「陰謀論」と「宗教」と「小説」は似ている…? 「物語」という存在のヤバさを、直木賞作家が考える

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『地図と拳』で山田風太郎賞、直木賞を受賞。注目作を発表し続ける小川哲さんの最新の短編集『スメラミシング』では、「陰謀論」が重要なモチーフの一つとなっている。

【前編】「人間の根本には「陰謀論的なものの見方」がひそんでいる…直木賞作家が「陰謀論」に惹かれる理由」の記事に引き続き、小川さんに執筆の背景を聞いた。

〔撮影:西粼進也〕

物語の洗練

――前編でも伺いましたが、冒頭の短編「七十人の翻訳者たち」では、聖書がいろいろな偽書を取り入れながら洗練されていった様子の一端が描かれています。聖書という物語が「進化」していくようなイメージが新鮮ですが、このような作品によって、「物語」という存在のどのような側面を描こうとしたのでしょうか?

小川聖書というのは、僕らが物語について考えるときに根本に置くことが多いものですが、実はオリジナルテキストがなく、正体がよくわからないところがあります。オリジナルがわからないものが、様々な断片を取り込みながら、自分たちの歴史を正当化するために操作され、魅力を増し、その果てに圧倒的な存在感を獲得した可能性が高いわけです。ちょっと陰謀論とも似てると思いませんか?

その「洗練」のプロセスには興味を惹かれますよね。いま聖書として残っているエピソード以外にも様々な説話があったはずだし、イエス・キリストもいろいろなことをしただろうと思うけれど、その中で最も強い物語だけが数千年という期間を生き残り、今も存在しているんです。進化論の比喩を使えば、自然淘汰的に弱い物語が消え、強い物語が残った。だからこそ、聖書はあの完成度の高さになったのだろうと思います。

小川日常でも、人間は現実で起こったことを記述したり、発言したりするときに、無意識に物語化しますよね。聖書がそうだったように、話の中で必要のないところを削ったり、必要だと思うパーツを強調して盛ったりしている。

歴史記述がなされたり、聖書が作られたりする中で、人々を強く引きつける物語をつくる力……いわば「物語化の技術」は進化し、磨かれてきたのだと思います。「こうするとそれらしくなる」「こうすると説得力が増す」といった試行錯誤の歴史があるわけです。

実は、僕ら小説家というのはその果てに存在していて、聖書とか陰謀論とかの存在によって長きにわたって磨かれてきた技術を使いながら商売をしている。そういう認識のうえで、小説を書いています。

僕が使っている表現や技術も、僕が自分で発明したものではなくて、この世界に元から存在しているものを使っていると思っています。今まで脈々と使われてきた語りの技術や語彙、そのすべてに根拠があり、その歴史の中に自分もいるというふうに認識しています。

――小説を書くことは歴史の中で洗練されてきた技術の上に成り立っている、という視点があるのですね。

小川そうですね。技術だけかどうかは別として、自分が書きたいと思っていることを伝わるように形にするうえで重要なのは技術です。伝えたい思いみたいなものはみんなあるだろうけれど、それを小説という作品にできるかどうかは技術的な側面が大きいと思いますね。

小川たとえば、今作の場合で言うと、収録作の一つの「神についての方程式」は難解な数学の話が出てくるので、スムーズに読んでもらうのは難しい。こういうときは、難しい話をわかりやすく書くことよりも、わからなくてもいいと思ってもらうことが大事です。一人称でつらつらと書くのではなく、少し捻ってサイエンスライターが書いているという体にすることで、難解な部分もあるけれど全て理解しなくても大丈夫だと示すことができます。これも一つの技術ですね。

小説家は世の中で起きていることや周囲の人に流されず、オリジナルに物語を作り出している、と思われることも多いけれど、僕はそうではないと思っています。これまでに発表された作品はもちろん、世の中で起きた出来事、あるいは世間の人々に大きく影響されている。世の中の人が求めているものや、人々に求められる思考の枠組みに合った小説でなければ、多くの人には読まれないのではないでしょうか。

小説家のあいだにも影響関係がありを与え合い、技術や癖が継承されていると思っています。大江健三郎の小説を読んでいる人は少なくても、大江健三郎の小説を読んで作品を書いている作家はとても多いから、実は大江作品は重要な「物語の血統」を支配している。そのように、「自分の血統を残せる作家」が年代ごとにいて、競走馬でいうサンデーサイレンスみたいなものですよね。

「偶然」を利用する

――少し話は変わりますが、小川さんの作品にはユニークな人物がたくさん出てきます。たとえば、過去作『ゲームの王国』には輪ゴム占いを信じる人が、今回の表題作「スメラミシング」にはプリントのサイズが揃っていないと気が済まない人が登場します。どこから発想を得ているのでしょうか。

小川僕の場合は、偶然性を使ってアイディアを生んでいます。輪ゴム占いに関しては、書いているときに目の前に輪ゴムの箱があり、「登場人物一覧に輪ゴムと書いてあったらおもしろいな」と思ったのがきっかけでした。プリントのサイズを気にするキャラクターを思いついたのも、執筆時に机の上の資料のプリントが揃っていなかったことが発想のもとになったような記憶があります。

小説を書いているといろいろな偶然が入り込んできたり、自分が書いた文章が思いもよらない方向にいったりする。そうした偶然性をキャッチしていかないと、新しい設定やアイディアは生まれないのだと思います。自分の頭の中だけで考えたアイディアは本当につまらない。偶然を生かしてそれを超えることを、小説を書くときに最も大事にしています。

人間の根本には「陰謀論的なものの見方」がひそんでいる…直木賞作家・小川哲が「陰謀論」に惹かれる理由