『プリキュア シンドローム!』(加藤レイズナ/幻冬舎)を手に、公開講座を終えたばかりの加藤レイズナと吉田正高。

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「高校出ると、なにもやりたくなくて。やりたいことは挫折して。卒業して東京へ行くんですけど、ニートだったんです」
語っているのは加藤レイズナ、25歳。
聞き手は、コンテンツ学研究者の吉田正高。

「お金はどうしたの?」
「フリーター。お金が無くなるとバイトして。だから、ニート、フリーター、ニート、フリーターって生活で。ニーフリニーフリの繰り返し」
「バイトって?」
「警備とか」
「自宅?」
「ニーのときは自宅警備。ネット、ずっとやってましたね」

公開講義である。
場所は、東北芸術工科大学大学院仙台スクール。
タイトルは「2012年のいま、コンテンツを「語る」ということー『プリキュア シンドローム!』の衝撃ー」。
アニメ「プリキュア5」シリーズ制作陣25人のインタビュー集『プリキュア・シンドローム!』の著者加藤レイズナが語り手だ。

「そもそもなんでライターになったの?」という質問に、加藤レイズナは、自分の苦しかった「ニート、フリーター時代」から語り始めた。
「友達が、なんかやろうぜって。なにやる? ゲームやって喋ろう、って。まだ「ゲーム実況」って名称すらなかったから」
ゲーム実況をはじめる。
「最初は、ネット配信してた。おれ、ゲームやるから見てよ、って感じで、友達が見てるだけ。でも、それが拡がっていった。ニコニコ動画にアップしたら観てくれる人が増えてきた」
ゲーム実況者として人気が出てくる。
そこに、メールが届く。
「編集者って人からメールがきた。ゲーム実況をやってた4人に、なんか書いてみないかって」
ゲーム実況動画「THE・加藤 新章 〜ダックハント〜」「草木も眠る丑三つ時に弟切草を実況すると怖い」を、途中、実際に見ながらトークは進む。

ーーそれで、何を書くことにしたんですか?
「ブログで、プリキュアのイベントレポを書いてたんですよ」
女児向けアニメのプリキュアシリーズに、加藤レイズナはハマっていた。
「こどもむけアニメなのに、大人のあなたが何で好きなの? って編集の人に言われて、えっ!?みたいな」
2008年10月、雑誌『クイックジャパンVOL.80』に、プリキュアシリーズのコラムを書いてデビュー。

「ライターになりたいとか、文章を仕事にする、って考えてなかった。そもそも、よく分かってなかった。でも、なにもやってないし、やってみようかなって」

「webマガジン幻冬舎」で「実況野郎B-TEAM」の連載を開始する。

「もう、ただ、プリキュアのプロデューサーに話が聞ける!ってだけで。当時、プリキュアは、アニメ雑誌にほとんど出てなかったんです、こども向けなので。情報があまりなかった」
当時を思い出しながら、加藤レイズナはそう語る。
「本にするつもりは、まったくなかった。プロデューサーの鷲尾さんにインタビューしたら、鷲尾さんがすごくおもしろかった。2009年の夏です。いつか本にできるといいなって思いはじめた」
幻冬舎に企画を通して、本を作ることになる。
「最初は、ファンとして聞いてた。このシーンはどういう意図か、とか。それしか聞けなかった。でも、人に話を聞くということがおもしろいなってことに気づいて。鷲尾さんがどういう学生生活を送って、どういう姿勢で作品を作っているのかが気になってきた」
ーーインタビュアーの本当に大切なのは引き出すことで、加藤さん、それが、うまい。秘訣は?
「自分が気になったことを聞いているだけ。演出って何をやってる人なんですか、とか」
ーー分かってる人が聞いちゃうと、先回りしちゃうけど、そういうことがないよね。どのへんまでが戦略で、どのへんが素なの?
「もちろん、分かってないことにして聞いている部分と本当に分かってない部分と両方あるけれど、知らないことを聞いてます。そんなこと知らないの、って思われるかもしれないので、けっこう怖いですけどね」
ーーでも、大人、怒らないでしょ。
「そうですね、まあw」
ーー気をつけたことは?
「だれが聞いても同じになるようなものにはしたくなかった。加藤レイズナは未熟なライターだと思われるかもしれない。でも、それは正しい。そういうキャラでやってるので」
『プリキュア シンドローム!』は分厚い。ほぼ600ページ。
「こども向けアニメだから、ここまで真剣に作ってるって想像できてなかった。真剣に作ってた、妥協してなかった。こんなに真剣なんだ、なんだ、これは、大人がなんでこんなに真剣なんだ、って、それでこんなに分厚い本になってしまった」
ーー加藤さんも、真剣になってきた。
「なんで仕事に一生懸命にならなきゃいけないんだって、以前は思ってたんですけどね。実際に仕事やってなかったし」
ーー仕事って、金のためだけじゃなくて、真剣にやらないと、おもしろくないからね。
「そうですよね。失敗しても何も失うものはなかった、職もなかったし。情熱っていうとあれですけど、やる気と、好きなモノを知りたいって気持ち、ぼくが持っていたものはそれだけだった。ライターですらなかった。そのまま、プリキュアの制作陣たちの現場に飛び込んだんです」
ーー初期衝動だよね。初期衝動でものをつくる人って、すごいものを作るよね。

ニーフリニーフリの繰り返しから、ライターの道へ一歩踏み出した青年は「これから進んでいきたい道筋」を聞かれて、照れる。
「いやいやいやどうですかね。ものをつくってる人にどんどん話を聞いていきたいっていうのは、あるんです。でも、まだ、悩んでいる段階で、どこに進んでいけばいいのか迷ってます」
迷いながら、つまずきながら、歩いていくライターの姿が、そこにはあった。

このイベントの聞き手だった吉田正高が会長を務めるコンテンツ文化史学会の「コンテンツと記憶」が12月15日(土)、16日(日)に開催される。「アイドルグループSKE48の楽曲分析」「ファミコン時代の新規参入と開発」「ゾンビ映画の観光社会学」「電脳連鎖がぷよらーを襲う」「コンテンツとアーカイブ」など、多彩なテーマで展開。こちらも、ぜひ。
(米光一成)