通し、日本列島が1本のレールでつながった記念すべき年でした。青函トンネル開通と同時にデビューした寝台特急「北斗星」(上野〜札幌)は、専用シャワーやトイレを備えたA個室寝台「ロイヤル」や、予約制のフルコースを提供する食堂車「グランシャリオ」、ロビーカーを備えた豪華寝台列車として注目を集めます。翌1989(平成元)年7月には、「北斗星」よりさらに高級志向の日本版オリエント急行こと寝台特急「トワイライトエクスプレス」(大阪〜札幌)が登場するなど、夜行列車はバブル経済の波に乗って新たな盛り上がりを見せました。

 それから30年、すでに「北斗星」や「トワイライトエクスプレス」は引退しましたが、JR九州の「ななつ星in九州」、JR東日本の「TRAIN SUITE四季島(トランスイートしきしま)」、JR西日本の「TWILIGHT EXPRESS瑞風(トワイライトエクスプレスみずかぜ)」など、オリエント急行にも引けを取らないクルーズトレインが登場するなど、豪華列車の旅は平成の時代に大きく進化を遂げた文化のひとつです。

一般向け夜行列車は多くが廃止へ

 しかし一方で平成は、一般向けの夜行列車が消え去った時代でもありました。1989(平成元)年3月時点で、東京駅を出発する寝台特急は、九州方面に「さくら」「はやぶさ」「みずほ」「富士」「あさかぜ」、四国・中国方面に「瀬戸」「出雲」、加えて大阪行きの寝台急行「銀河」がありました。上野駅から出発する寝台特急も「北斗星」のほかに、東北方面に「ゆうづる」「はくつる」「あけぼの」「出羽」、北陸方面に「北陸」などがあり、そのほかに大阪と九州や北陸、東北を結ぶ夜行列車も数多く残っていました。

 ところが1994(平成6)年に「みずほ」、2005(平成17)年に「あさかぜ」「さくら」、2009(平成21)年に「銀河」「富士」「はやぶさ」が廃止され、東京駅を出発する寝台列車は1998(平成10)年に機関車+客車の「瀬戸」「出雲」を電車化した特急「サンライズ瀬戸・出雲」を残すのみとなりました。上野発の夜行列車も1994(昭和6)年に「ゆうづる」、2002(平成14)年に「はくつる」、2014(平成26)年に「あけぼの」が廃止されました。

 夜行列車の利用者数は1974(昭和49)年をピークに減少していきます。山陽新幹線の博多延伸や東北新幹線の開業、また地方空港のジェット化が進み、国内線にも大型ジェット機が大量投入されるようになり、速達性を重視する利用者が移ってしまったのです。

 1980年代後半には、低価格を武器にした高速バスの路線開設が相次ぎ、夜行列車は速達性だけでなく運賃でも競争力を失っていきました。

 もうひとつ夜行列車に打撃を与えたのは、宿泊施設の変化です。1970年代以降、宿泊以外の機能を削ぎ落して安い値段で泊まれるビジネスホテルが都市部に登場し、やがて地方都市にも拡大していきます。1958(昭和33)年に登場した寝台特急「あさかぜ」が「走るホテル」と呼ばれたように、寝ているうちに移動して、目的地に到着後すぐに行動できるのが夜行列車の利点でしたが、移動と宿泊を別に手配する方が速くて安くなってしまったのです。

新幹線高速化、リニア開業で、夜行列車の将来は

 その結果、晩年の九州方面の寝台特急は、始発の東京駅から乗車する利用者はほとんどいなくなり、名古屋、大阪からの利用が中心になりました。つまり、東京駅を出発する夕方の時点では、当日のうちに目的地に到着する新幹線や飛行機がまだあるので寝台特急を利用する必要がなくなりますが、名古屋や大阪の利用者であれば、最終の新幹線や飛行機のあとに出発して、朝イチに目的地へ到着する列車として、かろうじて存在価値が残っている状況でした。


寝台特急「サンライズ瀬戸・出雲」(画像:photolibrary)。

 その後、JRは“次世代”の夜行列車として、プライバシーに配慮した個室寝台の増設を進め、285系電車「サンライズエクスプレス」(サンライズ瀬戸・出雲)やE26系客車「カシオペア」の導入を進めます。

「サンライズ瀬戸」が高松駅に着くのは翌朝午前7時27分(2019年3月16日現在)。羽田〜高松間の航空便と比べると最終便より3時間遅く出発し、朝一番の便より1時間半早く到着するうえ、ホテル代を節約できます。デビュー当時の新聞に「ギリギリまで残業して飛び乗っても、翌朝8時の会議に間に合う。運賃は飛行機と変わらないが、出張費が削られる中、ホテル代が浮くことが助かる」(1999年7月18日朝日新聞)という声が紹介されているように、“動くビジネスホテル”として一定の地位を獲得しますが、同様に深夜出発して早朝に到着する夜行急行「銀河」は廃止に追い込まれるなど、目論見通りにはいかないまま現在に至ります。

 平成の30年を振り返ると、乗ること自体が目的にもなるクルーズトレインを除き、夜行列車のほとんどが廃止に追い込まれた時代でした。新幹線の高速化と、リニア中央新幹線の開業が予定されている「令和」の時代において、夜行列車の立ち位置はますます厳しくなるでしょう。

 その中で注目すべき挑戦が始まろうとしています。JR西日本が2019年3月に発表した、鉄道ならではの旅の魅力を気軽に楽しめる価格設定で提供する117系改造車「WEST EXPRESS 銀河」の導入です。かつての寝台急行「銀河」の名前を冠したこの車両は、285系でも採用されたノビノビ座席や個室を備え、夜行にも対応した長距離列車として2020年春から運行を開始する予定です。この結果次第で、最後の寝台特急「サンライズ瀬戸・出雲」の今後についても何らかしらの方向性が見えてくるかもしれません。

【写真】先頭はデゴイチ! 大宮に来たオリエント急行


大宮駅に来たオリエント急行。客車をけん引しているのは先頭から、この日に復活したD51形蒸気機関車498号機と、EF58形電気機関車61号機(1988年12月、恵 知仁撮影)。