イタリアのウディネにサッカーの試合を観戦取材に行った時の話。90年頃だったと思うが、ホテルにチェックインしようと、名前や住所を用紙に記入していると、フロントのご主人は、こちらの国籍を確認するやこう語りかけてきた。
 
「私はオカベテツヤのファンクラブ員なんだ」
 
 その日本人名がイタリア語の響きだったこともあるが、こちらがきょとんとしていると「アンタ知らないのか?」と言いながら、彼は背後の壁に掲げてある直筆サイン入りの応援旗を指さした。
 
 岡部哲也はアルペンのスラローマーで、当時、W杯で第1シードを張る、世界のベスト15の1人だった。ウディネは欧州アルプスの麓に広がる町。ホテルのご主人は、中ヨーロッパで行われるレースには、しょっちゅう応援に駆けつけていると胸を張った。
 
 なにを隠そう、僕もこの頃、サッカーと抱き合わせでアルペンの取材によく出かけていて、岡部哲也のレースにも何度となく足を運んでいた。少なくとも一般的な日本人より、彼のことはよく知っていたので、事態はすぐに飲み込めたのだが、サッカー取材に出かけていった町で、まさか、日本では知る人ぞ知るスキーヤーの熱烈なファンに遭遇するとは思わなかった。
 
 アルペンスキーW杯の模様は、冬場に欧州を訪れれば、テレビを通して簡単に目にすることができる。イタリアのガゼッタ紙は、アルペンを一面に掲載することも再三ある。あるとき、ミランのホテルに泊まった際、ホテルのポーターやフロントマンたちに尋ねてみた。アルベルト・トンバとロベルト・バッジョ、イタリアではどっちがスポーツ選手として格上か。
 
 答えはトンバ。ボディランゲージを交えながら「こーんなに違う」と。それはアルペンの地位の高さを物語るものでもあった。
 
 岡部哲也の知名度のほども偲ばれた。日本より本場で有名な選手。欧州で最も有名なスポーツ選手といえば当時、自転車の中野浩一さんだと言われたが、岡部哲也も全く負けていない感じだった。

 アルペンスキーW杯の会場であるとき、外国人の通信社系の記者が、こちらが日本人であることを確認すると、その時、入ってきたばかりだという速報ニュースを伝えてくれた。

「カサイノリアキって言う日本人の選手が、ジャンプのW杯で3位に入ったぞ」

 その後、立て続けにW杯で好成績を上げた葛西紀明は「カミカゼ・カサイ」の名で欧州に知られるようになる。欧州で最も有名な日本人スポーツ選手の仲間入りを果たすことになった。

 その何年か後、欧州では「ナカタ」の名前が有名になった。町を歩けば、「ナカタ」と声を掛けられることは珍しくなかった。中田英寿もまた欧州で最も有名な日本人スポーツ選手の仲間入りを果たしたわけだが、彼は、日本でも1、2を争う有名スポーツ選手だった。その取材現場には、日本人記者が大挙駆けつけ取材合戦を繰り広げた。それに続いた小野伸二も、中村俊輔もしかり。彼らの周りには多くの日本人が群がっていた。
 
 フェイエノールトがドルトムントを破り優勝したUEFA杯決勝の現場には、小野を追いかけて40人を超す日本人が駆けつけた。その他の外国人記者が100人だったのに対して、だ。適正値を大幅に超える日本人取材陣が、UEFA杯決勝の記者席を埋める光景に、気恥ずかしくなった記憶がある。UEFAの広報も、いったい日本人はどうしたんだと目を白黒させていた。

 サッカーの取材者は常軌を逸するほど多く、スキーは寂しくなるほど少ない。記事の扱いはきわめて小さい。それぞれのバランスはきわめて悪い。どちらもあまり格好のよい話ではない。

 サッカーは日本より強いのに、サッカーのスター選手よりアルペンのスター選手をナンバーワンと讃えるイタリア。両者を比較すると、日本スポーツ界の問題は浮き彫りになる。その時、コマーシャルベースに乗っている人は必要以上に騒がれ、それに乗っていない選手は、知る人ぞ知る域に追いやられる。成績に関係なく、だ。日本より欧州で有名なスポーツ選手が存在すること自体が間違い。恥じるべき話だと思う。