凜として美しい「藤村志保」の意外な一面 「忌野清志郎」を一目惚れさせたチャーミングな素顔とは
ペリー荻野が出会った時代劇の100人。第38回は昨年6月に亡くなった藤村志保(1939〜2025)だ。大映のスターとして映画での活躍はもちろん、テレビドラマやバラエティにも進出した。そんな彼女を“アイドル”として慕ったロックスターの意外な一面も――。
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【秘蔵写真】これぞ“和風美人” 若かりし頃の「藤村志保さん」
昨年、亡くなった藤村志保は、昭和36(1961)年に大映京都撮影所の演技研究所に入所し、翌年、市川崑監督の映画「破戒」でデビュー。以来、市川雷蔵・主演の「眠狂四郎」や勝新太郎・主演の「座頭市」など大映の人気シリーズほか多くの映画やドラマで活躍した。
個人的には10代のころに映りの悪いテレビで観た「眠狂四郎女妖剣」(1964年)で、兄を救うために身を投げ出して牢にいるバテレンを誘惑する薄幸な妹役(もちろんヌードではないです)にドキドキしたのをよく覚えている。日本舞踊の名取でもあり、凛とした美しさが際立つ人だが、映画では意外な役にも挑んでいる。

池広一夫監督の「雑兵物語」(1963年)は戦国の足軽たちの雑草パワーをコミカルに描いた作品。日当20文で雑兵になったよそ者の茂平(勝新太郎)、半人前の仙太(堺駿二)、臨月の大女・おたつ(太平洋子)、やる気のない弥十(船越英二)。その中には男と偽る於莵(藤村)の姿が! どっちが勝ってもかまわない連中は、戦場でもワイワイガヤガヤで役に立たないばかりか、なんとおたつは戦場の真ん中で出産!? 原作は「崑かっぱ」の異名で知られる清水崑。脚本は黒澤映画などでも活躍した小国英雄。勝新が持ち前のパワーと人懐こさでコミカルさと明るさを発揮する横で、少年のような藤村のチャーミングさはこの作品ならではだ。
おなか空いてないですか?
主演作「怪談雪女郎」(1968年)もいい。雪深い山で道に迷った仏師の与作(石浜朗)らの前に透き通るような白い肌と金色の目を持つ雪女郎(藤村)が現れ、与作の師匠に白い息を吹きかけて凍てつかせてしまう。雪女郎は与作に「お前は若く美しい。お前を殺さないかわりに、今日見たことはただの一言ももらしてはならぬ」と告げた。その後、与作はゆき(藤村)と夫婦になり、ひとり息子も生まれて幸せに暮らしていたが、ゆきの美貌に目をつけた悪地頭が現れて恐ろしい結末に……。監督は田中徳三。CGのない時代に猛吹雪や金色の目などが丁寧に撮られ、その映像が美しい。藤村は独特の低音で「命はないぞえ」と凄みを出す。「ぞえ」の「え」が怖い。
テレビ作品ではNHK大河ドラマ「太閤記」(1965年)のねね役や「三姉妹」(1967年)のるい役などで知られる。
「三姉妹」は旗本の家に生まれた長女・むら(岡田茉莉子)、次女・るい(藤村)、三女・雪(栗原小巻)が、幕末の動乱の中、懸命に生きる姿を描く。“明治100年”の年に放送された大河ドラマ初の女性が主役の作品だった。
はじめて取材が実現したのは90年代に入ってからで、大の藤村志保ファンとして知られる忌野清志郎との対談という企画だった。
昼ごろ屋外で藤村の写真を撮り、午後から軽食をしつつ対談というスケジュールで、車でお迎えにいくとニコニコと乗り込んでこられ、最初の言葉は「おなか空いてないですか?」だった。
清志郎の「アイドル」
なんと手作りのおにぎりと漬け物を持参し、私たちにも振舞ってくれたのだ。こんな経験は初めてで、感激しつついただいた。おにぎりは小ぶりで、お世辞でもなんでもなく美味しかった。「美味しいです」とパクパク食べる私たちを見ながら、ご本人は「ふふふ」とほほ笑む。このカットを撮りたかった〜!
そして始まった対談。
忌野清志郎には藤村をモデルにした「アイドル」という楽曲がある。あの娘が大好き〜という情熱的な歌詞で、ライブでも歌われている。この日は藤村の出演作のレーザーディスクを持参し、「初めて見たとき、こんな可愛い人がいるのかと思った」と憧れの人を前に照れている感じがとてもよかった。そんな大事な彼女が映画ではひどい目に遭う役も多いという話も出たが、実際の現場では女優を大切にしてくれたという。
「『眠狂四郎』の撮影でも、肌を出す場面ではとても気を使ってもらいました。困ったのは『大魔神怒る』のとき、私は火あぶりになる役で白装束になって手足を縛られるんですが、監督は迫力あるシーンにしたいから当時は本当に火を使うし、大変だったんですよ」
1966年に公開された「大魔神」シリーズは、埴輪のように穏やかな顔だった巨大石造が、悪人に虐げられた人々の願いによってにわかに怒りの表情を持つ大魔神となり悪を滅ぼすという特撮映画。大映京都撮影所が培った時代劇の技術が活かされた3部作で「大魔神怒る」(監督・三隈研次)はその第2弾だった。
このころから東京でのドラマの仕事も増えていたが、「カツライス」と呼ばれた大映の二枚看板・勝新太郎と市川雷蔵はもちろん、多くの共演者や監督と出会えた京都での映画の経験は宝だと言う。
「天真爛漫な勝さんと役に入ったときは素顔とは別人の雷蔵さん、二人はライバルと言われましたが仲は良かった。雷蔵さんが亡くなったと知らせがあったときは、突然だったこともあって撮影所に悲鳴のような声が響いて、みんな何も手につかなくなった。一気に暗い雰囲気になりました。雷蔵さんから一度だけ『テレビは面白いか』と聞かれたことがありましたね」
大映が倒産したのは、雷蔵が亡くなった2年後の1971年だ。
対談からしばらくして、私は藤村さんに誘われて忌野清志郎のライブに行くことになった。藤村さんはノリノリで実に楽しそうだった。このカットも撮りたかった〜!
ペリー荻野(ぺりー・おぎの)
1962年生まれ。コラムニスト。時代劇研究家として知られ、時代劇主題歌オムニバスCD「ちょんまげ天国」をプロデュースし、「チョンマゲ愛好女子部」部長を務める。著書に「ちょんまげだけが人生さ」(NHK出版)、共著に「このマゲがスゴい!! マゲ女的時代劇ベスト100」(講談社)、「テレビの荒野を歩いた人たち」(新潮社)など多数。
デイリー新潮編集部
