『聲の形』終了で話題になりつつある、ろうあ問題と手話。どのような現実があるのか。
ろう問題の深い部分に斬りこんで話題になったノンフィクション『累犯障害者』山本譲司/新潮社

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『聲の形』最終巻の7巻の122Pに、気になるシーンがあった。
耳の聞こえない少女・西宮が、少年・石田に手話で話すシーンだ。

スムーズに手話で会話できるようになった二人。石田は西宮に「何をやりたいと思ってるの、西宮は」と手話で聞く。
西宮はめちゃくちゃ悩む。
結果、彼女は右の指ではさみをつくり、左の指でクシを持つ手話をする。
一瞬、石田は意味がわからなくなり、間ができる。
同じ手話のポーズを取ってから、答える。
「ああー、この手話ってあれか! びようしな!」
なぜかここだけ、確認している。

このマンガで描かれる手話は、手話放送で使われているものとほぼ同じ。
早速、「びよういん」「りようし」の手話の表現。動画で確認してみた。
びよういん - 手話辞典
美容師 NHK手話CG
理容師 NHK手話CG
あれ、違うぞ?

「マンガの手話描写が間違っている」わけではない。
そもそも手話は、100%統一されてはいない。

NHKで放送されている「ろうを生きる 難聴を生きる」。
ろうあの人たちがどう暮らしているかを記録した番組だ。

10月5日放送された「“ご当地手話”を伝えたい」の回。
ご当地だから、他の地域にない独特の言葉がある。さてどう伝えるか。
手話サークルのみんなで、新しい手話を作っていく様子が放映された。

例えば「土が肥える」という表現をどうするか。
通常は「土」「太る」と表現する。
しかし「土」「元気になる(活力がある)」と表現しても、伝わる。
手話は、時には人間の声よりも、多くのニュアンスを含むことがある。
新しい手話が生まれることで、コミュニケーションを円滑にできるよう、聴者とろうあ者の間で工夫されて続けている。

一方山本譲司『累犯障害者』の中で、NHK手話ニュースについて、あるろうあ者の発言を載せている。
「聴者がキャスターの時は 『手話ニュース』は絶対見ない。なぜなら 私たちろうあ者には 何を言ってるのかほとんど理解できないからです。だから 私がニュースを見るのは ろう者である木村晴美さんがキャスターをやっている時だけです」
これには驚いた。
なぜ手話なのに伝わらないのだろう?

ろう者キャスターであり、雑誌『現代思想』で「ろう文化宣言」を発表している木村晴美は、聴者が使う日本語対応手話についてこう語る。
「頭の中で翻訳しながら見なくてはならないので 非常に疲れる。20分が限度」
聴者の日本語対応手話と、最初から耳が聴こえない人の手話は別物だというのだ。
特に音声言語で使われる抽象的な言葉の意味は、聴者の使う手話では、ほぼ伝わらない。
著者の山本譲司いわく、「ほとんどのろうあ者は、手話で考え、手話で夢を見るそうだ」。根本的に聴者と感覚が異なる。

デフ・コミュニティという言葉がある。
ろうあの人が、手話を基本とした「ろう文化」でコミュニケーションを取る、「ろう者社会」だ。
ろうあ者同士の結婚は9割以上。デフ・ファミリーが形成され、デフ・コミュニティにつながっていく。
「このコミュニティの結びつきは、非常に強固だ。それは、聴者社会にはない、独特の文化を共有しているからであろう」
加害者・被害者の両方がろうあ者である犯罪は多い。手話で恐喝や詐欺をするのだ。
ろうあ者だけのヤクザ組合も存在している。

「聾学校の先生に『手話は口語と比べて劣ったもの』という考えを植え付けられていました。ですから 家に帰って 両親と手話で話す時には 罪悪感すら感じていました」。
聾学校の発音訓練で、川本口話賞(1999年に廃止)をもらった木村晴美。「発音がいいからといって賞をもらっても 私たちには その自分の声は聞こえていないんです。したがって どこが評価されているのか 当事者がわかっていない。これって おかしな話ですよね」
ろうあ者に口語や日本語対応手話を教えることがある。しかし多少「口話」できたとしても、聴者社会の中にあっては、ろうあ者たちをかえって孤立させ、結局デフ・コミュニティに帰っていく、と著者は言う。
「われわれ聴者はろうあ者に対して、極めて無慈悲だったことがわかる。結局は、そんな聴者社会が、彼らろうあ者を「狭い社会」へと追い込んでいたのではないか、と思えてくる」

木村晴美「でも 自分たちが置かれている現実について 何も疑問に思っていないろう者が多いということも事実です。それに 自分たちは聴者とは違う独自の文化を持っているということを まるで自覚していないろう者もいます」
聴者とは異なる文化や常識を有する、ろうあ者社会。
ぼく自身もこの本を読むまで、結婚も犯罪もろうあ者同士が多い、という事実を知らなかった。手話が統一されたら便利なのに、とも正直思っていた。
このような事実を知らなければ、聴者とろうあ者の溝は、埋まりようがない。

手話が持つ、豊かな文化。
手話で、閉じてしまった文化。
『聲の形』に興味のある人は、「ろうを生きる」「累犯障害者」ともに見てみて欲しい。

(たまごまご)