「同棲しない?」交際1ヶ月、秘密の社内恋愛中の男から受けた提案。その衝撃的な理由に揺れる女心
―社内恋愛―
会社員なら誰しもが一度は経験するであろう、秘密の恋。
毎日会えて、仕事のことも分かりあえる。もしかしたら普通の恋より、濃密な関係が築けるのかもしれない。
しかし…。
時にその濃密過ぎる関係が、残酷にも2人を切り裂くきっかけにもなりうる。
これは、ある会社で起こったリアルな“社内恋愛の悲哀”であるー。
同じIT企業に勤務する、総務部の吉田結衣(28)と営業部のエース・斎藤健(32)。
「ネイル可愛いね!…でも、結衣がピンクのネイルなんて珍しい。」
その言葉に、結衣は思わずドキリとする。
話しかけてきたのは、人事部の奈央だ。間接部門にいる数少ない同い年で、自然と仲良くなった。最近は株主総会の準備などで一緒に仕事をすることも多い。
「ありがとう。ちょっと気分を変えてみようかなって。」
普段はグレーやベージュといったシックな色を選ぶことが多いが、ついこの間行ったネイルサロンで、綺麗なコーラルピンクのネイルが目に留まったのだ。
数週間で塗り直すしいいかな、と思い切ったはいいものの、いつもお願いしているネイリストの女性に「珍しい」と驚かれた。
―健、ネイル変えたの気づいてくれるかな…?
施術が終わり、艶々に染まったコーラルピンク色の指先を見つめながら、健の元カノがいわゆる“ゆるふわ系女子”だったという噂を気にしている自分に気付く。
結衣は今まで、自分は恋愛には淡白なほうだと思っていた。しかし健と付き合ってからは、いつも以上に考えることが多くなった。
結衣の所属する総務部に健が来ると、体中の神経がそちらに向かう。淡々と業務はこなしているつもりだが、健のいる間は心がザワザワする感覚が一向におさまらない。
―社内恋愛って大変ね…。
社内恋愛の多くがすぐ知れ渡ってしまう理由が、少し分かった気がした。
結衣は万が一社内に広まったとき、健に恥をかかせぬよう今まで以上に仕事に精を出している。
気付けば、結衣と健が付き合って1ヶ月が経とうとしていた。
効率重視の彼氏からのある提案に、結衣の心は揺さぶられる・・・!
◆
そんなある日、結衣は思いもよらぬ提案を健から受けた。
それは、仕事終わりに『焼肉いぐち』で、丁寧に火入れされた焼肉を堪能している最中のことだった。
「同棲しない?」
「え……?」
唐突過ぎるその提案を飲み込めず、思わず聞きかえす。まだ付き合って1ヶ月。徐々にお互いの生活リズムや価値観を掴みかけてきたところである。
結衣の動揺を悟ってか、健はその理由を淡々と説明し始めた。
「いくつか理由がある。まず、デートの約束に時間をとられるのが嫌だということ。あ、会いたくないとかじゃないよ、むしろ会いたいからなんだけどね。
お互い、社内外の付き合いも多い上に、仕事やスキルアップのための勉強の時間も大事だ。だけど、恋人と一緒にいる時間も欲しい。であれば同棲が効率的ではないかと。」
健はまるで仕事のプレゼンのように、理路整然と話した。
その説明を聞いているうちに、結衣はいくぶん落ち着きを取り戻し、その意図を理解し始めた。
たしかにお互い多忙なスケジュールの為、“いつ会える?”“何時から会える?”といったすり合わせは手間がかかった。
休日は健が営業部のゴルフなどで不在にすることも多く、この一カ月は週末に会えた試しがない。お互いのタイミングが合えば平日に食事に行き、翌朝早くなければどちらかの家に泊まる。これが2人のリズムになっていた。
だがその会える平日も、仕事や飲み会などが予定通りに終わる訳でもない為、お互いに時間を持て余すことも多々あった。
健の提案は、効率的に2人の時間を作ろうというものであった。
―そりゃあ、もっとたくさん会えたらいいなとは思うけど…。
この生活リズムのまま一緒に住むと、家の中でもすれ違い、ただのルームシェアのようにならないだろうか。
しかしそんな不安を募らせる結衣をよそに、健は変わらず「2人で住む方が、家賃も光熱費においても効率的」と、同棲がいかに効率的でメリットがあるかと饒舌に説明を続けた。
健の思いも尊重したいし、せっかくの提案を無下にもしたくない。
だけど付き合ってまだ1ヶ月。このタイミングで一緒に住むことは、本当に最善なのか。
健は周囲からの信頼も厚いが、プライベートも同様なのだろうか。
それに何より、結婚前の同棲は上手くいかない話もよく聞く。しかしだからといって、健に結婚する気があるのかを確認するのも、結婚を迫っているようで嫌だった。
結衣の頭の中は、健の提案を尊重したいという気持ちと、うまくいかなかったときのリスクへの不安が、行ったり来たりしていた。
健はひととおり話終えたが、結衣はそれに答えることができず、目を伏せた。
すると健がゆっくり口を開いた。
健の次の言葉に、とうとう結衣の心も動く?
「お互いにもういい年齢だから。将来のことも視野に入れて、とは思っている。
俺は結衣の仕事ぶりも分かってるし、付き合ってからの関係も、とても心地よく感じているから」
健は真剣な眼差しを結衣に向け、その瞳に思わず吸い込まれそうになった。
周りの音が聞こえない。
まるで時が止まったような感覚だ。
さっきまで不安でいっぱいだったのに、それが頭の中からすぅっと消えていく。
やはり結衣は、心から健のことが好きだ。
この人のそばにいて、こうやって2人の時間を大事にできればいい…。
そんな温かな気持ちが、じわりと結衣の心を満たしていく。
健は最後に、「ま、俺の家の更新が近いってのもあるんだけどね。」と冗談めいた口調で付け加え、ニッと爽やかな笑顔を結衣に向けた。こうして二人の同棲は決まったのである。
◆
「ここいいね、実際の平米よりも広く見える。明るいからかな。」
「そうだね。今までの物件の中で1番いい…!」
リビングが広く眺望がよい、目黒川沿いにある1LDKの賃貸マンション。内覧を始めてすぐに2人とも気に入った物件が見つかり、トントン拍子で同棲の準備が進んだ。
お互い1人暮らしのため、必要最低限の家具家電はある。手続きを済ませると、その翌週末からすぐに同棲を開始した。
家計に関しては同額を共通口座に入れて、そこから家賃・食費光熱費を出し、余った分は結婚資金として貯金していこうと決めた。外食や旅行の費用は健が負担してくれることになっている。
お揃いのマグカップや、洗面台に2本並んだ色違いの歯ブラシ、朝起きて隣にある健の寝顔。目に入るもの全てが幸せだった。
2人で見る世界が幸せだった。
…そう、この時までは確かに幸せだったのだ。
◆
「…という訳で、2週間後の株主総会は大荒れになると思われます。」
同棲を始めた翌日の月曜日のこと。
緊急全社ミーティングと称して、定時前に全社員が呼び出された。
全支社をテレビ会議システムで繋ぎ、海外や外出で会議を聞けない人はスカイプで同時に繋ぐなど、全社員出席必須の会議が行われた。
こんなことは今までなかったことだ。
全社員がソワソワしながら集まり、異様な雰囲気で会議が始まった。
そしてそこで役員から発表された驚愕の事実に、会議室の空気は物音ひとつしない程にピンと張り詰めた。
それは、「会長を社長に戻し、そして現社長を含む現役員を全て交代させる」という会長からの要求だった。
―運営に上役が多く入っていたのは、この為だったのね…。
営業部の座席が遠く、健がどんな表情で聞いているのか、結衣の席からは分からない。
隣に座る人事部の奈央に目をやると、その瞳は揺れていた。
結衣は奈央の気持ちが痛いほど分かる。自分たちは今後どうなっていくのだろうかと、不安でいっぱいだった。
そう、営業畑の会長と、間接部門畑の社長との、経営方針の違いによるお家騒動が始まったのである。
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営業部門vs間接部門の社内騒動。同棲を始めた2人の運命が狂い出す