しかたなく水に入ったのではなかった…海の巨大爬虫類滅亡後のニッチに潜り込んだ哺乳類。まさか「こいつの子孫がクジラにつながる」とは

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新生代は、今から約6600万年前に始まって、現在まで続く、顕生代の区分です。古生代や中生代と比べると、圧倒的に短い期間ですが、地層に残るさまざまな「情報」は、新しい時代ほど詳しく、多く、残っています。つまり、「密度の濃い情報」という視点でいえば、新生代はとても「豊富な時代」です。

マンモスやサーベルタイガーなど、多くの哺乳類が登場した時代ですが、もちろん、この時代に登場した動物群のすべてが、子孫を残せたわけではありません。ある期間だけ栄え、そしてグループ丸ごと姿を消したものもいます。

そこで、好評のシリーズ『生命の大進化40億年史』の「新生代編」より、この時代の特徴的な生物種をご紹介していきましょう。今回は、海洋の哺乳類「クジラ」の進化についてご紹介します。化石標本をもとに、いかにして海へと進出していったのかを想像していく、じつにスリリングな古生物ヒストリーのはじまりです!

*本記事は、ブルーバックス『カラー図説 生命の大進化40億年史 新生代編 哺乳類の時代ーー多様化、氷河の時代、そして人類の誕生』より、内容を再構成・再編集してお届けします。

「隙間」が生じた海洋への進出

かつて、中生代の海洋世界には、大型の海棲爬虫類(かいせい・はちゅうるい)が存在した。イルカのような姿をした魚竜類、首の長いクビナガリュウ類、そして、モササウルス類などである。彼らは海洋生態系において、さまざまな地位で生きていた。

新生代に入ると、この3グループは姿を消した(もっとも、魚竜類は中生代末を待たずに消えていた)。

もちろん、依然としてサカナたちは存在していたし、海棲爬虫類の中でもウミガメたちは滅んでいない。

しかし、海洋世界に“隙間”が生じたらしく、以前の記事*でご紹介したように暁新世にはまず鳥類の一員であるペンギン類が進出に成功。そして、始新世には、我らが哺乳類も本格的に進出を開始する。

クジラ類の系譜の始まりだ。では、さっそく見てみよう。クジラとは似ても似つかないその姿にびっくりされるだろう。

*参考記事:恐怖の姿をした飛べない鳥、160kgの巨大ペンギン…「大量絶滅事件を乗り越えた鳥類」驚愕の姿(記事リンクが無効な場合は、下記の【関連記事】から進めます)

クジラ類に近い偶蹄類

絶滅した哺乳類グループに属するレプティクティディウムや、初期の霊長類である(一時は、人類の初期系譜に関係するかと注目を浴びた!)ダーウィニウスがヨーロッパの森林を楽しんでいたころ、あるいは、その少しあとの時代、現在のインドとパキスタンの境界付近に、頭胴長40センチメートルほどの偶ぐう蹄てい類るいが登場していた。

その名を「インドヒウス(Indohyus)」という。「偶蹄類」とは、シカやウシ、カバなどの仲間のことで、インドヒウスはカバ類に近いとされる。

ただし、見た目はカバ(Hippopotamus amphibius)とは程遠い。全体的に細身であり、吻部は細長く、長い尾がある。マメジカの仲間のような姿である。歯の形は植物食者のそれだ。

インドヒウスの見た目は、陸上動物のそれだ。しかし、骨と歯の化学分析結果は水中で過ごしていた可能性を指摘しており、何よりも耳の骨は、水中の音を拾いやすくなっていた。「音」は空気中と水中では伝わり方がちがう。そのため、現生種の耳をみると、私たち陸上の哺乳類と、水中で暮らすクジラ類ではそのつくりが異なっている。

インドヒウスの場合、姿は陸上活動向きであっても、からだの中には“水棲適応の準備”が備わっていたようだ。こうした点を鑑みて、インドヒウスは、陸上と水中を行き来する生態だったとみられている。そして、この動物が、クジラ類の系譜に最も近い陸上哺乳類とされる。

クジラ類の中でも、初期の種類は「ムカシクジラ類」と呼ばれているが、インドヒウスとほぼ同じ時代に生息していた存在をご紹介しよう。

見た目はインドヒウスと似てるけど…ディテールの違いが語る「ムカシクジラ類の特徴」

初期のクジラ類「ムカシクジラ類」における最古級の一つであり、代表ともいえる存在は、「パキケトゥス(Pakicetus)」である。

パキケトゥスは、インドヒウスとほぼ同じ時代に、ほぼ同じ地域に生息していた。ただし、その頭胴長は約1メートルであり、インドヒウスの倍以上、ラブラドール・レトリバー種のイヌとほぼ同じサイズである。もちろん見た目は、ラブラドール・レトリバーよりもインドヒウスに近い。……近いけれども、よく見れば、いくつものちがいがあった。

例えば、眼の位置だ。パキケトゥスの眼は、インドヒウスと比べると高い位置にあった。また、歯は鋭く、肉食者のそれに見える。

眼の高さは、水中に身を隠し、水面から眼の周囲だけを出してまわりのようすを窺うかがうことに向いている。歯の鋭さは、例えばサカナを捕食することに便利だったかもしれない。

パキケトゥスは、生態も現生のワニ類に近かったのではないか、とみられている。すなわち、水中に待機して、水を飲みにきた陸上動物を襲う。あるいは、浅い池の中でサカナを捕らえていたのではないか、というわけだ。

いずれにしろ、かくしてクジラ類の歴史はスタートした。そして彼らは、急速に水棲適応を遂げていくことになる。

さらに水棲適応が進化で、「海洋進出」を達成か!?

パキケトゥスの出現から100万年ほど経過したころ、インドヒウスやパキケトゥスのいた場所からそう離れていない場所にあった海に、“一歩進んだムカシクジラ類”が登場した。

このムカシクジラ類の名前を「アンブロケトゥス(Ambulocetus)」という。ラブラドール・レトリバーサイズだったパキケトゥスを遥かに凌駕(りょうが)するその頭胴長は、実に2.7メートルに達した。吻部は細長く、しかし、がっしりとしており、口には明らかに肉食性とわかる鋭い歯が並ぶ。四肢は短く、手足には水かきがあったとみられ、また、長くて力強い尾をもっていた。

アンブロケトゥスの化石が発見された場所の近くでは、陸上哺乳類の化石もみつかっている。その一方で、海棲の巻貝の化石も発見されている。また、アンブロケトゥス自身の歯の化石の化学分析の結果は、アンブロケトゥスが汽水環境に生きていたことを示唆していた。

こうした諸情報は、アンブロケトゥスが河口域や沿岸域を生息域としていたことを物語る。実は、インドヒウスもパキケトゥスも、彼らの「水域」は、河川などの「淡水域」だった。アンブロケトゥスの段階に至って、ムカシクジラ類はついに「海に出た」のである。

そして、実は、“もっと海”だったのかもしれないという指摘もある。どういうことであろうか?

完全な水棲種を示す「肋骨」

2016年に名古屋大学大学院の安藤瑚奈美と名古屋大学博物館の藤原慎一が発表した研究によると、アンブロケトゥスの「肋骨の強度」は、完全な水棲種のそれであるという。

多くの四足動物は肋骨をもち、その一部は前脚と筋肉でつながっている。陸上を四肢で歩き回る場合、その肋骨は、からだの前半分の体重を支えることになる。そのため、陸上種のその肋骨はかなり丈夫であり、半水半陸の生態であっても、それなりに丈夫である。

しかし、安藤と藤原の研究によれば、アンブロケトゥスの肋骨には、そうした“丈夫さ”がなかったというのだ。さまざまな要素が絡み合うアンブロケトゥスは、ムカシクジラ類の進化の鍵を握る存在だ。

しかし、インドヒウスやパキケトゥス、アンブロケトゥスの化石産地の周辺域は、21世紀になってから急速に治安が悪化し、古生物学者によるさらなる調査が極めて困難な状況になっている。早く平和な時代がやってきて、多くの古生物学者が安全に研究ができる日々が再び訪れることを願ってやまない。

さて、新生代の哺乳類ともなれば、子を卵ではなく、赤ちゃんとして産んでいたとみられている(中生代の哺乳類については謎が多い)。いわゆる「胎生」である。クジラ類も例外ではなく、現生種は水中で子を出産する。ただ、このときポイントとなることがある。キーワードは「呼吸」である。どういうことだろうか。

カラー図説 生命の大進化40億年史 シリーズ

全3巻で40億年の生命史が全部読める、好評シリーズの新生代編。哺乳類の多様化と進化を中心に、さまざまな種を取り上げながら、豊富な化石写真と復元画とともに解説していきます。

じつは、分娩だけは陸上に戻っていた…わずか1000万年で海の頂点に達したムカシクジラ「陸との決別」はいつだったのか