じつは、分娩だけは陸上に戻っていた…わずか1000万年で海の頂点に達したムカシクジラ「陸との決別」はいつだったのか

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新生代は、今から約6600万年前に始まって、現在まで続く、顕生代の区分です。古生代や中生代と比べると、圧倒的に短い期間ですが、地層に残るさまざまな「情報」は、新しい時代ほど詳しく、多く、残っています。つまり、「密度の濃い情報」という視点でいえば、新生代はとても「豊富な時代」です。

マンモスやサーベルタイガーなど、多くの哺乳類が登場した時代ですが、もちろん、この時代に登場した動物群のすべてが、子孫を残せたわけではありません。ある期間だけ栄え、そしてグループ丸ごと姿を消したものもいます。

そこで、好評のシリーズ『生命の大進化40億年史』の「新生代編」より、この時代の特徴的な生物種をご紹介していきましょう。今回は、始新世から漸新世にいたるクジラ類の進化について見てみましょう。

*本記事は、ブルーバックス『カラー図説 生命の大進化40億年史 新生代編 哺乳類の時代ーー多様化、氷河の時代、そして人類の誕生』より、内容を再構成・再編集してお届けします。

陸で出産?…ムカシクジラ類

さて、新生代の哺乳類ともなれば、子を卵ではなく、赤ちゃんとして産んでいたとみられている(中生代の哺乳類については謎が多い)。いわゆる「胎生」である。クジラ類も例外ではなく、現生種は水中で子を出産する。

このときポイントとなるのは、胎児の向きだ。

陸上で暮らす哺乳類は、頭から産む。つまり、母体からは、頭が先に出る。一方、水棲哺乳類は、尾からであることが多い。これは、哺乳類の呼吸法と関係している。

哺乳類の呼吸は肺呼吸であり、水棲種であっても水中では呼吸できず、水面から顔を出す必要がある。水中における出産に際して何らかの理由で時間がかかった場合、頭から産んでいたとしたら子は呼吸できなくなって窒息死してしまう。尾から先に出すことで、子の頭部をぎりぎりまで母体内に残し、出産したらすぐに水面で呼吸できるようにする。

そのため、子を「頭から産む方式」であるか「尾から産む方式」であるかという情報は、その動物がどのくらい水中生活に適応していたのかを探る指標になるとみられている。

では、まさに水中へ進出する途上にあるムカシクジラ類はどうだったのだろうか?

一つの手がかりが報告されている。

水中適応が「一歩進んだ」種…出産はどこで?

「マイアケトゥス(Maiacetus)」と名付けられたムカシクジラ類の化石だ。パキスタンで発見されたその化石には、「GSP-UM 3475a」という標本番号が付けられている。ちなみにこの化石は、マイアケトゥスの命名に用いられた標本(ホロタイプ:正基準標本)でもある。

マイアケトゥスの全長は2.6メートルほどで、アンブロケトゥスと似た姿をしている。ただし、アンブロケトゥスよりも尾の骨に高さがあるため、尾お 鰭びれをもっていた可能性が指摘されている。先にご紹介したアンブロケトゥスよりも“一歩先”へ水中適応が進んだと位置付けられるムカシクジラ類である。

2008年にマイアケトゥスを報告したミシガン大学(アメリカ)のフィリップ・D・ギンガリッチたちは、「GSP-UM 3475a」の体内に、小さな動物の化石があることを見出した。ギンガリッチたちは、この小さな動物を胎児と判断し、その頭部の方向に注目。後方に向いていたことから、マイアケトゥスは「頭から産む方式」だった可能性が高いとしている。

ギンガリッチたちの指摘の通り、マイアケトゥスが「頭から産む方式」を採用していたのであれば、出産は陸上で行われていた可能性が高くなる。ムカシクジラ類において、マイアケトゥスの“段階”においても、まだ陸域との“縁”は深かったわけだ。

もちろん、「GSP-UM 3475a」が見せる状態が、いわゆる「逆子」だった可能性もあるし、そもそも胎児ではなく、他の動物を捕食したものが体内に残っていた可能性もある。「可能性」という言葉ばかりを羅列してしまうが、これは現時点では如い 何かんともし難い。マイアケトゥスの新標本が発見され、胎児が確認されれば、もう少し可能性の高い話となることだろう。

始新世の終わりが近づいたころ、ムカシクジラ類における“進化の頂点”ともいうべき種類が登場した。

なんと、全長20メートル!「爬虫類に間違え」られた

ムカシクジラ類における“進化の頂点”ともいうべき種類とは、「バシロサウルス(Basilosaurus)」だ。

バシロサウルスは、全長20メートルに達する超大型のムカシクジラ類である。現生のナガスクジラ(Balaenoptera physalus)に匹敵する巨体だ。ただし、ナガスクジラと比べると、全長に占める頭部の割合はずっと小さい。

また、ナガスクジラの首は、個々の骨が癒合していることに対し、バシロサウルスの首の骨はそれぞれ独立していた。前脚は鰭ひれとなり、後脚は小さくなっていて、骨盤と関節していない。どこからどうみても、水中適応を果たした姿をしている。なお、哺乳類なのに、

「saurus」が名前に使われているのは、命名時に爬虫類と勘違いされたからだ。バシロサウルスの研究史において、その勘違いは早期に指摘・修正されたものの、一度つけられた学名は、そう簡単には修正されない。

バシロサウルスの頭部は小さいとはいえ、それはあくまでも「全長に占める割合」の話だ。実際のところ、頭部は2メートル近い長さがあり、そこにはがっしりとした歯が並ぶ。

2015年にウィスコンシン大学(アメリカ)のエリック・スニブリーたちが発表した研究によると、バシロサウルスの顎が生み出す「嚙む力」は、2万ニュートンを超えたという。この値は、サメ類と比較するとけっして大きいとはいえないが、それでも、現生のワニ類などよりもよほど大きい。

強力な顎を武器に、バシロサウルスは始新世の海洋生態系に君臨していたらしい。

2019年、ライプニッツ進化・生物多様性研究所(ドイツ)のマンヤ・ヴォスたちは、エジプトで発見されたバシロサウルスの化石(標本番号「WH 10001」)に注目し、その胃の内容物として小型のムカシクジラ類とそれなりの大きさとみられるサカナの歯が確認できたことを報告している。ヴォスたちの調査によれば、小型のムカシクジラ類は、少なくとも2個体以上は捕食されていたようだ。

ヴォスたちは、バシロサウルスを「頂点捕食者」と位置付ける。そして、だからこそ、これまで以上に注目し、分析を続けていく必要があると、論文の中で主張している。

ムカシクジラ類は、始新世に登場し、始新世で進化を重ね、始新世が終わる前に、海洋生態系に君臨するに至った。その期間は1000万年に満たず、なかなかの“速度”である。なお、本記事におけるムカシクジラ類の話はここで終わりだ。次の漸新世からは、クジラ類の物語へと移る。

「もう少しムカシクジラ類について情報が欲しい」という方は、2021年に技術評論社から上梓した拙著、『地球生命 水際の興亡史』を開いてほしい。

クジラ類は次のステップへ

始新世に海洋進出したクジラ類は、順調に多様化を続けていった。

そして、漸新世になって生じた南極周極流は、クジラ類にさらなる“チャンス”を創出する。

南極大陸をぐるぐると回る海流は、暖流と交わることがない。そのため、しだいに冷たく、そして重くなっていく。そして、深海に沈むのだ。

深海底には、さまざまな栄養分が堆積している。深海へ沈んだ海流は、海底にたまる栄養分を巻き上げる。その栄養分は、プランクトンの餌となり、プランクトンが急増。そして、その増えたプランクトンを餌として、「ヒゲクジラ類」が台頭する。

続いては、このヒゲクジラ類の仲間の進化を追ってみよう。

カラー図説 生命の大進化40億年史 シリーズ

全3巻で40億年の生命史が全部読める、好評シリーズの新生代編。哺乳類の多様化と進化を中心に、さまざまな種を取り上げながら、豊富な化石写真と復元画とともに解説していきます。

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