「終活も断捨離もクソくらえ!」高橋ジョージ68歳、長年会えなかった娘の言葉を燃料に生きる“隠居しない”ロック魂
『ロード(第1章)』のヒットから33年。ロックバンド・THE虎舞竜のボーカルとして、また、世間を賑わせた離婚劇の当事者として、高橋ジョージは常に多くの視線を浴びてきた。そんな彼が一人娘と最後に会えなくなったのは、2014年3月23日のことだ。
【画像】「モラハラ」と言われた時の衝撃について語る高橋ジョージ
それから自らに「10年」という“服役”を課し、会えない日々が続いた。ところが2024年のまさに同じ3月23日、娘から突然の連絡が届く。約束の期限ぴったりに訪れた再会。我が子との時間を、高橋はどう受け止めたのか。(前後編の前編)
「自分で自分にプリズン」娘から届いたメール
「最後に会ったのが2014年の3月23日だったんですよ。大阪でライブがあって、娘が来てくれて、ご飯を食べて、一泊して。翌日、駅前の横断歩道で娘を(元義母に)引き渡した。タクシーの窓からずっとこっちを見てる娘の顔が、ずっと焼きついてて。それで自分の中で決めたんです。よし、10年頑張ろうって」(高橋、以下同)
離婚をめぐる調停や裁判、財産分与の話し合いは長く続き、その10年のあいだ、娘と直接顔を合わせることができたのはたった一度きり。それも財産分与の交渉の席上、双方の弁護士が立ち会うかたちでの、わずか2時間ほどの再会だったという。
「そもそもモラハラなんて言葉を知らなかったし、攻撃しているつもりはなかったけど、俺は多分、妻と娘を傷つけていたんだと思う。理由がどうであれ、子どもまで苦しんだのは事実だから」
それはもう受け止めるしかない。失意の中、高橋は、こんな決意をする。
「自分で自分にプリズン。刑務所の中に入っているのと同じように、そこに10年入ろうって決めたんです。それでも、自分は好きなものは食べられるし、好きなときに歌える、好きなところへ行くことだってできる。だから全然、ありがたい刑務所ではあるんですけどね。でも、娘には会えない」
そして迎えた2024年3月23日の朝、高橋のもとに、娘からメールが届いた。
「『高橋さん、ごぶさたしています。お元気ですか』みたいな感じで来たんですよ。最初は誰かのイタズラかと思ったくらい。でも読んでいくうちに、これは本人だとわかって。まさかぴったり10年後のこの日に来るとは思わなかった。俺、人生には台本があるんじゃないかって、本気で思いましたね」
連絡を取り合ったのち、娘は高橋のもとで一緒に暮らすことになった。その日取りに、娘自身がこだわった。
「『6月9日に行きたい』って娘が言うんです。『ロックの日だから』、と。もう俺、それだけでオッケーオッケー、さすが俺の娘だって(笑)。それで一緒に暮らし始めて、ちょうど2週間目に、娘は次の場所へと巣立っていきました」
わずか2週間の同居生活のなかで、高橋が忘れられない一言がある。
「『パパの言ってることは正しいんだけど、言い方がね』って言われたんです。周りのスタッフに話したら、みんな『それ、俺も前から思ってた』みたいな顔するんですよ(笑)」
「正しいことを言えばいいってわけじゃない」
17歳のときに、ロック歌手になろうと故郷の宮城県から単身で上京。頼れる人もほとんどいない中、がむしゃらにもがいて、記録に残る大ヒット曲も世に出した。自分自身、そしてTHE虎舞竜を信じてきた結果だ。
「酸いも甘いも噛み分けて、なんでも知っている俺が、他の人たちが間違った道に行かないように諭していたつもりだった」--そのツケが、こんな形で自分に降り掛かってきたとは。初めて気づいた瞬間だった。
「誰にもあそこまでハッキリ言われたことなんてなかったから、効いたんですよね。子どもに言われると、なぜか素直に受け止められたし、直そうと本気で思えた」
もうひとつ、忘れられない気づきがある。家であれこれ口うるさく言ってしまったあとに、娘がふと漏らした「ちゃんと言ってくれる。そういうとこ、好きだよ」というひと言だ。
「『正しいけど言い方が』っていう指摘と、『そういうとこが好き』っていう肯定。すごく、救われましたね」
まさにアメとムチのような言葉だったと苦笑いするが、
「長年、ヒット曲を持っていることが自分の最大の財産だと思ってきたけど、この2つの言葉はそれと並ぶくらい、今の自分にとって大事なものになりました」
音楽的な刺激というより、高橋が娘から受け取っているのは「生き方」そのものへの気づきだったという。
「正しいことを言えばいいってわけじゃないんだって、この歳になって気づかされました。正しさって、時に人を傷つけるんですよ。それに気づけたのは娘のおかげ。俺の周りにも同じように悩んでる男、いっぱいいますよ。だから『お前も気づけよ』って、いつも布教するように言っているんです(笑)」
当時、自身の言動が「モラハラ」と指摘されたことについて、高橋は現在こう振り返る。
「俺もたしかに最初は理由がわからなかった。でも今になると、よくぞ教えてくれた、って思うんですよね」
時代が違えば許されていたことも、今は違う。それは受け入れなければいけない。いや、「許されていた」と思っていたことは、ただの驕りであって、世間に対する甘えだったのかもしれない--。高橋は腕を組み、うなだれる。その姿は「人はいくつになっても反省することができ、成長することもできる」ということを体現しているかのようだ。
「この前も娘がね、一人暮らしのための部屋を借りるっていうんです。見せてもらったらすごく安い家賃で、角部屋で。なんかあるんじゃないかって、親心としては心配ですよ。でもね、そこで頭ごなしに『ダメだ!』と言ってはいけない。以前の俺だったら絶対認めなかった。でも『うんうん』て、まず聞けるようになったんですよ。娘も大人だしね。娘なりの考えがあるから」
「終活も断捨離もクソくらえ」
高橋は今年8月に68歳を迎えた。同世代で“終活”や“断捨離”が話題になることも増えたが、高橋の反応は明快だ。
「終活とか断捨離とか、なんか世間がむりやり流行らせてる感じがして、俺は好きじゃない。整理しておきたいとか、子どものためにお金を残しておきたいとか言うけど、それ、子どもが嫌がることだったりするんですよ。子どもからしてみれば、いつまでも自分たち(子ども)のためにって親が生活するより、親自身の人生を自由に謳歌してほしいって思っている場合もある。終活とかって子どもたちに自分の親としての権威を押し付けてるんじゃないの?っていう」
自分が良かれと思ってやっていたことは、身内に対しての負担になっているかもしれない。それに気づいた彼ゆえの見解だ。
行きたいところに行って、やりたいことをやったほうがいい。お金は自分のために使ったほうがいい。そして、いくつになっても学び続けたほうがいい。
「終活も断捨離もクソくらえ、ですよ。どうして自分のリミットを簡単に決めちゃうの?」
誰かの価値観を盲信するのでも、自分の価値観を押し付けるわけでもない。
「今はおかげさまで、好きな時間に起きて、好きなときにスタジオに行って、会いたい人に会う。こんな生活を続けられていて、とても贅沢だと思っています。でもね、ボランティアとか、人のために何かしたいという気持ちは止まらないんだよね。やっぱりこういう仕事で食べてきているからさ」
今年の6月9日、THE虎舞竜として「ロックの日」にちなみ新曲のリリースと新レーベルの発足を発表。加えて全国の盆踊りを自身が行脚するプロジェクトを発表したのも、その延長線上にある。
「隠居なんか絶対しない(笑)。『まだまだこれからだろ』って話ですよ。『ジジイ、もういいから!』って言われるくらいまでやりますよ。一生、ラブ&ピースのために歌いたい。みんな毎日を一生懸命生きてほしい。それだけです」
娘の言葉は、いくつになっても転がり続ける高橋のロック魂の、強力な燃料となっている。
(後編はこちら)
取材・文/木原みぎわ
(撮影/佐藤靖彦)
