FIRE(早期リタイア)願望を持つ人が増えている?(写真:kai / PIXTA)

依然として日本のインフレ率は高止まりしているが、ピークは過ぎた可能性が高い。

筆者は景気ウォッチャー調査で「物価」「値上げ」「インフレ」に関連するコメントの数を集計しているが、緩やかに減少していた。また、足元の為替動向や原油価格の水準を考慮すると、来年の春から夏ごろにはインフレ率は2%を割り込む可能性が高い。

その頃には日銀の利上げサイクルは終了する可能性が高い。

もっとも、利上げ停止そのものより重要なのは、コロナ禍以降のインフレ局面が終わったときの世の中の「空気の変化」だろう。最近では、「人手不足によるインフレ」というテーマが定着し、それが前提となって議論が進んでいるようだが、この見方は修正される可能性がある。

「人手不足」=インフレ、「人口減少」=デフレ?

そもそも、「人手不足」という言葉にはバイアスがある。例えば、「人手不足」を「人口減少」と言い換えるだけでニュアンスが変わる。

「人手不足」という言葉は経済における供給力減少の面だけを説明しているためインフレが連想される一方、「人口減少」という言葉は需要減少のニュアンスも含んでおりニュートラルないしはデフレの印象を受ける人が多いだろう。

いずれも「下向きの人口動態」を示す言葉であるのだが、供給側だけをみるか、需要側も考慮するかでニュアンスは大きく変わる。

日銀は「人手不足」という言葉を用いてインフレ的なニュアンスを強調している。

内田眞一副総裁は5月27日の講演(いわゆるThis time is different講演)で「日本銀行は、2013年以降、QQE(注:量的質的緩和)やYCC(注:イールドカーブ・コントロール)などの政策によって経済に高圧をかけ続け、政府の諸施策と相俟って、女性やシニア層を中心に数百万人の雇用を創出し、雇用環境を人手不足の方向へ徐々に変えていきました」と成果を強調し、「人手不足」によるデフレ脱却の効果を強調した。

この講演では、人口減少による需要側の変化に関する言及はなかった。

植田和男総裁も9月24日の講演で、「労働市場の動向をみますと、人口動態も反映して追加的な労働供給の余地は限られてきており、構造的に人手不足感は高まりやすくなっています」と述べた。

植田総裁の講演の際には生産年齢人口と就業者数の過去データと今後の見通しが示され、いずれも2040年にかけて減少が見込まれるという説明となっていた。

もっとも、就業者の減少ペースよりも生産年齢人口の減少ペースのほうが速いことについては言及されていない。この予測通りとなれば、2040年までは生産年齢人口の減少による個人消費など需要の減少が大きくなることが予想される。

一方で、就業者数はしばらく相対的に高水準を維持できることになるので、国内の需給バランスを考えると「人手不足」とはならないだろう。

結局のところ、人口が減少し、就業者が減少し、日本経済が縮小する可能性が高いことは事実だが、労働市場が逼迫するニュアンスを含む「人手不足」になるかどうかは需要次第である。

そして、人口減少が続く限りは需要も弱くなる可能性が高いため、デフレ圧力はかかりやすい。むろん、1人当たり消費額が増えたり、外需が増えたりすれば、需要が超過して「人手不足」になることもあるだろう。人口動態とインフレ・デフレを結び付けることそのものに問題があるのである。

かつては「人口減=デフレ」論が支持されていた

先日、石破茂首相のブレーンの一人であると言われているエコノミストの藻谷浩介氏の著書『デフレの正体 経済は「人口の波」で動く』(角川新書、2010年6月9日)についてSNS上で話題になっているのを見かけた。

「人口動態(人口減少)がデフレの要因である」という当時の藻谷氏の主張に対してSNS上では「人手不足なんだからデフレじゃなくてインフレだろう」という議論が交わされていた。

確かに、前述したように人口が減少することが「デフレの正体」と言い切ることはできないと思われるが、「インフレの正体」でもないだろう。当時は人口減少とデフレが深刻な社会問題となっていたことから、人口減少がデフレに寄与するという説明が強く支持されたことは事実である。

このような変化は、「下向きの人口動態」という事象に対して、その時の経済環境によって受け入れられるストーリー(ナラティブ)が変わりうるという良い例のように思われる。人口減少がデフレの原因であるというのもナラティブであり、人手不足によってインフレがもたらされるというのもまたナラティブだろう。どちらも自明ではない。

他にも、「『結婚しないFIRE願望の若者』が人手不足を“超加速”する? 大胆で緻密なリポートが話題」(ABEMA TIMES)で取り上げられた分析が話題だと聞いた。

FIRE(早期リタイア)と人手不足を関連付けた興味深い分析だが、これもまた供給側だけを分析したバイアスのある考察である。

むろん、FIREが増えれば労働力が減少することは事実だと思うが、これは絶対数で考えた労働力の減少の議論であり、そのときに「人手」が「不足」するかどうかは需要次第である。

FIREした人がまったく消費をしなくなることは考えにくいが、労働所得がなくなる分だけ消費は抑制されるだろう。前述した日銀の議論と同様に、「人手不足」の議論をするのであれば需要側の変化も調べなければならない。

分析のうち「社会機能が成り立たなくなる可能性がある」という部分には筆者も賛成だが、「労働需給が逼迫して賃金に上昇圧力がかかることで企業にとってコストの増加要因となる。そうなると、企業は利益を補填するために価格転嫁をせざるを得なくなりインフレにつながる可能性もある」という点については「状況次第であり、ミスリーディングな部分がある」と言わざるをえない。

以上の状況を整理すると、「人手不足によるインフレ」という考え方自体が、現在のインフレ環境で受け入れられやすい「ナラティブ」に過ぎないと言える。

言い換えると、「人手不足によるインフレ」ではなく、「インフレだから人手不足」と考えることもできる。

インフレが人手不足をクローズアップしている?

むろん、「インフレだから人手不足」というのは経済メカニズム的にはありえない話だが、「インフレだから(下向きの人口動態の状態を)人手不足(と捉えて問題視しやすくなっている)」という可能性は十分にあるだろう。

例えば、Google Trendsで「人口動態」と「人手不足」の検索数を指数化すると、2014年頃までは「人口動態」の検索数が多かったが、最近では「人手不足」のほうが注目されている。


前述したように、いずれも「下向きの人口動態」という同じ現象を示しているのだが、人々の捉え方が変化している。

ここで、「人手不足」と「人口動態」の検索数の差を示すと、実際のインフレ率と連動していることがわかる。


「人口動態」の検索数自体はそれほど大きく変わっていないことを考慮すると、やはりそのときのインフレ(デフレ)の状況によって人々の捉え方が変化しているのだろう。

人口動態とインフレの関係がナラティブに過ぎない場合、円高など何らかの要因でインフレ局面が終わったときに、他の新しいナラティブが市民権を得て、世の中の見方が変わっていくという可能性がある。少なくとも、経済分析において「人手不足だからインフレ」というナラティブに依存し過ぎることは危険であると、筆者は考えている。

前述の議論でFIREの例を挙げたので、実際にFIREの増加によって需要側がどのように変化するのかを実際のデータを使って少し考察する。

今更ながら、FIRE(Financial Independence, Retire Early)とは?から確認すると、これは経済的に自立して、働かずに生きるライフスタイルのことであり、株式や不動産投資などの利回りなどの運用益をもとに生活をする働き方を指す。

例えば、1億円の資産を貯めて、配当利回りが4%だとすると、年間で400万円の運用益となり、2023年における給与所得者の平均給与である460万円(国税庁民間給与実態統計調査)と近くなるので、働かなくても生活が可能だと考えられる。

FIREで労働力ばかりでなく消費が減る

もっとも、実際にFIREする人は運用益で生活をするため、少なくとも労働所得と金融所得の双方がある「FIRE前」と比べれば収入がガクッと落ちることが予想される。

実際に2019年における資産階級別の1カ月当たりの消費額をみると、いずれの資産階級においても、勤労者世帯に比べて無職世帯の消費額が低い傾向にある。とりわけ、資産規模が1億円以上の世帯においても、勤労者世帯と比べ、2割程度低い。


無職世帯には年金世帯が含まれており、年代による消費額の違いは割り引いてみる必要はあるが、金融所得に加えて労働所得もあるかどうかは、家計の消費にとって大きい。結論としては、FIREのタイミングで消費額は2割程度は落ちると考えてよいだろう。

したがって、FIREの増加がインフレ的かデフレ的かという判断は、この2割の消費減に対してFIREによる労働者の減少が大きいか小さいか、という需給バランスによる。

インフレ的かデフレ的かという問題はそのときの景気によるところも大きく、結論を出すことは困難だが、やはりFIREにおける供給能力の減少という面だけでなく需要減少の面にも目配りをする必要はありそうである。

FIREと個人消費(需要動向)を議論する場合、前述したFIRE後の消費額よりも「FIREを目指す過程における節約志向」のほうが大きいかもしれない。

最近では「NISA貧乏」という言葉も注目されているが、投資熱が高まり過ぎると「消費から投資へ」の動きによって個人消費が抑制される可能性がある 。仮に、多くの人がFIREを目指すような社会になる場合、節約志向の広がりは強力なものとなるだろう。

例えば、年収を平均値の460万円として、そこから一定割合を投資に回した場合の資産の変化をシミュレーションすると、22歳から投資をはじめ、年収の20%を投資に充てた場合、45歳時点で資産規模は約3600万円となった。前述したように、運用益でほぼ日本の平均年収を確保できる資産額が1億円程度であることを考えると、この程度の資産規模ではFIRE生活は難しいだろう。

逆に、45歳時点で1億円を上回るために必要な投資額を逆算すると、年収の56%を投資に回さなければならないという結果となる。今回は年収を460万円と仮定したが、賃金カーブは右上がりであり、若いうちは高水準の貯蓄は難しいことを考慮すると、投資に回すべき比率はさらに高くする必要があるだろう。

FIRE願望が日本経済をシュリンクさせる

いずれにせよ、本気でFIREを目指すのであれば、相当程度、消費を切り詰める必要がある。なお、この計算は、利回りを4%と仮定し、ポートフォリオリバランス等によるキャピタルゲインは想定していない点には留意が必要である。

FIREを目指す人が増える社会は、明らかに需要が弱い社会と言え、心配するべきなのは「人手不足」によるインフレ高進ではなく、日本経済全体のパイの縮小ではないだろうか。

なお、日本の勤労者世帯の黒字率(貯蓄率)は2000年代半ばから上昇し、足元では40%近くになっている。いわゆる将来不安によって高まっているという見方が一般的だが、もしかするとFIREを目指して貯蓄を増やしている人がすでに増えているのかもしれない。

金融リテラシーを高めることで「貯蓄から投資へ」を進め、自助による将来不安の解消を進めるべきである――という方向自体に異論はあまりないだろう。しかし、人々がFIREを目指すことで「消費から投資へ」が進んでしまうと、日本経済を縮小させかねない点には注意が必要である。

(末廣 徹 : 大和証券 チーフエコノミスト)