イギリスで建設中の高速鉄道「HS2」の車両と駅のイメージ。第2期区間の計画は保守党政権時代に中止となったが再開の動きが出ている(画像:© High Speed Two Ltd)

イギリスで7月に行われた総選挙で労働党が大勝し、14年間与党の座にあった保守党から政権を奪取した。

そんな中、労働党が主導権を持つイングランド中西部のマンチェスターとその周辺自治体の首長たちが、保守党政権時代に財政難を理由として計画中止となったロンドンとイングランド北部を結ぶ高速鉄道「HS2(ハイスピード2)」の第2期区間の新設予定路線に沿って、改めて「鉄道を敷こう」というプランを打ち出した。

二大政党制のイギリスにおいて、政権交代が起こるとそれまでの政策や公共事業への取り組みが一気に方向転換することは少なくない。労働党新政権主導で大規模な鉄道改革に踏み切る姿勢も見え始めている。いったい何が起ころうとしているのか。

鉄道運営の仕組みを一から見直し

HS2第2期区間については、保守党政権が2023年10月に工事中止を発表した(2023年10月11日付記事「イギリス高速鉄道『未着工区間は中止』の衝撃」)。しかし、マンチェスターやそれに隣接する地域の首長らは、地元の経済発展を目指し、敷設計画の復活を改めて提案している。

【図と写真】高速鉄道「HS2」の計画ルートや、政府が見直しを進める複雑な鉄道運営の仕組みを図解。民営化以来の「フランチャイズ制度」からコロナ禍の緊急措置、そして鉄道改革でどう変化する?

提案の内容は、もともとの計画より規格を低くし、最高速度もやや下げてコストダウンを図るというものだ。この案だと、ロンドン―マンチェスター間の所要時間は当初計画より15分長くなるものの、現在と比べて30分ほど短縮できると試算されている。

敷設予定の土地の一部はすでに政府が買収済みで、測量などに20億ポンド(約3900億円)が費やされているという経緯もあるが、金がない、とあきらめた高速鉄道の新設計画がこうした形で復活するのはやはり政権交代のおかげと言えるだろうか。沿線の人々は、失望から希望へと気持ちを切り替えている様子がうかがえる。


そして、政権交代を機に、労働党は現在のイギリス鉄道の仕組みである「上下分離・フランチャイズ方式」を一から見直し、次なるステップに進むという大きな決断を下した。

コロナ禍で露呈した鉄道運営の脆弱性

イギリスの鉄道は1994年、国鉄(British Rail)の民営化のプロセスの一環として上下分離化され、その後1996〜1997年に運行が民間に移行した。「下」に当たるインフラの管理は運輸省傘下のネットワーク・レール(Network Rail)が担い、「上」に当たる列車運行は入札を通じてフランチャイズ(運行権)を得た民間の鉄道運行事業者(TOC)が担っている。


民営化は鉄道の活性化を招き、コロナ禍前には全国の鉄道利用者数が第2次世界大戦後最多にまで増えた。一方で、こうした二重構造が存在することで、インフラ管理側と運行を担うTOCとの連携不足、サービスの一貫性の欠如、さらには需要があるのにインフラ側の工事の都合でやたらに運休するといった利用者の視点を欠いた運営など、さまざまな問題を引き起こし、鉄道サービス全体の質を低下させる要因ともなっていた。


ロンドン南西部を走るサウスウェスタン・レールウェイの列車。各地でさまざまなTOCが列車を運行している(筆者撮影)

政権交代によって一気に鉄道改革が加速しているわけだが、それ以外にも改革に着手しやすくなった大きな理由がある。それは、コロナ禍という未曾有の事態によって、これまでの仕組みの脆弱性が一気に露呈したためだ。

フランチャイズ制度では、TOCは運賃収入を得て、そこから運行費用をまかなうほか、車両のリース代や線路・駅の使用料、運輸省に収める「プレミアム」などを支払い、残った分が儲けとなる。運賃収入の増減によるリスクはTOCが負っているが、コロナ禍によって乗客数は一気にそれまでの数%台まで減少。運賃収入も激減してTOCの運営が行き詰まり、フランチャイズモデルは持続不可能となった。


コロナ禍の最中、利用者が激減したロンドンのターミナル駅(筆者撮影)

そこで当時の保守党政権は「緊急回復契約(ERMAs)」を導入した。これは政府がいったん全ての運賃収入を受け取り、TOCに対して運行に必要なコストを含む適切な分配金を支払う方式だ。この緊急措置によってTOC各社は「経営のリスク」からひとまず解放された。各社は受け持つ路線での運行を維持しつつ、フランチャイズ制度は停止となった。


「緊急措置」の有効性が改革を後押し

コロナ禍において、イギリスでは数十万人に及ぶ関連死者を出すなど、国として大きな痛手を負った。

だが、鉄道界についてはERMAsの方法を導入できたことで、頭痛の種だったフランチャイズ制度からの撤退に向けて大きな示唆があった。運賃収入とインフラを一元的に管理したうえで鉄道サービス全体を統括するというモデルの有効性がわかったからだ。この緊急体制が良好に推移したことが、大規模な鉄道改革を推し進める決定的な根拠となった。


日立製の車両「あずま」。同車両が走る東海岸本線はコロナ禍より前に運輸省が民間運行会社の運営権を剥奪し、事実上国有化している(筆者撮影)

大規模な改革の主軸となるのが「グレート・ブリティッシュ・レイルウェイズ(GBR)」の設立だ。日本語に直訳すると「偉大な英国の鉄道」という意味になり、政府の力の入れかたがわかる。

GBRは運賃収入やインフラの管理を一元化する一方で、運行は既存のTOCに委託する「コンセッションモデル」を採用し、TOCに対し運行のための適切な分配金を支払う。なお、GBRのスキームにおいては、従来のTOCが旅客サービスオペレーター(PSO)と呼ばれることになる。

そのうえで、PSOは運行やサービスに対する評価に基づきインセンティブを受給する。サービス品質の高いPSOがより高い報酬を得られる仕組みで、インセンティブという「エサ」を目の前にぶら下げられたPSOの間で競争が活発化し、サービスの向上も期待される。


従来の方式では、複数会社間の競争が生じるタイミングはフランチャイズに応札する際に限られていたが、GBR移管後は、契約期間中もPSOのサービスの質についての評価が行われることで競争環境が維持されよう。

「GBR」設立はいつになる?

いきなりGBRに移行するのは拙速だと見た労働党政権は9月、GBRの正式設立前の準備段階として、改革に先立ち「シャドウGBR」という組織を立ち上げた。

現在インフラを管理しているネットワーク・レールのCEO、運輸省の鉄道サービス総局長、そしてフランチャイズが立ち行かなくなった運営区間の受け皿となる持株会社DfT OLRのCEOが協力し、既存鉄道の運行改善やシステム全体の調整推進を目指す。シャドウGBRは、GBRが目指す統一的な運営体制の実現に向けて、既存のTOCとの連携を強化し、サービスの一貫性と効率性を高めるための橋渡し役を果たすことになる。


鉄道改革の原動力として組織化されるGBRの正式設立時期はまだ決まっていない。早ければ2025年中にも実現という見方もあるが、具体的な改革に向けたスケジュールはこれからの法整備や手続きの進展次第といったところだろう。

改革の成果は果たして利用客や貨物の荷主にとって抜本的なサービス品質の向上という形で現れるだろうか。鉄道改革が、イギリス鉄道界のみならず、新たな時代の経済発展に向けた大きなターニングポイントとなることを期待したい。


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(さかい もとみ : 在英ジャーナリスト)