1本12万円の日本酒が一瞬で売れる…岩手の老舗酒造「南部美人」が28年かけて海外セレブを虜にするまで

■二戸から岩手、全国、そして世界へ
「高校時代まで、家業の酒蔵を継ぐ意思はありませんでした」
そう語るのは、今やアメリカや中国、台湾など66カ国・地域に日本酒を輸出する「南部美人」(岩手県二戸市)の5代目蔵元・久慈浩介さんだ。
「教師になりたかった」という思いを変えたのは、高校2年の春、アメリカ・オクラホマ州への短期語学留学だった。手土産に持って行った日本酒をホストファミリーは絶賛し、「酒蔵を継ぐべきだ」とアドバイスした。この約1カ月間で、久慈さんは自分が「家業から“逃げている”ことに気づいた」と話す。
帰国後、進路を東京農業大学醸造学科へ変更。東京で生活を送る中、あちこちで自社の酒「南部美人」を見かけるようになる。
「うちの酒は3代目の祖父が二戸から岩手県全域に、先代の父が全国へと広げていきました。その功績を目の当たりにする中、“じゃあ、俺は世界に『南部美人』を持っていこう”と思ったんです」
■父は大反対、それでも譲らなかった
大学卒業後の1995年、23歳で南部美人の製造部長となり、次世代を切り開く明確なビジョンを海外へと向けた久慈さんだったが、父はその考えに大反対した。東京での流通が勢いづいていたこともあり、そちらに尽力してほしかったのだ。

「先行者利益なんて言葉がない時代でしたからね。“お前の行くアメリカの出張費はいつ返ってくるんだ”と言うので、“じゃあ、親父のゴルフ代の経費はどうなんだ”と言い返したこともあります。とにかくケンカしましたね。でも“俺は蔵、日本酒の未来のためにやっているんだ”と一歩も譲りませんでした」
しかし、当時の日本酒業界は、まだ海外に輸出するという発想はほとんどなかった。「自分一人では限界がある」と感じていたところ、1997年、同じ志を持つ李白酒造(島根県)の田中竹二郎さん、大門酒造(大阪府)の大門康剛さんから声がかかった。それは、日本酒輸出協会立ち上げへの参画の誘いだった。
■初めて日本酒を飲んだアメリカ人の反応は…
「日本酒輸出協会は、酒蔵自らが世界に足を運び日本酒を啓蒙普及する団体。この当時はまだ珍しかったこともあり、メディアにも多く取り上げられました。でも日本酒を世界へという立派な理念はあるものの、何をどうするかはまったく決まっていませんでした」
そんな時、運命を変える電話が鳴った。連絡をしてきたのは、日本の伝統文化や食文化を伝えるジャパン・ソサエティーというニューヨークにある非営利団体。依頼内容は、「日本人やアメリカ人の会員向けに日本酒の勉強会をしてほしい」というものだった。
「チャンスだと思いました。助成金なんてない時代でしたから、旅費は全部自社持ち。日本酒は手荷物として持っていきました。試飲会には多くの人が集まり、『買いたい』『どこで飲めるんだ』と予想以上に大好評。2時間の試飲会が1分くらいに感じたなぁ。その後、ジャパン・ソサエティーの機関誌に試飲会の記事が載ったことで、香港やドイツなどから声がかかりました。
持参した日本酒は多い時で四合瓶24本。段ボールに入れて全て手持ちです。預けた日本酒が途中で割れてしまい、ターンテーブルで良い香りとともに出て来たこともありました。今では考えられませんよね。でも苦労の甲斐あってか、その都度、取引先が増えていったんです」

■酒瓶を携え、レストランのドアを叩く日々
このジャパン・ソサエティーでの成功は、輸出活動に「文化としての正当性」を与え、現地のソムリエやバイヤーに対する強い説得力となった。それによって日本酒輸出の実質的な第一歩となり、その後は久慈さんをはじめとする日本酒輸出協会メンバーの有志が中心となって試飲会の開催地で輸出先を拡大していった。

だが、決して好意的な人ばかりではなかった。営業でレストランを回っていた時に、同胞が経営する日本料理店で、「日本であまった日本酒を持ってくるな!」と門前払いされたこともある。
蔵元自らが酒瓶を持ってレストランのドアを叩き、売り先をみつける日々がいつまで続くのかと思っていた矢先、新たなステージへの扉が開いた。ニューヨーク屈指の日本食レストラン「MEGU」での取り扱いが決まったのだ。
「MEGUは、アメリカ人の富裕層が訪れる高級ファイン・ジャパニーズレストラン。そこのソムリエが大手ではない、岩手の小さな蔵の酒をティスティングして、“これはいいね!”となり、メニューリストに加えてもらったんです」
■「日本酒ファン」が市場を広げていった
「MEGU」で採用されたことにより、「南部美人=世界で評価される酒」というイメージが一気にアメリカのノンジャパニーズに浸透。後のミシュラン店や高級ホテルでの採用にもつながっていく。だが、「真の広がりを支えたのは教育だった」と久慈さんは話す。

「日本酒輸出協会のメンバーでもあるジョン・ゴントナー氏が、試飲会の開催地で日本酒セミナーを担当し、日本酒の製造工程、温度管理、歴史、味わい方を体系的に教えました。やがて彼の弟子、孫弟子となる受講者が世界中で日本酒を伝えるようになり、それとともに日本酒の市場も広がっていきました。日本酒を伝える、飲んでもらうのに、エデュケーションは欠かせないと実感しました」
ネイティブの英語を話すジョン・ゴントナーさんによって言葉の壁を越え、確固たる地位を築いた日本酒。現在、ミシュランの星を持つ欧米の一流レストランでは、おちょこではなく、木本硝子(東京都)が作った日本酒専用のグラスで提供されるようになっているという。
今や日本酒輸出は国家戦略の一部として扱われるようになり、さらに和食と伝統的酒造りがユネスコ無形文化遺産に登録されるまでになった。もはや日本酒に国境は存在しないといっても過言ではない。

■造り方を変えたら「南部美人」ではない
さて、ここで気になるのが外国人と日本人の「味覚の違い」である。海外での評価が高いとはいえ、日本人が「おいしい」と思う日本酒を、外国人は好ましく感じているのだろうか? 輸出用の日本酒は、海外向けに造り方を変えているのではないだろうか?
「実は輸出を始めた1997年から数年間、うちはアメリカ市場に向けて、インパクトを出すために香りを高くした酒を造っていました。言わば“海外仕様”ですね。でもよくよく考えると、シャトー・マルゴーが国ごとにワインを造ったり、ドン・ペリニヨンが日本専用のシャンパンを造ったりしていませんよね? 現地化してもきりがないし、そうなるとそれはもう『南部美人』じゃないですから」
岩手の風土、南部杜氏の技、米と水が生み出す味。その神髄をまっすぐに届けることを決めた久慈さんは、以降、輸出先のどの国にも同じ一本、通称「赤ラベル」と呼ばれる「特別純米酒 南部美人」を最初に持ち込む。そして、それが現在66カ国の輸出先でいちばん売れる看板商品となった。

■「日本価格」と「海外価格」の圧倒的な差
味に関しては一切日本と変えない久慈さんだが、「価格については現地の感覚を大事にしている」と話す。
「日本では、純米酒なら一升2500円といった固定観念がありますが、海外ではそういう基準が存在しません。2006年のことですが、ラスベガスのカジノホテルで飲む南部美人の大吟醸熟成古酒は1000ドル(当時のレートで約12万円)。当初は高くて売れないだろうと思っていましたが、またたく間に完売しました。海外では、“高いから売れない”という発想がないんですね」
1ドル=150円前後で推移している現在でも、おちょこ1杯(約30ml)で10ドル、四合瓶が5000ドルと、日本人の感覚では信じられないような価格で売れているという。
背景として、海外の高級レストランでは、ワインと同じ文脈で日本酒が受け取られていることがある。値付けは「味」で決まり、精米歩合や希少性を値付け基準にする日本とは価値判断が大きく異なるのだ。
久慈さんがこうした海外の富裕層の感覚をすんなり受け入れられるのは、多忙を極める今もなお、できるだけ現地に赴いているから。「2024年は1年間の3分の1を海外で過ごしました」と笑う。これが「世界に響く味」を追求できる理由なのだろう。

■この10年は中南米、その次はアフリカ
こうした長年の努力による輸出拡大もあり、蔵の売上は輸出前と比べ3倍に伸びた。これまでは主にアメリカとアジア、ヨーロッパをターゲットにしてきたが、「この10年は、成長エリアとして注目が集まる中南米を狙っていく」と久慈さんは熱く語った。

「特にチリは数年前にはほとんど日本酒が入っていなかった国です。年に3回ほど中南米を訪れ、卸やレストランと直接対話を重ねています。次の10年はアフリカです」
少子高齢化が進む日本とは逆に、人口は増加の一途をたどり、年齢中央値は約19歳台(国連の世界人口推計 2024年)のアフリカ。すでにケニアやウガンダを訪れた久慈さんは「伸びる予感しかしない」という。
日本と食文化が異なる国でも安心して飲んでもらえるよう、動物性原料を使用していないことを示す「ヴィーガン国際認証」、遺伝子組み換え食品でないことを証明する「NON GMO認証」を日本酒として初めて取得した。ユダヤ教の食事法に適合していることを示す「コーシャ」も取得している。
ただ、こうして海外輸出を拡大しようとする中、久慈さんには1つだけ不満があった。それは「一番おいしい搾り立ての状態の生酒を味わってもらえない」ことだ。
■時を止める技術「凍眠」との出会い
酒の香りやフレッシュさを損なわぬよう、火入れをする高性能パストライザークーラー(トンネル方式)や、超低温で瓶貯蔵する環境を整えても、輸送する過程や販売先の環境で生酒が過熟してしまい、搾り立てでは100点だった味が70〜80点になってしまう。国内でもそうなのだから、輸送期間の長い海外ならなおさらだろう。
そんな時、久慈さんは高知で−30℃の不凍液で急速冷凍する機器「凍眠」で凍らせたカツオの刺身に出会う。
「食べた瞬間、今まで食べていたカツオは何だったんだ? と思うほど衝撃的なフレッシュさでした。すぐに凍眠を開発したテクニカンの前川達郎さんと意気投合して、うちの日本酒も『凍眠』で凍らせようとなったんです。
生酒を凍らせて、解凍して飲んだところ、味がまったく変わっていなくて2度目の衝撃を受けました。この技術があれば、解凍するまで永遠に時を止め、フレッシュな味を保持できる。蔵のタンクと現地をホースでつなぎ、搾り立てを直で届けられる、そんなイメージを抱きました」

■酵素の活動を止め、熟成や酸化をストップ
「凍眠」は一般的な冷凍方法と異なり、氷点下で急速に凍らせることで、酵素反応を止め、日本酒の味、香りを搾り立ての状態でほぼ永遠に保持できる。また、火入れでは防ぎ切れない熟成や酸化の進行も抑制。つまり搾り立てのまま時間を止められるのだ。

しかも瓶も割れず、成分分離もないので、解凍しても味に変化がまったくない。酒の鑑定官や有識者たちにも解凍した酒を試飲してもらったところ高評価。また、日本一厳しい審査で知られる仙台国税局主催の秋の東北清酒鑑評会に、岩手県工業技術センターと共同研究で「凍眠酒」を出品し、見事「優等賞」を獲得した。久慈さんは、これらの成果によって「これは次の一手になる」と確信を得た。
■生酒も火入れ酒もフレッシュなまま届ける
「今はまさに凍眠酒の実証実験中です。アメリカでのテストでは、飲む人皆が“すごい!”と連発していました。課題は冷凍物流の穴を埋めること。輸送のどこかで一度でも解凍されると再冷凍ができないので、現地の業者と協力し、冷凍チェーンの整備を進めているところです。アメリカの次はイギリスで展開することが決まっています」

「また、この技術は生酒だけでなく、火入れ酒にも使えます。例えば、ブラジルやチリへ船で運ぶ場合、通常6カ月かかる。でも、『凍眠』を使えば“輸送期間をゼロにできる”んです」
久慈さんが「日本酒を世界へ」という熱い思いを胸に酒瓶を抱え、海外を飛び回り始めえから28年。その間、日本酒は「SAKE」として、味わいも文化も高い評価を受けるようになった。そう考えると、世界中の酒販店、飲食店に冷凍庫が設置され、その中には凍眠酒が並んでいるのが当たり前になるのも、そう遠い未来ではなさそうだ。
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久慈 浩介(くじ・こうすけ)
南部美人5代目蔵元
1972年、岩手県生まれ。東京農業大学醸造学科を卒業後、株式会社南部美人で製造部長として酒づくり全般を指揮。2年目に初めて仕込みを任された大吟醸で「全国新酒鑑評会」の金賞を受賞。日本最大の杜氏集団である「南部杜氏自醸清酒鑑評会」で2001年、2002年と2年連続(合計4回目)の首席第1位を獲得。2017年にはインターナショナルワインチャレンジ(IWC)で世界一の日本酒の称号「チャンピオンサケ」を受賞するなど、数々の受賞歴を誇る。2013年、代表取締役社長に就任。
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葉石 かおり(はいし・かおり)
酒ジャーナリスト・エッセイスト
1966年、東京都生まれ。日本大学文理学部独文学科卒業。「酒と健康」「酒と料理のペアリング」を核に各メディアで活動中。「飲酒寿命を延ばし、一生健康に酒を飲む」メソッドを説く。2015年、一般社団法人ジャパン・サケ・アソシエーションを柴田屋ホールディングスとともに設立し、国内外で日本酒の伝道師・SAKE EXPERTの育成を行う。現在、京都橘大学(通信)にて心理学を学ぶ大学生でもある。著書に『酒好き医師が教える最高の飲み方』『名医が教える飲酒の科学』(ともに日経BP)、『日本酒のおいしさのヒミツがよくわかる本』(シンコーミュージック)、『死んでも女性ホルモン減らさない!』(KADOKAWA)など多数。
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(南部美人5代目蔵元 久慈 浩介、酒ジャーナリスト・エッセイスト 葉石 かおり)
