【植村 華音】上りは「DESIRE―情熱―」で、下りは「セカンド・ラブ」……中森明菜の名曲が清瀬駅の”駅メロ”として流れる”心温まる理由”

写真拡大 (全5枚)

列車が離発着する際に奏でられる、地域ゆかりの「駅メロ」は地域住民の熱意で導入された駅も多い。駅メロには「地元愛」が託されているのだ。

前編記事『「ドラえもんや平原綾香ソングが……JR南武線と仙石線で廃止」JR東日本から”駅メロ”が消えていく「心寂しい理由」』に続き、さまざまな思いが込められた”駅メロ”について紹介していく。

「駅メロ」は日本独自の文化

駅で電車の発車を知らせるメロディに「何故この駅にこのメロディが?」と不思議に思うことはないだろうか。

例えば夏の全国高校野球大会のテーマソング、「栄冠は君に輝く」は、JR福島駅で流れている。「甲子園の歌が何故ここで?」と駅で聞く乗客が相当数あるという。これは作曲した古関裕而の故郷が福島と言う縁で、地元住民が働きかけて実現したものだ。

「駅メロ」は日本独自の文化であり、海外では殆ど見当たらない。そもそも発車を知らせるベルの習慣がないためだ。日本ではベルがサービスの一環でメロディになり「ご当地ソング」に進化していった。JR東日本は、地域住民の要望を受け入れる形で導入してきたが、首都圏の私鉄では、鉄道会社側が地域振興のために積極的に導入、昭和歌謡が使われているケースもある。

清瀬駅には「DESIRE」が流れていた

西武鉄道では清瀬駅(東京都清瀬市)で、同市出身の中森明菜の2曲が流れる。駅の開業100周年を記念して2024年6月に開始した。上りは「DESIRE―情熱―」で、都会に向かう通勤・通学客を元気に送り出すため、下りは「セカンド・ラブ」、疲れて帰って来た人を癒やすための選曲だった。清瀬市が企画、選曲には本人も関わり、いずれも思い入れが強い曲という。スタート時には、清瀬市郷土博物館で中森明菜のポストカード4種類、計4000枚が無料配布された。すぐになくなり、ネットオークション等で高値で取引されていたといい、根強い人気ぶりを窺わせる。

自分の歌が駅メロになることを「故郷に錦を飾る」と誇りに思うアーティストは多い。この頃から、中森明菜が表舞台に出ることが増えていった。今年2026年は20年ぶりのツアーや新曲の発表、音楽番組への生出演と活動の幅を広げ、シニア層に差し掛かった往年のファンを勇気づけている。駅前には明菜の「ようこそ清瀬市へ」というパネルが飾られている。

歌手本人が駅メロを聞きにきた

京浜急行では、青物横丁駅(品川区)で島倉千代子の「人生いろいろ」が流れる。

ポップス調の流れるようなメロディと歌詞は、紆余曲折のあった島倉の人生を反映して作られた。青物横丁は、江戸時代の末、農民が収穫した野菜(青物)を持ち寄って市を開いたことからきている地名で、下町らしさが残る。

島倉は程近い北品川で警察官の四女として生まれ、商店街に家族と出かけて、お菓子を買ってもらったなど思い出の詰まった場所だった。

メロディが導入された後、島倉は一人でこっそり聞きに行っている。

2009年1月、「あのう…私、島倉千代子と申しますが…」と駅員に声をかけ、下りホームに案内されてメロディを聴きながら、電車に乗り込む人たちの姿を眺めていたという。

2013年に75歳で病死した際の葬儀で、出棺時に流れたのもこの曲だった。墓所は北品川の寺にある。大きな半円形の墓石の正面には「こころ」の文字、裏には本人と、事情があってこの世に生まれる事が出来なかった水子の名前が刻まれている。本人は生前、「メモリアルな場所にしたい」と話していたといい、今もファンからの生花が絶えない。

「港町十三番地」を聞いて昭和を想う

港町駅(川崎市)は美空ひばりの「港町十三番地」。駅の近くにかつて、大手レコード会社の日本コロムビアの工場があり、ひばりの所属先でもあった。

曲が発表された昭和30年代は港や船乗りがテーマの「マドロス歌謡」がブームで、ホームには船や海の絵と楽譜が描かれ、改札にはひばりの等身大のパネルがある。工場の跡地には現在、タワーマンションが建っており、その一角に往時をしのぶコーナーがある。国産初の円盤レコード、蓄音機などが展示されている。「十三番地」という曲名は音の語呂合わせで、本当の工場の番地は「六番地」だったという。ちなみに島倉も同じコロムビア所属で、ひばりを姉のように慕っていたという。

駅メロをたどる「プチ旅行」に出て、アーチストに思いをはせてみたい。

参考:「西武鉄道の世界」「京急電鉄の世界」(交通新聞社MOOK)

【こちらも読む】『「LUUPは危険な乗り物ではない」…元警察官が人生初めての乗車で感じた「高い利便性」』

【こちらも読む】「LUUPは危険な乗り物ではない」…元警察官が人生初めての乗車で感じた「高い利便性」