朝ドラ『おむすび』を見て、痛感した…『虎に翼』の深みと「花江の存在」の重要さ

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『おむすび』との落差が大きすぎる

朝ドラ『おむすび』のゆるやかな世界を眺めていると、これがもともとの朝ドラだよなあ、とおもってしまう。

ふと大竹しのぶや秋野暢子が主演だった朝ドラをおもいだす。細かくは覚えてないんだけど、あのころ、1970年代半ばのこのあたりの朝ドラは、なんだかゆるやかな朝ドラだったという印象を持っている。

そこからおもうと、前作『虎に翼』はかなり突出した朝ドラであった。

かなり強いドラマである。

『おむすび』との落差が大きすぎる。

『虎に翼』のヒロインは偉大な人物であった。

伊藤沙莉が軽やかに演じていたから、さほど重い存在には感じなかったが、きちんと国から表彰される女傑である。

日本で初めて女性として弁護士になった存在であり、しかも定年まで家庭裁判所の所長として働いている。定年後も弁護士として活動しながら、さまざまな婦人活動に参与していた。

法曹界の女性パイオニアでありながら、そのまま継続してずっと働きつづけているところが、すごいとおもう。

実にパワフルな人物だったのがわかる。

このドラマは、尋常じゃない人物を描き、多くの人に感銘を与えた。

しかし朝ドラはすぐに次に移る。

気難しいけど尊い「英傑」の物語だった

土曜日に最終話(最終のまとめ編)が放送されると、日曜一日だけはさんで、月曜には次のドラマが始まる。一日しかタイムラグがない。

休みなく働き続ける昭和の日本人みたいである。

歴史上の英傑の物語を土曜日まで放送し、一日置いて、月曜からは平成のギャルのドラマが始まるのは、なかなかの落差であった。まあ、ギャルのドラマではなく、正確に言うなら地方都市の女子高校生の地味な日常が描かれるドラマでしかない。

これは、若く、名もなく、そして地味なところがいいわけで、そういうデコボコな作品が連続しているところが朝ドラの魅力なのだが、まあそれをすべての人が納得するわけではないだろう。しかたがない。

『虎に翼』が描いていたものは、いうなれば至高の世界であった。

至高というのは、つまりは日常とは別の世界のことである。

観念的世界にとらわれている、という言いかたもできる。

もちろんヒロイン寅子は日常に雑事にまみれにまみれて生きているのだが、その頭の中には至高の音楽のように日本国憲法の条文が鳴り響いており(それはそれでちょっとどうかともおもうのだが)それを信じて、そして具現しようとして生きている姿は、気難しくはあるが、尊い姿だと言える。

「なんぴとも平等であり、差別されない」と唱えたところで、現実にはそこかしこに不平等があり、差別がまかりとおっているわけで、ふつうはそれは見て見ぬふりでやりすごすのだが、ヒーロー的寅子はその現実にも「はて?」と問い続ける姿勢を崩さない。

ここがすごかった。

コミカルに軽く描いていたが、とんでもない態度であって、常人のなせることではない。

こういうところが「英傑」の物語であったとおもう。

だから、制作陣の意気込みがいろんなところに感じられた。

重要だった「花江さん」の存在

たとえば週タイトルに、女性にかかわる格言やことわざなどを並べていた。

いちおう文末に「?」をつけて柔らかくしていたが、本来は女性にとって心地いい言葉ではない。

「女賢しくて牛売り損なう(1週)」「女の知恵は鼻の先(10週)」「女の知恵は後へまわる(25週)」

あきらかに「女の知恵」を揶揄したもので、つまりは知恵において男に劣っているということを繰り返し言っている。

また「女は三界に家なし(3週)」「朝雨は女の腕まくり(5週)」「女子と小人は養い難し(11週)」「女房は掃きだめから拾え(13週)」「女房百日、馬二十日(14週)」などもまた、女性を良く言った言葉ではない。

女性をなかなか認めない社会と戦っているドラマにおいて、その週タイトルを、あえて「男性に比べて女性は劣る」という意味のものをつける(毎週ではないが)というのは、やはり勇気のいることである。

主人公は、前例のない道をみずから切り拓き、孤高だが気高い人生を歩み、それはふつうの人が共感を抱きにくい。

そのぶん家庭でのヒロインの姿は違っていた。

そこで重要な存在だったのが、女学校時代からの親友の花江さん(森田望智)である。彼女はまた兄の嫁でもあるので、ヒロインの家族として同じ家に暮らしていた時間が長い。

この花江さんの存在がいろんなものを気楽に感じさせてくれた。

いろんなものが詰まっていた第3話

『虎に翼』は森田望智でもっていたようにおもう。

花江さんが兄と結婚する前、ヒロインの寅子が法曹の道を進みたいと母(石田ゆり子)に訴えるのを止めていた。

自分の結婚まで待ってくれと、まろやかに告げる花江さんが見事であった。

まず、自分が寅子の兄と結婚できるようになったのはどういうことだったのかを細かに説明した。先に好きになったのが自分で、それを男のほうが自分から好きになったとおもい、結婚を申し込んでくれるまで、花江さんがどういう手管を使ったのかを説明して、そういう発想をまったく持ってない寅子はドン引きする。

「とらちゃん………つまりわたしがなにをいいたいかわかる?」

このあたりは花江さんという存在そのものがすごく、舌を巻くおもいで見ていたが、それを演じてどこにも隙のない森田望智の説得力が尋常ではない。

寅子は、うかうかとこう答える。

「花江ちゃんがえげつない女だってこと……」

「ちがうぅぅ、どうしても欲しいものがあるなら、し、た、た、か、に、生きなさいってこと……私のためにも、寅ちゃんのためにも、いまはおかあさまのご機嫌をとる……」

それを聞いて嫌な顔を寅子がする。

「その顔もだめ、いつもにこやかにねえ………どんな道でも女が好きな道をいくのは大変なのよお」

はあと、ひきつって笑顔を作ろうとしている寅子。

この第3話にいろんなものが詰められていた。

『虎に翼』の深み

家庭内における女性の振る舞いについては、圧倒的に花江ちゃんが優位にあった。

このあと弁護士となり、寅子の夫も、兄も(つまり花江ちゃんの夫)、また寅子の父も戦争のため(戦後すぐというのもふくめ)死んでしまう。

一家を支えるのは寅子の稼ぎにかかってくる。寅子の子も、花江の子もひとつ家に住み、やがて寅子が「亭主」のように振る舞うようになる。

「寅ちゃんは何も見てない、何もわかってない……」

72話で、花江さんは嘆くように言う。

二人の関係は変わっていない。

家庭内では、ずっと絶対的に花江さんが正しかった。

社会的に偉くなり、立派な人物となったヒロイン寅子であったが、でも「本当は正しいのは花江さんの道」ということが何度か暗示されていた。

このへんがこのドラマの深みである。

花江さんの道は、じつは、最初はあまり仲の良くなかった姑(寅子の実母)のはる(石田ゆり子)と同じ道であった。

寅ちゃんが進む道も立派だけど、家庭をないがしろにしてはいけないという花江さんの提言は、やがて、まわりまわって法律家の寅子にも戻ってくる。寅子はそこから「愛の家庭裁判所」に生きていく。

振り返って見れば、無駄のない、ダレ場のない朝ドラとしての名作であったとおもう。

いいドラマだった。

ただ、あなたはこのヒロインが好きだったかと聞かれると、いや、好きではない、と答えるしかない。それはしかたない。

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