まだ日本で起業しているの?〜フィリピンで起業した日本人の話〜/小槻 博文
子ども向けオンライン英会話のベンチャーへ取材を申し込んだのが彼との出逢いだった。しかし会うや否や取材を拒み始めたのだ。取材を申し込んでも断られることは多いが、断るつもりならば会う必要は無かったはずだ。その疑問に「メールで断るのは失礼だと思ったので」と答えた彼の真っ直ぐな目を今でも覚えている。
そして2014年、2年ぶりに再会、この夏フィリピンで起業することを打ち明けられた。

<取材・執筆・撮影>広報・PR情報サイト「広報スタートアップのススメ」 編集部http://www.pr-startup.com/

2012年冬、子ども向けのオンライン英会話を展開するベンチャーへ取材を申し込んだのが、彼との出逢いだった。しかし取材当日、いざインタビューを始めようとすると「僕は何も話せるようなことは出来ていません」と取材を拒み始めた。

取材を申し込んでも断られることは多い。しかし最初から断るつもりならば会う必要は無かったはずだ。その疑問に「せっかく申し込んでくれたのに、メールで断るのは失礼だと思ったので」と答えた彼の真っ直ぐな目を今でも覚えている。そして「なんと律儀な人なのだろう」と結局2時間くらいお互いのことを語り合った。

それ以降彼のことが気になりながらもお互い多忙を極めて会う機会がなかったが、2014年初夏に2年ぶりに再会し、そしてこの夏フィリピンで起業することを打ち明けられた。

.

===幼少期から起業を志向===

マニラから飛行機で約1時間30分、人口約12万人のフィリピンの地方都市・ドゥマゲティ。日本人にとってはあまりなじみがない町で、この夏ある日本人起業家が起業した。

彼の名は松岡良彦。幼少期に両親が離婚をしたが、新しい父親は起業家であり、朝から晩まで家族を養うために奮闘する背中を見て、松岡氏は幼心に「大人になったら会社を立ち上げて、皆で楽しく暮らせるように頑張ろう」と起業を志向していくことになった。

その後紆余曲折を経ながらも2009年、27歳の時に当時日本初となる子ども専門のオンライン英会話を立ち上げた。事業は順調に推移したが、成長するにつれて共同創業者と方向性の違いが生じ始めてしまい、最終的に2013年3月に同社の全株式を譲渡して代表取締役を退くことに。そしてあてもないままに、とりあえず前職で所縁のあったフィリピンに旅立ったのが新たな転機となった。



(画像)工事責任者と打ち合わせする松岡氏(左)

.

===英語大国・フィリピン===

フィリピンは、アメリカ占領の歴史に加えて、約7,000の島々から成り立ち約120言語も存在するため、英語が第2公用語として法律で定められていることから、日常的に英語があふれかえっている環境であり、フィリピン人の多くは英語を話す。

そのため最近流行りのオンライン英会話でも講師の多くはフィリピン人だったり、日本から近くて安いことから短期留学先として人気だったりするなど、英会話ビジネスにおいて現在フィリピンは注目されている国の一つだ。そしてその中でも特に人気なのが「セブ」。セブへの年間日本人来訪者は約10万人だが、そのうちの約3割が留学を目的にしているとされており、その人気に伴ってこの数年で数多くの留学スクールがセブに開設された。

しかしその多くは、せっかく異国の地に来たというのに終日電話ボックスのような個室に閉じ込められ、外出はおろか、他の生徒や地元民と交流することもままならない。そんな実情に松岡氏は違和感を覚えるようになっていった。確かに英語を学ぶことも大切であるが、しかしそれ以上に異国の文化に触れたり、日本ではなかなか出来ない体験をしたりすることで“人”としての学びがあるはずだ。そう考えた松岡氏は「体験を通じて英語を学ぶ」、そんな学校をつくるべくフィリピンでの起業を決意した。



(画像)松岡氏が立ち上げた留学スクールのWEBサイト

.

===理想の英語学習の場をつくるために===

松岡氏は学校をつくるにあたり、日本人に人気のセブではなく、あえて日本人になじみの薄いドゥマゲティという町を拠点にすることにした。

「ドゥマゲティは人口約12万人ですが、シリマン大学、フォンデーション大学、セントポール大学、ノース大学など数多くの大学があり、実に約3万人が大学生という学園都市です。したがって教育水準も高く、治安も日本と同様、いやそれ以上に安全な町なのです。しかしフィリピンはマニラを中心に経済発展し、マニラからの距離に比例してその成長度合いは低くなっていきます。したがってマニラやセブは確かに都会ですが、ドゥマゲティはまだまだ発展途上であり、今後の成長の伸びしろは非常に高いと言えます。実際最近は欧米の先進企業が進出してくるなど、これからまさに成長が始まろうとしている地域なのです。」(松岡氏)

実際フィリピンはまさに現在経済成長期を迎えており、フィリピンで起業しようと渡比する日本人も年々増えているが、その多くはマニラやセブであり、まだまだドゥマゲティで起業する日本人は皆無に等しい。しかしだからこそ松岡氏はそのポテンシャルにひかれたのだ。



(画像)ドゥマゲティのダウンタウン

そしてそんなドゥマゲティに総面積約2,000平米の学校をつくるべく、現在改修・建築を進めている。既に一部は完成しており、8月から先行して完成した建物で授業を行っているが、年内にはすべての開発が完成する予定だ。そして単なる“学校”ではなく、留学生たちが居心地よく、そして楽しく過ごすことが出来る、そんな環境をつくろうとしている。

「学校のほかにも、敷地内で農業を出来るように畑をつくったり、リゾート型の宿舎を建てたりするなど、ちょっとしたシムシティですね(笑)」(松岡氏)

またカリキュラムも、1日中缶詰めになるようなものではなく、スクールでの座学は午前中にとどめ、午後からは町に出たり近郊に足を伸ばしたりして、アクティビティ(冒険)を楽しみながら実践的な英語を身につけられるように工夫している。





(画像)車を数十分走らせれば大自然あふれる環境が<上:アポアイランド、下:バレンシア>.

.

===「やりたい」がすべての原動力===

今回の起業に際して、松岡氏は家族でフィリピンに移住した。家族は異国の地に移住することに不安がなかったのだろうか。

「正直それまでの彼はモチベーションをすっかり失ってしまい、見ているだけで悲惨な状況でした。しかし学校をつくろうと思い立ってからの彼は、日に日に生き生きとしていくのが手に取るように分かりました。そんな彼を見ていたら、家族として応援してあげたいと思うようになり、移住することにも特に反対しませんでした。」(奥さんの松岡優さん)

そして松岡氏には異国の地で起業することに対する不安は無かったのか聞いた。

「儲かるか儲からないかなんて全く考えなかった。やりたいと思ったら、それを実現させようとがむしゃらだった。」(松岡氏)

やりたいと思わないことを儲かりそうだからという理由だけで始めても、長続きはしないだろう。そうではなく「やりたいこと」が原点であり、そのうえで「続ける」ためにどう収益を上げていくかを考える、これが自然な流れではないだろうか。

日本とは勝手が異なる異国の地での起業ということで、これからもさまざまな課題にぶつかっていくことだろう。しかし「やりたい」という想いがある限り、きっと乗り越えていけるに違いない。