【ばけばけ】ネイティブの小泉八雲から習ったのに…「セツ」の英語力がぜんぜん伸びなかった意外な理由
英語が上達しない
「Have you my hat?」「Yes, I have your hat.」「It’s my first time in America.」――。
NHK連続テレビ小説「ばけばけ」の第22週「アタラシ、ノ、ジンセイ。」(3月2日〜7日放送)は、松野トキ(郄石あかり)の英語学習の場面からはじまった。上記のような例文を夫のレフカダ・ヘブン(トミー・バストウ)が発音し、トキがそれを真似るのだが、なかなか上達しない。
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トキの英語学習がはじまったのは、第21週「カク、ノ、ヒト。」(2月23日〜28日放送)の終わりだった。ヘブンの熊本第五中学校(第五高等中学校、現・熊本大学)の同僚であるロバート・ミラー(ジョー・トレメイン)の屋敷である洋館に、夫妻が招かれると、そこではロバートが妻のラン(蓮佛美沙子)と英語で談笑していた。トキはカルチャーショックを受け、同時に、自分も英語をしゃべりたいと思いはじめたのだ。

第22週では、トキはロバートの家を訪ね、ランと会話を重ねて親しくなるとともに、どうしたら英語が上達するか、秘訣を教わった。夫が例文として挙げた英語の発音を、ノートに記していくというのだ。トキは帰宅後、書生の錦織丈(杉田雷麟)や正木清一(日高由起刀)にも手伝ってもらい、英単語をノートに書きつけていった。夜はヘブンのレッスンが続いたが、しかし上達しない。「I want to be with you.(あなたと一緒にいたい)」だけは、なぜか流暢に発音できたが、ほかはからっきしだった。
このあたり、モデルとなった小泉セツの英語学習と、かなり重なるところがある。史実のセツも、明治24年(1891)11月に松江から熊本に転居して以降、英語学習をはじめて熱心に続けたのだが、残念ながら、努力のわりには身につかなかったようなのだ。ただし、史実のセツのほうが、トキよりも時間をかけて英語の習得にチャレンジしている。
2冊の『英語覚え書帳』にぎっしり
「ばけばけ」のトキがヘブンから英語のレッスンを受けるようになったのは、熊本に転居して数カ月経ってからだが、セツはもっと早い時期から英語学習をはじめている。
長谷川洋二氏の『八雲の妻 小泉セツの生涯』(潮文庫)によれば、ヘブンのモデルであるラフカディオ・ハーンは、熊本に来て4カ月足らずの明治25年(1892)3月3日、松江にいる西田千太郎(『ばけばけ』で吉沢亮が演じる錦織友一のモデル)に宛てた手紙で、すでにセツへの英語レッスンは28回におよぶと伝え、さらにこう書いたという。「セツは英語に立派な進歩を示しています。彼女は、夏には大兄に少し英語で話が出来るだろうと考えているのですよ」。
実際、セツの努力の痕跡は、彼女が遺した2冊の『英語覚え書帳』で確認できる。そこには全130ページにわたり、ハーンから聞き取った英語の発音と、その意味が書き込まれていて、セツがいかにがんばったのかが伝わる。ただし、この『覚え書帳』を眺めて、「これで大丈夫なんだろうか?」という感想をいだく人も少なくないのではないだろうか。そこに書き取られている文や単語を、いくつか挙げてみる(日本語はセツの記述したもので、英文はハーンが言ったと思われるものだ)。
「Nothing is the matter. ノオテン・エズ・デー・マトリ(なんでもありません)」「There is a man. デール・エズ・エーマン(男の客一人ニ限ル)」「Do you wish to go? ドー ユー ウエシトー ゴー(あなた行き度か)」「Do you wish to buy? ドー ユー ウエシトー・バエ(貴君 買ひ度か)」「I am very angry(アエ アン・ベロ・アングレー(私立腹)」。
単語もいろいろ記されている。「paper ペーポリ(紙)」「sugar ショゴリ(砂糖)」「it エタ(それ又はその)」「shoe シウ(くつ)」「horse ホロース(馬)」「pretty ペレーテ(きれい)」「ugly オギレ(みねくえ)」「cotton カタン(綿)」「which ホヘチ(どちら)」「thirsty トリシテ(のどがかわく)」「sleepy シレーペー(ねむたえ)」「button バトン(ぼたん しゃつの)」「this デーシ(近き物)」「that ダーット(遠き物)」「friend フレンダ(友だち)」「merchant モリ・チャント(大商売人)」……。
「日本女性は英語を話さないほうがいい」
上記は『覚え書帳』から抜粋したものではあるが、体系的な学習とはほど遠いように見えてしまう。先入観がないまま耳で素直に聴き取っているので、英語の標準的なカタカナ表記よりも、ネイティブの発音に近いのではないか、と思えるものもある。ただ、やみくもに言葉を暗記しようとしていたのではないか、という感想も拭えない。
「ばけばけ」のトキは、まもなく英語学習を中断してしまう。なかなか上達しないので、ヘブンが「いったん終わりにしよう」と告げる。一方、セツの英語学習がどこまで続けられたのか、はっきりとはわからないが、3年弱の熊本時代でいったん終止符が打たれたことはまちがいない。ハーンが「立派な進歩を示しています」と書いたわりには、セツの英語はモノにならず、実生活で活用するには至らなかった。
その後、神戸を経て、明治29年(1896)9月に東京に転居すると、セツは英語のレッスンを再開することを望んだ。熊本で生まれた夫妻の長男の一雄は、このころ4歳になろうとしていて、すでにハーンの英語レッスンを受けていた。セツも再チャレンジを試みたくなったようだ。
しかし、希望は叶っていない。このころのハーンは、良くも悪くも彼らしさが深まっていて、しとやかな日本女性が英語を習得すると、その美質が損なわれてしまう、という面倒な考えをいだくようになっていたのである。もっとも、セツの語学習得力を見限っていた、という面もあるのかもしれないが。
最期まで向上しなかったセツの英語力
だが、東京生活も4年以上が経過した明治34年(1901)1月ごろ、セツの英語学習は急に再開した。次男の巌がもうすぐ4歳、三男の清が1歳で、子育ても忙しい時期だったはずだが、そこでふたたび英語をはじめたのは、セツの英語への意欲がよほど強かったからかもしれない。
このときの学習に関しても、ハーンが書き与えた英文を、セツが繰り返し書いたノートが遺されている。ただ、ハーンは英文を口に出したのではなく「書き与えて」いる。つまり会話のレッスンではなく筆記の練習だったと思われる。ハーンは相変わらず、日本女性が英語を「話す」のを嫌ったのだろうか。
だが、「先生」がそういう姿勢では、「生徒」の学力も向上しにくいだろう。実際、ノートを見るかぎり、熊本時代からの進歩のあとはあまり見られない。熊本時代から10年近く経っても、セツの英語力はほとんど伸長していなかったようである。
結局、夫妻はハーンが死ぬまで、基本的に日本語で意思疎通を図った。それは、動詞や形容詞は活用せず、動詞を文の最後に置く日本語の語順と、主語のすぐ後に動詞を置く英語の語順を、時と場合によって使い分ける、いわゆる「ヘルンさん言葉」だった。
香原斗志(かはら・とし)
音楽評論家・歴史評論家。神奈川県出身。早稲田大学教育学部社会科地理歴史専修卒業。著書に『カラー版 東京で見つける江戸』『教養としての日本の城』(ともに平凡社新書)。音楽、美術、建築などヨーロッパ文化にも精通し、オペラを中心としたクラシック音楽の評論活動も行っている。関連する著書に『イタリア・オペラを疑え!』(アルテスパブリッシング)など。
デイリー新潮編集部
