塩崎さんが乳がんの告知を受けたのはまだ33歳のことだった。経営していたドレスのレンタルショップを閉め、会社も健康も失って残ったのは“患者”というアイデンティティのみ。そこからどう立ち上がり、二度目の起業を果たしたのか――。■闘病経験から生まれたブランド「『患者さん』と呼ばれて死ぬのは悲しい。だから、私の作る服は『患者らしくより私らしく』がコンセプトなんです」。TOKIMEKU JAPAN社長塩崎良子さん花のよう