2011年、日本ハムからの指名を拒否した東海大の菅野智之【写真:産経新聞社】

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きょうプロ野球・ドラフト会議

 プロ野球・ドラフト会議がいよいよ今日24日に開催される。1965年に第1回ドラフト会議が行われて以来、これまで数々のドラマや“事件”、あっと驚く指名も誕生している。ここでは過去の出来事を振り返る。日本ハムは2011年から菅野智之投手、大谷翔平投手と2年続けての“強行指名”。菅野は入団拒否、大谷は入団にこぎつけている。

「大学BIG3」と呼ばれた東海大・菅野、東洋大・藤岡貴裕、明治大・野村祐輔が話題の一つだった2011年ドラフト。菅野は伯父の原辰徳監督が率いる巨人入りを希望し、単独1位指名が見込まれていたが、日本ハムも1位指名。競合となり、くじ引きで日本ハムが交渉権を引き当てた。

 直後の会見では戸惑いつつも、くじ引きの瞬間について「今まで味わったことのない緊張感を感じた」などと語った菅野はその後、日本ハム入団を拒否した。1年の浪人を経て、翌年のドラフト1位で巨人に入団し、今季まで通算136勝をマーク。2度の沢村賞や4度の最多勝など、数々のタイトルを獲得している。

 日本ハムは翌2012年にも“強行指名”を行った。渡米志望だった花巻東高・大谷を単独1位指名。会見で「自分の気持ちは変わらない」と当初は入団に難色を示されていたが、交渉を重ねて入団が実現した。2014年にNPB史上初の「2桁勝利・2桁本塁打」を達成するなど前例のない二刀流プレーヤーとして活躍。2018年からメジャー挑戦し、今ではMLBの顔といえる大スターになっている。

(THE ANSWER編集部)