「弱者に無関心すぎる…」マザー・テレサがお忍びで訪れた”西成・釜ヶ崎”で暴いた日本人の「本性」

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1960年代ストリップの世界で頂点に君臨した女性がいた。やさしさと厳しさを兼ねそろえ、どこか不幸さを感じさせながらも昭和の男社会を狂気的に魅了した伝説のストリッパー、“一条さゆり”。しかし栄華を極めたあと、生活保護を受けるに至る。川口生まれの平凡な少女が送った波乱万丈な人生。その背後にはどんな時代の流れがあったのか。

「一条さゆり」という昭和が生んだ伝説の踊り子の生き様を記録した『踊る菩薩』(小倉孝保著)から、彼女の生涯と昭和の日本社会の“変化”を紐解いていく。

『踊る菩薩』連載第122回

親しかった人々がみんな「死んでいく」…伝説のストリッパーに刻一刻と迫る「タイムリミット」』より続く

マラリアに罹ったマザー・テレサ

この当時、マザー・テレサがマラリアにかかって入院したというニュースが世界を駆け巡っていた。インド・コルカタを中心に、恵まれない子どもや貧しく住むところのない人、病気の人たちを救う活動を続けている女性である。病状は極めて危険だった。

一条の話が一段落ついたとき、私はこの話題を投げた。

「マザー・テレサが入院したんですよ」

以前、キューバを話題にしたとき、「カストロさんの国」と返されたのが印象深かった。

マザー・テレサについても一条は知っていた。

「あの人、昔、ここに来たんですよ」

確かにマザー・テレサは81年4月、日本を訪れた折、お忍びで釜ケ崎に来ている。

マザー・テレサの釜ケ崎訪問

マザー・テレサの釜ケ崎訪問を調整したのは、「神の愛の宣教者会」(ミッショナリーズ・オブ・チャリティー)である。私は以前、ここの修道女に話を聞いていた。

マザー・テレサは繁栄した日本だけでなく、貧しい人たちの姿も見たいと考えた。東京での華やかな歓迎レセプションの席で、「体調が悪い」と偽って会場を抜け、少数のお付きと一緒に新幹線で大阪を訪れた。

翌朝早く、彼女は釜ケ崎を歩いた。道路の真ん中で寝ている男性に近づいた。

「こんなところに寝ていたら、危ないでしょ」

その男性を助けながらこう言った。

「どうして日本人はこの人を助けないのか。家がなく道ばたに寝ている人はインドにもいるが、道の真ん中に寝ている人はいない。ああいう人に無関心な日本は本当に豊かなのか」

「元気だったら、私も...」

私は一条に、この取材経験を語った。彼女はこんなふうに言った。

「元気だったら、私も困っている人に食事作ったりしたいなと思うんですけどね。嫌いじゃないんです。身体がこんなになってしまったから無理やわ。助けてもらわなあかんもん。人に喜んでもらうのが幸せなんですよ」

秋から冬にかけ、私はこれまでのインタビュー内容の確認作業を続けながら、一条を訪ねた。頻度は月に一度程度に減っていた。一条の体調が思わしくなく、約束の日に訪ねても、しばしば留守だった。

史上初の小選挙区比例代表並立制による衆議院議員選挙の取材に、私は忙殺されていた。

そして、年が新しくなった97年5月には、アフリカへ長期取材に出た。ケニアやルワンダ、そしてウガンダを訪ね、難民やHIV(エイズウイルス)孤児の実態をレポートするためだ。

現地から一条に絵はがきを出した。

アフリカでの取材中、神戸では連続児童殺傷事件が起きていた。

一条は病院にかかる頻度が増していた。

返ってこない連絡

アフリカから帰った私は、手土産を持って解放会館を訪ねた。階段を上がって、3階の部屋をノックしても返事はなかった。いつものように名刺の隅に連絡がほしいと書いてドアに挟んで帰る。それでも連絡はなかった。一体、どうなってしまったのだろう。「炊き出しの会」の稲垣に電話で問い合わせる。

「入院しているんとちゃいますか。たまに戻ってきてるみたいやけど」

体調を崩しているようだが、さほど重篤ではなさそうだ。いずれ連絡があるだろうと考えていた。

全国的に暑い日が続いている。8月1日、連続射殺事件(68年)の死刑囚、永山則夫の刑が執行された。4都道府県で4人を殺害した罪を問われて、東京地裁で死刑が言い渡され、高裁では無期懲役となったが、最高裁はこれを差し戻した。二転三転の末、刑が確定したのは事件から22年後の90年だった。

永山は子どものころから極度の貧困状態にあり、虐待も受けていた。事件を起こしたとき、19歳の彼は読み書きも十分できなかった。確かに犠牲者は多かったが、こうした背景から、永山の死刑については執行前から賛否が渦巻いていた。

神戸連続児童殺傷事件の容疑者として14歳(当時)の少年が6月に逮捕されたことで、少年による凶悪犯罪に対し厳罰を求める声が高まった。世論を意識した国が、永山の刑を執行したとの見方も出た。そのため執行後も、その是非について議論が続いていた。

何度も世間を騒がせた女の「静かすぎる」旅立ち…伝説のストリッパー・一条さゆりの「最期」』へ続く

何度も世間を騒がせた女の「静かすぎる」旅立ち…伝説のストリッパー・一条さゆりの「最期」