Full-Countの独占取材に応じた阿部慎之助氏【写真:荒川祐史】

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騒動後インタビューに応じたのは初めてのこと

 巨人の監督を辞任してから約3か月。阿部慎之助氏がFull-Countの独占取材に応じた。メディアのインタビューに応じるのは辞任後初めてとなる。ファンに対しては「申し訳ない。今でもずっと思っています」と改めて謝罪。けじめとして家族に禁酒を約束したことも明かした。辞任当時からの心境、チームへの思い、家族との向き合い方、そして野球人としての今後を語った。【聞き手・楢崎豊】

--プロ野球の現役監督が現行犯逮捕されるというニュース。世間に与えた衝撃も大きかったと思います。当時を振り返って、どのように感じていますか。

「現役監督が逮捕されるという前代未聞のことをしてしまった。お世話になったジャイアンツに多大なるご迷惑をおかけしたと思っています。これまで数々の方が監督を務めてこられましたが、その名を汚してしまった。その重さは分かっていましたし、今も猛省しています」

--あの日は5月25日(月)の夜、試合がない日でした。どのように過ごされていたのでしょうか。

「その日は休日で、日課の朝のランニングがあるので早めに夕食をとって寝ようと思っていました。食事をとり始めると、長女と次女が食卓で言い合いを始めたので仲裁に入りました。ただ、長女が強い口調で次女に言っていて、それを止めたのが気に入らなかったのか、今度は僕に当たってきて、僕はカッとなってしまった」

--どのような形で仲裁に入ったのですか。

「『まあまあ』という感じで止めていました。そこで長女が僕に言い返してきて、カッとなってしまって。襟元をつかんで立ち上がらせた。その瞬間には次女と妻が止めに入ってくれて、もみくちゃになりました。押し倒したような形になってしまったというのが事実です」

--警察が来たのは、その1時間後のことでしょうか。
「1時間弱だったと思います。もみくちゃになったときに妻が僕を叱責して、ふと我に返りました。騒動はそれでおさまり、長女はすぐに自分の部屋に行ってしまいました。食卓が散らかっていたので妻と一緒に片付けて、その後、2人で話をしていた午後7時40分ごろ、突然インターホンが鳴った。妻が玄関に出て、警察官を迎え入れたという形でした」

--そこで警察官の方と、阿部さんもお話をされたのですか。

「最初は長女と妻が話を聞かれていて、10分もしないうちに僕が呼ばれました。『何があったんですか』と聞かれたので『親子のけんかで、もみくちゃになりました』と。警察官からは『児童相談所からの通報で来ました』と言われ、そのとき長女が児童相談所に通報したことを知りました。長女は僕とあのようなトラブルになってしまったのは初めてで、誰かに相談したいという思いで児童相談所に電話をかけたようです。その後警察官からすぐに『必要なもの、羽織るものと貴重品を持ってきてください』と。指示通りに動き、その流れで、現行犯逮捕すると告げられました」

--その場で告げられ、手錠をかけられたのですか。

「はい……」

監督を辞めないといけないと瞬時に思った

--驚きはありませんでしたか。

「家族全員が唖然としていたのは確かです。家族の目の前で手錠をかけられましたから」

--そのとき、脳裏に浮かんだことは。

「警察官の姿を見て、身分証を取りに行った時点で、監督を辞めなければならないと覚悟しました。そして手錠をかけられる前に急いで球団の幹部に電話をしました。電話がつながらなかったので、LINEで『警察に行きます。監督を辞めないといけない』と伝えました。折り返し球団幹部から電話があったので『LINEの通りです』とだけお伝えして電話を切りました。そして手錠をかけられ、パトカーに乗りました」

--この時点で、辞任することを決意されたということでしょうか。

「警察沙汰になった以上、監督を辞めなくてはいけないということは瞬時に浮かびましたし、ジャイアンツに迷惑がかかるということも浮かびました」

--渋谷警察署で聴取を受け、深夜に釈放。翌朝には巨人・山口寿一オーナーを訪ねられました。

「翌朝一番で山口オーナーにお会いして、謝罪をさせていただき、僕から辞任を申し出ました。オーナーからは厳しい言葉もかけられましたが、一方で温かい言葉もいただきました。自分の中では名を汚してしまったという思いが一番でしたから、自分の口でファンの方々、世間の皆様に謝罪をしたいので、すぐに記者会見をやらせていただけないかと即座にお願いしました」

--その後、逮捕の前後に泥酔していた、他のご家族にも日常的な暴力があったという報道も出ました。どう受け止めていますか。

「どのような取材をして、なぜそういう話が出てくるのか疑問に思っていました。悪いことをした、ひどいことをしてしまったというのは事実です。ただ、それ以上に過熱した報道がされていましたので、家族、特に長女が傷ついたのは間違いないかなと思いました」

若手の活躍に「その場にいられなかった申し訳なさがある」

--それから初めて野球に直接携わらない立場になりました。「新しいジャイアンツをつくる」と宣言したチームは今、首位を争ってがんばっています。

「監督を引き受けた1年目に『守り勝つ』ということを指針として挙げ、3年目の今年は、若い選手の育成と勝つことの両立という一番難しいことにチャレンジするため、新しいジャイアンツをつくるんだと決意して、1月に球団の全スタッフが集まるスタッフミーティングで宣言しました。今それを継承する形で橋上(秀樹監督代行)さんがやってくださっている。選手の頑張りはもちろん、残してしまったコーチ陣と橋上さんに頭が上がりません」

--印象に残っている場面は。

「浦田(俊輔)だったり、僕が2軍監督のときから頑張ってくれていた井上(温大)だったり、そういう若い選手が今どんどん出てきてくれて、見ていて本当にワクワクします。テレビで見ていても感動しましたし、その場にいられなかった申し訳なさもありました。」

--浦田俊輔選手は今年、新人王を取れるぐらいの位置につけています。

「近い将来、必ず必要なピースになるだろうというのは感じていましたし、そうならせるんだということも考えながら起用していました。浦田には日頃から『相手から嫌がられる選手になってほしい』と言っていました。昨年5月、2度目の2軍降格となったときには厳しいことも言ってしまいましたが、あそこから変わってくれたのかなと思う」

--井上温大投手は今年、2桁勝利を挙げています。変化は感じていますか?

「マウンドでの立ち姿が変わったなと感じましたし、自分の投球でミスをしたら、それを自分で表現できるようにもなってきた。冷静に判断できるぐらいになれたんだなと。10勝しても10敗したら意味がないので、『貯金できるピッチャーがいいピッチャーだよ』とは言っていました」

--橋上監督代行やコーチ陣とは、辞任後どのようなやり取りをされていますか。

「僕は辞任した身ですので、僕から連絡を取ることはできません。いきなり重責を背負わせてしまったことには心が痛みます。ただ、交流戦が終わってリーグ戦が再開する直前に、首脳陣がみんなで会食する『決起集会』を開くので、参加しないかという誘いがありました。誘いをいただいたときは、長女への暴行容疑の刑事処分が出る前でしたので応じるかどうかとても迷いましたが、偶然、6月15日に不起訴処分になって、『みんなが待っているから、ぜひ来てくれ』と言っていただいたため、6月18日の決起集会に顔を出しました。本当に呼んでもらってありがたかったです」

--そのときのコーチ陣はどんな雰囲気でしたか。

「お店に入ると、橋上さんを筆頭に十数人が待っていてくれました。もちろんイ・スンヨプ、ウィーラーの両外国人コーチもいました。話をする中で、みんなで切磋琢磨してやってくれているなというのが分かりました。もちろん、コーチ陣はそれぞれいろいろな思いがあったのでしょうし、僕が辞めてから始まった交流戦ではみんな張り詰めて戦っていたのだと思いますが、そこはあえて聞かず、僕の元気な姿を見せることが大事だと、その日は思いました。みんながチームの勝利のためにやってくれているというのは、僕がやっているときから感じていましたので」

長女と約束「これはけじめだから」と禁酒

--釈放後はどのような生活をしていましたか。

「日課のランニングに出る以外はずっと家にいて、ジャイアンツの試合のある日はテレビで欠かさず見ています。あとは家族と過ごす時間は増えて、出かけるときの送り迎えなどをできる限りしています。夏休みに入ってからは、娘たちも息子も友達と遊びに行ったりしていますが、学校がある時期の方が(一緒の)時間はあるかな、という状況です」

--お酒については、ご自身でけじめをつけられたと。

「長女と話す機会が多く、お酒の話にもなりました。長女には『別にやめなくていいんじゃない?』と言われたのですが、『これはけじめとして、やめるから』と約束しました」

--ご家族の中は今、落ち着いているのでしょうか。

「すごく落ち着いている状況です。騒動の後も子どもたち全員が学校に行ってくれていたので、そこが一番安心でした。ただ、娘たちも息子も、それぞれに傷つけてしまったなという、自分の責任だなというのはすごく思っています。時間をかけてでもフォローしていこうと思います」

--お酒以外のところでの変化はありますか。

「なぜそうなってしまったのかを自分で問いただしていかなければいけないと思っていますので、今はアンガーマネジメントの本も買って読みましたし、専門家の方に話を聞いたりもしています。すぐに習得できるものではないと本にも書かれていました。自分の弱さにも気付けましたし、今はそういうものに出会って前向きにやっているつもりです」

「いつか恩返しの続きを…」

--辞任から約2週間後には、監督復帰を求める13万人分の署名が球団に届けられました。

「ジャイアンツの名を汚した人間に対して、あそこまでのことをしてくださった方々がいる。それはすごくありがたかったです。13万人の方々にこの場で感謝を申し上げたいですし、それが自分がまた前に進むんだという活力にもなっていますので、感謝しかありません」

--今、こうしてご自身の口から話そうと思えるようになったきっかけは。
「お世話になっている方々に、謝罪行脚ではないですけれども、自分の顔を見せて自分の口から謝罪をして、どういう経緯だったのかをしっかり説明する。それが僕の責任かなと感じていました。実際にお会いして話をさせていただくと、そういう方々がいたからこそ僕が監督業をできていたんだなという、ありがたさを身に染みて感じ、13万人の方々を含め、これまで僕に声援を送っていただいた多くの方々に、自分の現状をお伝えすることも責任だなと思って、この場に臨んでいます」

--山口オーナーからの厳しい言葉とは、具体的にどのような言葉でしたか。

「『暴力は決してあってはいけないことだ。それですべてを失うことになる』という厳しいお言葉をいただきました。しかしながら、僕自身の巨人に対する貢献も認めてくださって、それが温かいお言葉でした。辞任する僕のことをここまで考えていただいているんだなと、ありがたさを感じました」

--謝罪行脚では、どのような言葉に温かみを感じましたか。

「決して同情してくださるわけではないのですが、『自分で決断したことだから、また何らかの形で貢献すればいいんじゃないか』『今まで頑張ってきたじゃないか』という励ましの言葉をいただけただけで、僕はもう十分でした。こういう人たちがいたから頑張れたんだなと、改めて思えたところです」

--これからどのように野球界に携わっていくのか、考えられるようにはなりましたか。

「どうしていきたいかという希望は持っていても、辞任している身ですので、僕が言えることではありません」

--ファンの方へは、純粋にどんな思いがありますか。

「申し訳ない、という思いですね。会見で言った通り、裏切るような形になってしまったというのが、やはり事実です。すごく申し訳ない。今でもずっと思っています」

--次の一歩を、どのようにお考えですか。

「原(辰徳)監督から受け継いだとき、20年以上お世話になったジャイアンツに恩返しをするつもりで監督を引き受けました。こういう形で退いてしまったのは心残りがありますし、まだ恩返しができていないなという思いもあります。いつか何らかの形で、恩返しの続きをしなければならないという気持ちでもいます。ただ、それは僕がすべて決められるわけではありません。だけど、今も毎試合、ファンの方と同じ気持ちで応援しています。最後はみんなで喜んでほしいというのが今の率直な思いです」(楢崎豊 / Yutaka Narasaki)