伝説のベストセラー作家・五島勉の告白「私がノストラダムスを書いた理由」

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1999年7の月、空から恐怖の大王が降ってくる――。日本中に「大予言」ブームを巻き起こした『ノストラダムスの大予言』。その著者・五島勉さんは現在、何を考えているのか? 「体調も回復したので、お話ししておこうと思います」。88歳、今、語られる貴重な証言。


五島勉さん「お話ししておこうと思います」

退院後間もなく88歳になりました

―― 入院されたと聞いて心配していましたが、お元気そうで何よりです。

五島 6月頃からいろんな病気をしましてね、最後は心不全にまでなりました。心不全というのは死に至る病で、程度にもよりますが、たいてい生き返らないんだそうですよ。

―― 無事に復活されたわけですね。

五島 ようやく退院して、退院後間もなく88歳になりました。

―― 米寿を迎えられたということで、おめでとうございます。

五島 いえいえ、とんでもないです。何がめでたいって話ですよ。友達ももうずいぶん死んでますし。週刊誌で一緒に仕事した仲間も、たいてい辞めるか、亡くなるかしてますからね。


 

母に受け継がれた話の中に、黙示録や予言の話があった

―― 今日は、五島さんが週刊誌のライターとして活躍していた時代についても伺いたいのですが、まずはやはりノストラダムスから始めさせてください。1973年に出版された『ノストラダムスの大予言』は大ベストセラーになりましたが、最初から予想されてましたか?

五島 いや、私を含めて誰もそう思ってなかった。毎年たくさん出る新書版の中の1冊という感じです。ほとんど機械的にといったらあれだけど、特に力を入れたわけでも何でもないです。ただ、編集者が、せっかくの面白い題材だから早く出しましょうというので、せっつかれて書きました。


 

―― 当初は、広く「予言」をテーマにした本を考えられていたんですよね。そもそもどうして予言に興味を持ったんですか?

五島 それは、自分がクリスチャンの家に生まれて、母親からいろいろと聞かされてましたから。私の家のキリスト教は、ローマカトリックじゃなくてロシア正教です。ニコライ堂を建てたニコライ大主教が、明治時代、函館に上陸して布教を始めたとき、最初の信者の一人が私のおばあさんなんです。おばあさんは早くに死んじゃいましたけど、母に受け継がれた話の中に、黙示録や予言の話がありました。

―― それはどんなお話だったんでしょうか?

五島 海の向こうから怪物がゴーッと出てきて、人間をみんな飲み込んじゃうというような話でした。私が聞いたのは小学1年生くらいです。怪物そのものがいるとは思わなかったんですが、その怪物は何だといったら、これからのアメリカのことだと。

―― まだ戦争が始まる前ですよね。

五島 始まってないですね。今考えれば、それは黙示録の一部ですよ。でも、そんな話を聞かされていたから、ずっと後になってキリスト教の予言とかにもビビッとくるんです。

―― じゃあ、お母さんの影響はかなり大きい?

五島 そうです。母親の影響というのはその当時からありました。


 

旧制高校のフランス語の先生がノストラダムスを教えてくれた

―― ノストラダムスの名前を初めて知ったのはいつ頃ですか?

五島 旧制高校のときですね。たしかフランス語の先生だったけど、いろんな話をしている間にちらっと一言だけ、16世紀のフランスにノストラダムスというすごい人がいて、王様がいつ死ぬとか全部予言したんだよ、ってことを話してくれたんです。その先生は、東京外語のフランス語科を一番で出た学識の深い人でした。あくまで別の話のついでに個人的に喋ってくれたというだけでしたけど。


 

―― 『大予言』を書くずっと前に出会ってるんですね。それから興味をもって調べ始めたわけですか?

五島 いや、その時はまだ高校生で、あまり興味もなかった。ノストラダムスと再会するのは、ずっと後です。旧制高校を出てからは、大学へ行きましてね。東北大学の法学部なんですけど、何も勉強しなかったから、どこへも就職できなかった。でも、たまたまアルバイトで書いた小説を買ってくれる東京の出版社があってね。エロ小説みたいなものでしたが、数ヵ月に1回採用されて原稿料をもらえました。それで大学を出ても就職ゼロが決まった時、その出版社に電話をかけて、「私はこれから一文無しでそっちへ行きますが、食べさせてくれますか?」って正直に言ったら、「それじゃあ、いらっしゃい」と言ってくれました。

―― 今だと考えられない話です。五島さんに何か光るものを感じたんでしょうね。

五島 いや、たまたま親切というか、太っ腹の編集者に出会えたんだと思います。それでありがたく上京して、小さな物置みたいなところを借りて、ものを書いてました。そしたら、幸いにして週刊誌ブームも始まったんです。

 ちょうどその頃ですよ。古本屋かどこかにあった誰かのエッセイの中に、ノストラダムスの4行詩の訳文が1、2篇紹介されているのを見つけたんです。「あっ、これはどこかで聞いた名前だ」と、ビビッときた。それから、週刊誌の仕事をしながら、少しずつ調べるようになりました。


 

最後は丹波哲郎の演説で終わる映画版『大予言』

―― なるほど。そういった蓄積があって、『大予言』が誕生したんですね。発売の翌年には100万部を突破し、映画にまでなりました。映画版をご覧になっていかがでしたか?

五島 良い映画、悪い映画ということを越えて“変わってる”と思いました。

―― 変わってる映画ですか?

五島 本が売れた段階で、東宝がぜひ映画にしたいと言ってきたんです。だけど、彼らの根底にはゴジラ体験があり、優秀な人たちだったけど話が合わなかった。彼らはゴジラ的な恐怖娯楽を入れたい。私はもっとリアルな国際政治を入れたいと思ったけど無理でした。しかも主演が丹波哲郎さん。「俺のライフワークにする」とか言って熱演して、最後は丹波哲郎の演説で終わりました。結局、ノストラダムスの映画なのか丹波哲郎の映画なのか、分からなくなりましたね。

―― それはそれで興味深い(笑)。しかも文部省の推薦映画で。今では「封印作品」となって、見られないのが残念です。映画以外にも、『大予言』出版以降、数々の類似本が出ていますが、そちらはどうでしたか?

五島 それと関連しますが、最近、講談社の編集者から連絡があって知ったんですが、水木しげるさんがとても面白い漫画を描いてるんですね。


 

―― ああ、『水木しげるのノストラダムス大予言』ですか。

五島 水木さんの全集の解説を書いたんですが、私の思想とか考えについて肯定的にとらえてくれたのは水木さんだけです。すごいアイデアをそこからもらいました。

―― 漫画が一番よかったというのは、面白いですね。

五島 一番いい。どこがいいかはその漫画のあとがきに書かせてもらいました。やっぱり水木さんってすごい才能のある人だなと思いました。

『大予言』初巻に書いた、予言を回避する方法

―― このことは聞いておかなければと思うんですが、五島さんの『大予言』シリーズで繰り返し言われたのは、1999年の7の月ですよね。今、あらためて1999年7月と書かれたことについて、どのように思われていますか?

五島 弁解するわけではないんだけど、私は「大予言」シリーズの初巻の最後に、「残された望みとは?」という章を書いていて、予言を回避できる方法がないか考えようと言ってるんです。もちろん、米ソの対立とか核戦争の恐怖とかがあって、ノストラダムスが警告した状況が来ることは間違いない。それは破滅的なことかもしれないけど、みんながそれを回避する努力を重ねれば、部分的な破滅で済むんだということを書いたんです。だからこの本は、実は部分的な破滅の予言の本なんです。


 

 だけど、私がこの本を書くとき、ノンフィクション・ミステリーという手法に挑戦したことで誤解を生んでしまった。ミステリーが最後にどんでん返しをするように、初めに全滅するんだと書いておいて、最後になって人類が考え直して逆転して、部分的な破滅で済むんだと、それに向かって努力しなければならないと書いたんです。だけど、ここのところをみんな読まないんです。

―― たしかに多くの人が、1999年7月に全滅するんだと信じていましたね。

五島 ただ、私はそのことをちゃんと主張できるけど、当時の子どもたちがね。まさかこんなに子どもたちが読むとは思わなかった。なんと小学生まで読んで、そのまま信じ込んじゃった。ノイローゼになったり、やけっぱちになったりした人もいて、そんな手紙をもらったり、詰問されたりしたこともずいぶんありました。それは本当に申し訳ない。当時の子どもたちには謝りたい。


 

オウムとノストラダムスは関係ありません

―― もう一つ、答えにくい質問をして申し訳ありませんが、五島さんが破滅を回避するために本を書かれた一方で、オウム真理教事件のように、破滅を起こしてやろうという人々が現れました。そのことはどう思われますか? 

五島 オウムとノストラダムスは関係ありません。オウムがノストラダムスの名前を勝手に利用しただけです。本当に悪いやつがいるものです。ノストラダムスの予言で危機を起こすと想定されているのは、米ソの核や生物化学兵器など、もっと大きな軍備です。それを一人の変なやつが命令を下して、しかも権力をやっつけるんじゃなくて、自国の国民にサリンをまいたわけでしょう。そこのところが、どう思うも何も間違いです。完全に間違い。

―― 彼らがノストラダムスを悪用したわけですね。

五島 ただ、それもやっぱり私の本に影響されてあの人たちが何か起こしたというなら本当に私も悪いわけで、それは謝りますけど、よく調べてみると、オウムの麻原たちがよりどころにしたノストラダムスの本というのは私の本と違うんです。責任回避するために言うわけではありませんが、当時たくさんのノストラダムス関連の本が出ていましたから。彼らがよりどころにしたのは、精神科のお医者さんでノストラダムスの解釈書を書いた人がいたんです。その人たちが、自分勝手なことを世の中に流布するわけです。だから、私以外で影響を与えた本が何冊もあるんですよ。でも、ノストラダムスの影響というときにはぜんぶ私のせいになっちゃうんです。今、私がそれを言ってもしょうがないから、あんまり言いたくないんですけど。


 

1999年7月、五島さんは何をしていたのか?

―― 五島さん自身は、1999年7月に何をされていたんでしょうか? 

五島 普通にしてましたよ。そのときの私の気持ちは、もうちゃんと落ち着いていました。1999年の7の月には何も来ないかもしれないと。でも、そういう事実がないということではなくて、多少の時間差の中では必ず何かが起こるはずだと思っていました。そしたら、2001年9月11日にアメリカで同時多発テロが起きた。つまり、2年の誤差があったものの、ノストラダムス予言に近いことが実際に起きた。しかも9・11後、中国の進出や北朝鮮の核など、新しい切実な脅威が起こって、人類危機はいっそう深まってる。

―― 五島さんとしては、今もなお危機は去っていないということですね。現在の思いを率直に語っていただき、ありがとうございます。次に、五島さんが『大予言』へと至るまでのライフヒストリーを聞かせてください。


 

◆後編 五島勉の遺言「終末を思え、道は開かれる」http://bunshun.jp/articles/-/5625 に続く

ごとう・べん/作家。1929年北海道函館市生まれ。東北大学法学部卒。ライターとして『女性自身』創刊時から活躍。1973年に『ノストラダムスの大予言』を刊行、大ベストセラーとなりシリーズ化される。ほかの著書に『アメリカへの離縁状』『幻の超古代帝国アスカ』など。

写真=佐藤亘/文藝春秋

(笹山 敬輔)