熱戦が繰り広げられる東京ドーム

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 2月21日からプロ野球オープン戦が始まった。シーズン開幕を前に、主力は最終調整の場、当落線上の選手たちは開幕1軍を目指してライバルと切磋琢磨することになる。そんなシーズン前哨戦で起きた珍プレーや珍事件を紹介する。【久保田龍雄/ライター】

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次々に骨折で戦線離脱

 チームに在籍する4人の助っ人全員が同一イニングに揃って本塁打を記録する珍事が起きたのが、2009年3月17日の日本ハム対オリックスだ。

 0対3とリードされたオリックスは6回1死、1番・ラロッカが日本ハムの3番手・豊島明好から左翼中段にソロを放ち、反撃の狼煙を上げる。3番・カブレラも右越え同点2ランで続き、さらに4番・ローズの左中間中段へのソロで4対3と逆転したあと、5番・フェルナンデスも中越えにクリーンアップ3連発とたたみかけ、計5点を挙げた。

熱戦が繰り広げられる東京ドーム

 同一チームの外国人選手4人全員が同一イニングに本塁打を記録したのは、公式戦、オープン戦も含めて、もちろん史上初の珍事だった。

 外国人選手は、投手、野手併せて4人までが出場登録可能だが、4人全員野手は通常認められていない。

 日本での在籍年数が長いカブレラとローズがルール上日本人扱いだったことから実現したものだが、「シーズン中に50回くらい実現できたらいいね」とフェルナンデスが豪語すれば、ローズも「そんなにできるかい」とツッコミながら、「まあ、30回でいいよ」と調子を合わせていた。

 だが、世の中そんなに甘くない。開幕後は、4月にカブレラが右足小指、5月にローズが左手首、7月にラロッカが右手首、9月にフェルナンデスが左頬と、次々に骨折で戦線離脱した結果、4人合わせて62本に終わり、チームも前年の2位から最下位に沈んだ。

話す言葉もないほどひどい

 出る投手出る投手ことごとく打たれ、25失点という歴史的大惨敗を喫したのが、1994年の巨人だ。

 3月5日のダイエー戦、先発・門奈哲寛が2点リードの2回に4長短打と2四球で6点を失ったのが、悪夢の始まりだった。3回からリリーフしたエース・桑田真澄も、カズ山本に満塁本塁打を被弾するなど、2イニングで計9失点と大炎上、「話す言葉もないほどひどい」とうなだれた。

 5回から登板の宮本和知も6回に岸川勝也に3ランを浴びるなど5失点と火に油を注ぐ。さらに守護神・石毛博史も7回に1点、8回に4点を失い、オープン戦史上ワーストの25失点となった。

 1軍の主力3投手が滅多打ちにされ、4対25というラグビースコアのような結果に、長嶋茂雄監督も「記録でしょ? こんなの、ないものね。まあ、これだけ打たれたら、気持ちいいですよ」とサバサバした表情で取り繕ったが、帰りのバスに乗車後は目もうつろだった。

 同年、巨人はオープン戦19試合で6勝12敗1分と負け越し、12チーム中11位に沈んだが、シーズンではリーグトップの防御率3.40で5年ぶりの日本一に。改めてオープン戦の成績があてにならないことを証明した。

本来の調子が戻らないまま

 1イニング12失点を記録したのが、広島の左腕・高橋建だ。

 2004年3月21日のオリックス戦、左足太ももの違和感で調整が遅れ、この日が初登板の高橋は、3回まではオーティズのソロのみの1失点とまずまずの投球ぶりだった。

 ところが、当初は3回で降板予定だったのに、2番手以降の予定変更で急きょ4回も続投したことが、裏目に出る。

 先頭の谷佳知にいきなり二塁打を許したのをきっかけに、オーティズ、後藤光尊、谷に一発を浴びるなど12長短打を許し、まさかの1イニング12失点。ようやく日高剛を三邪飛に打ち取り、スリーアウトチェンジになったときには、スコアも7対1から7対13にひっくり返っていた。

 1イニング12失点は、公式戦では1946年のゴールドスター・内藤幸三(7月15日の近畿戦で記録)と並ぶような悪い数字だ。

 58年ぶりの大炎上劇に、高橋は「走り込みができず、すべてが思うようにいかなかった。本当にわかった。ごまかしでは先発できない」とガックリ肩を落とした。

 その後、「(開幕まで)もしこの1試合だけだったら、不安だけど、もう1試合(登板が)あるから、切れさえ戻れば心配ない」と北別府学コーチがフォローしたとおり、3月27日の巨人戦では5回を3失点で勝ち投手になり、状態も上向きになったかに見えた。

 だが、シーズンでは、初登板の4月6日のヤクルト戦で5回途中7失点KOされるなど、本来の調子が戻らないまま、前年の9勝8敗から3勝10敗と大きく成績を落とした。

超ド級の珍プレー

 無死満塁のピンチを三重殺で切り抜けたのに、1点を失う珍事が起きたのが、2015年3月8日のオリックス対西武だ。

 4回までに6対0とリードした西武は、5回にも渡辺直人、炭谷銀仁朗の連続タイムリーなどで4点を加え、なおも無死満塁と攻め立てた。

 だが、次打者・栗山巧は二ゴロに倒れ、ヘルマンがファースト・原拓也に送球してまず1死。一塁走者・秋山翔吾も一、二塁間に挟まれ、二塁カバーのショート・安達了一がタッチして2死となった。

 この挟殺プレーの間に二塁走者・金子侑司が本塁を狙ったが、安達が素早く捕手・伊藤光に送球し、三重殺が成立した。だが、三塁走者・炭谷がすでに生還していたことから、スコアボードに11点目が記録された。

 公式戦では、1962年7月12日の南海対東映でも、三重殺の間に1点入ったと思われた直後、1死目の右飛の際に三塁走者の離塁が早く、四重殺のような形で得点が認められないという超ド級の珍プレーがあった。

 オープン戦とはいえ、半世紀に1度見られるかどうかという珍プレーに、西武・田辺徳雄監督は「珍事はシーズンに入ったらないと思うよ」とあくまで調整の場であることを強調していた。

 オープン戦は“実力の試金石”であると同時に、“予測不能な舞台”でもある。

久保田龍雄(くぼた・たつお)
1960年生まれ。東京都出身。中央大学文学部卒業後、地方紙の記者を経て独立。プロアマ問わず野球を中心に執筆活動を展開している。きめの細かいデータと史実に基づいた考察には定評がある。最新著作は『死闘!激突!東都大学野球』(ビジネス社)。

デイリー新潮編集部