乳房全摘のあと…乳がんになった篠崎愛マネージャーが涙したプロバスケ選手からの「言葉」

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五間岩(ごけんいわ)ゆかさんは芸能マネージャーとしてのキャリアが25年近く。かつては大手芸能プロダクションのチーフマネジャーとして、多くのスターを輩出し、現在は独立して篠崎愛さん、馬淵優佳さんなどのマネージメントをしている。

そんな五間岩さんが「ビー玉みたいな何か」を左胸のところに見つけたのが、2022年12月のことだった。

乳がんになる女性は2020年のデータで9人に1人と報じられている。そして2021年の厚労省のデータでは、30代〜60代の女性でがんで亡くなる方の原因1位が乳がんだ。多くの女性にとってなり得る病気であり、早期発見、同期治療が何より重要といえる。では五間岩さんはどのようにがんと向き合ったのか。

ジャーナリストの島沢優子さんが伝えるルポの後編は、リンパへの転移も発見され、抗がん剤投与を経て乳房切除の手術へ向かった時のことからお伝えする。全摘(乳房全切除術)か、部分切除にするか。重い決断を迫られた。

*なお、乳がんの治療は「標準治療」の中でも個人により差異があります。また、添加物やオーガニック、よもぎ蒸しなどとがんの関係はエビデンスで証明されているものではありません。治療に関してはご自身の医師と相談いただきますようお願いします。

(文中敬称略)

再発リスクが低いのは

五間岩(ごけんいわ)ゆかは一瞬だけ考えた。

乳がんの手術をするにあたり、7回目の抗がん剤投与終了時点の結果を見て全摘するか部分切除するかを決めなくてはいけない。治療結果は良く、がん研究会有明病院乳腺センター 医師の片岡明美から「がん(細胞)が現時点でほぼ消えているので、8回目で全て消えるでしょう。がんがいた場所だけを切る部分切除でもいけるよ」と言ってもらえた。それぞれのリスクやメリットを長い時間をかけ、丁寧に説明を続けてくれたが、全摘のほうが再発リスクが低いことは明白だった。

片岡が「今、決めなくてもいいよ」と言ってくれた瞬間、頭に同じ乳がんで逝った友人たちの顔が浮かんだ。温存を選んだり、部分切除を選んだあと、治療が長引いている友人もいる。

もちろん、全摘すれば絶対再発がないということではない。リスクが低いというだけだ。それでも「先生、全部取ってちゃってください」とその場で答えた。早く日常に戻りたかったから。友人たちが背中を押してくれた気もした。五間岩はそのときの決意をこう振り返る。

「独身で乳がんサバイバーの先輩が、この先この人と生きたいと願う人に出会えるかもしれないし、その人が片方しか乳房がないってわかったらどうだろう?って考えたとき、温存を考えたと言っていましたが、私はそれが理由で一緒にいることを躊躇する男性を、そもそも好きにならないなって思ったんです」

「あなたは恵まれているんだよ」

左乳とリンパを全摘し、再生手術は受けない。根治を目指し、前向きに生きるための選択をした。手術した時期はまだコロナの影響があり、家族の付き添いもなくひとりで入院した。姉が手術時は病院で待機してくれた。

「心配をかけて申し訳ない気持ちでいっぱいでした。病室に入ってもらうことはできなかったけど、手術室から出て来たとき に声を掛けてくれて ホッとした」(五間岩)

手術は2時間。予定より早く終わった。術後はすぐに意識がはっきりとしたため、カテーテルを早いタイミングで抜いてもらい病室内を自由に歩けるようになった。痛み止めを一度も飲む必要がなく拍子抜けした。

手術から8日目に退院。12日後の診察で、切除部分の生検結果の結果、左胸とリンパにがん細胞が消えていた と告げられた。結果次第では放射線治療を追加する可能性もあったため、思わずガッツポーズをした。片岡がわがことのように喜んでくれて嬉しかった。

ところが、このあとさらに再発予防のための抗がん剤を 13回にわたって投与する治療方針が示されたのだ。苦しい治療と手術を乗り越え安心し切っていた五間岩は「え〜っ、まだ続くんですか!?がんは消えたのに!しかも13回!?嫌だなぁ……」。

すると、あのやさしい片岡が顔をぎゅっと引き締めこう言った。

「五間岩さんは恵まれているのよ。医療の発達によって根治させるために術後に投与する抗がん剤があること。それが有効なガン細胞だったこと。13回投与できる体力とお金があって、病院に通いやすいところに住んでいて、ご家族やいろんな人が助けてくれている。待合室を見てごらん。大きな荷物をもった老夫婦が支えあって田舎から泊りがけで一生懸命に来ているよ。患者さんの中には、いろいろな理由で治療を受けたくても受けられない人がいるんだよ。治療を嫌だなんて言ってはいけないよ。五間岩さんなら頑張れる!」

先生から叱られ、人として成長

五間岩の頭に、支えてくれた人たちの顔が浮かんだ。姉はがん研に移ってから、がんの正体が分かるまでの検査結果時はいつも病院に付き添ってくれた。マネージメントを担当している篠崎愛は「現場から離れないでね。私が五間岩さんのペースに合わせるから」と言ってくれた。撮影で沖縄行きの飛行機に遅れそうになった時、手術前に抗がん剤治療で足がむくんで動きづらい自分に「私が先に行ってお願いするから」と告げ、懸命に走ってくれた。副作用で食欲のない五間岩のために食べやすいものを用意してくれたスタッフもいた。恵まれている。頑張らねば。

「最後までちゃんと闘いなさいと喝を入れられた気がした。先生からおしかりを受け、人としても成長することができました」

五間岩がそう神妙に振り返ったことを伝えると、片岡は「私からすると当たり前のことを言ったに過ぎないんです」と笑顔で首をすくめた。

「業界的にも性格的にも、元気じゃない姿や、くたばってる姿とかを多分見せたくないんだろうなと理解していました。カッコよくバリバリ仕事をするのがあの方のカラーだと。だからこそ、自信を持って私は克服したぞっていう気持ちを持ってほしいと思ったので、そんなふうに言いました」

片岡が話したように、芸能界は真夜中に会っても「おはようございます」とあいさつをする習慣があり 、24時間を一日のスタートであるかのように振る舞う社会に見える。片岡は五間岩に「お酒は10年やめたほうがいい。五間岩さんのガンは不規則な生活習慣もできた一因だから」とも告げた。五間岩から「ガチガチの男性社会」と聞いていたこともあって「こっちは医者としてきちんと治すので、それを糧にしてまたキャリアアップというか、もっと高みを目指してほしいですね」。

ただし、どの患者にもそのように接しているという。片岡は「小さいお子さんがいるママさんとか、あるいはもっと年配の女性であっても、その方の人生を応援したい。患者さんが好きなんですね。そういう気持ちが五間岩さんに伝わったのなら、私も嬉しいです」と目じりを下げた。

治療を頑張り続ける「後押し」の存在

主治医の「喝」は、五間岩にとって力強い応援歌になった。13回もの抗がん剤の副作用に苦しんだ。何度も抗がん剤を投与している影響から血管が細くなり、針がうまく入らず何度も刺したことも。だが、がん研は血管への点滴注射から皮下注射による方法をいち早く取り入れることになり、太ももに針を刺すだけの皮下投与に変わったため、5分で投与が完了した。どこまでもラッキーだった。

下痢が続くなか体調が悪いことを隠して仕事を続けていたら、衣装を忘れたままロケに行くなどかつてないミスを犯すこともあった。打ち合わせの会食帰りに、激しい下痢に襲われ下着を捨てたこともあった。目が見えづらくなり日中に間違えて睡眠導入剤を飲んでしまうこともあった。爪がボロボロになり生えてこない……鼻毛がなくなり鼻水が止まらない……予想だにしない苦悩の連続だったが、歩みは止めないと決めていた。タレントたちのマネージメントを休まないこと、彼女たちの成長が、こころの支えでもあった。

加えて、自分がサポートしているタレント以外で、その成長を支えにしている「推し」がいた。その男の名前は「内尾聡理」。23歳、184センチ。現在Bリーグのファイティングイーグルス名古屋に所属するプロバスケットボール選手である。

実は五間岩は中学時代までバスケットをしていた。全国大会の常連で強豪校として知られる複数の高校への推薦の話しもあったものの、その身長では無理だと父親に大反対されあきらめた過去がある。その後もバスケットファンとして折に触れ高校や大学、Bリーグを観戦。現在NBA挑戦中の河村勇輝の福岡第一高校時代の同級生である内尾に高校時代から注目していた。彼らが3連覇したウインターカップ決勝で、敗れた福岡大学付属大濠高校の片峰コーチが「内尾の存在が福岡第一の強さ」と語ったインタビュー記事を読み小躍りして喜んだという。

乳がん闘病中、大学在学中ながら千葉ジェッツに加入した内尾を陰ながら応援し続けた。2024年5月。B1チャンピオンシップの千葉ジェッツ対宇都宮ブレックス戦は、抗がん剤を投与した夜だったため、部屋のソファーに横たわったまま観た。副作用で全身がだるく眠気が迫るなか、うっすら眼を開けた五間岩はあまりの衝撃にソファーから跳び起きた。

しつこくまとわりつく見事なディフェンス

相手エースの外国人選手に対し、フロントコートからしつこくまとわりつく見事なディフェンスを見せていた。突き飛ばされながらもボールを奪取する。果敢にリバウンドへ飛び込む。コートの端から端までチームのために走り回った。

(彼はどんなにきついだろう。苦しいだろうか)

バスケットに真剣に取り組んだことがあるだけに、内尾のハアハアと吐く息や心臓の脈打つ音が迫ってくる気さえした。

(いやいや、こんなこと、なかなかできないって!)

立ち上がって拍手した。はらはらと涙を流していることに気づいた。

(聡理くんはどれだけの努力を重ねてここにいるんだろう。私もここから立ち上がる!生まれ変わる気持ちでもう一度頑張ろう!)

体中に得体のしれないパワーがみなぎるのを感じた。

後で、千葉のリーダー富樫勇樹が内尾についてコメントした記事にもこころを打たれた。

「あれだけのしつこさでディフェンスができる選手は、このリーグにもそうはいません。この3日間、彼のディフェンスが、千葉ジェッツをセミファイナルに連れていったと言っても過言ではないくらいです」

聡理君のバスケに魅了され立ち上がれた

五間岩はその後、知人に名古屋に移籍した内尾の代理人のコアスポーツマネージメントの西川勇仁太代表につないでもらい、自分の思いを伝えた。

「私は聡理君のプレーに魅了されて、元気とパワーをいただきました!なので、彼に恩返ししたい気持ちと、世の中の悩みを抱えている人達にもそのプレーと存在を見て知って、元気になって人生を楽しんで欲しい思いがあります」

乳がんサバイバーであることは重過ぎるかも知れない。そう考え隠した。すると、西川勇仁太代表から「そう言っていただけて本当に嬉しく思います。選手のプレーや行動が、何人かの人の心を動かし、その人たちの元気の糧になることはできると思っています」と返してもらった。泣けた。2024−25シーズン前に直接会う機会も作ってもらった。思った通りの好青年だった。

その後、内尾本人にサバイバーであることもLINEで打ち明けた。対面や電話では泣いてしまうと思ったからだ。すぐさま返事が来た。そこには「まず、このような大切な話しを共有してくださり、本当にありがとうございます。僕がプレーすることで、少しでも生きる希望を見出していただけたことは、僕にとっても励みになります。」で始まる誠意溢れる言葉が並んだ。主治医から10年お酒を止められているので、聡理と美味しいワインを飲めないのが残念だと書いた。

「お酒を飲めるようになる日まで、バスケを続けられるよう頑張ります!」

五間岩はまた泣いた。彼女は今日も、スポーツの力と人の愛で生かされている。

◇では、そんな五間岩さんを身近に見ている人はどのようなことを感じたのだろうか。10月15日には篠崎愛さんのインタビューを公開する。

「おっぱい切っちゃうわ!」と言われ…篠崎愛がマネージャーに乳がんを告白されて思ったこと