天皇は「朝、何時に起きていたか」「起きて何をしていたか」? 女官が目撃した「意外な習慣」

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女官が見た朝の生活

さまざまな事情から皇室が注目を浴びることが多い昨今、日本の市民が、皇室について知識をたくわえておくべきタイミングが来ているといえるかもしれません。

現在の皇室の人々の生活を知ることは、もちろんさまざまな事情から困難ですが、歴史上の記録を読み解くことはできます。

明治天皇のケースについて、その生活のあり方をつぶさに記録しているのが、山川三千子『女官 明治宮中出仕の記』という書籍です。

著者の山川(旧姓:久世)三千子は、1909(明治42)年に宮中に出仕し、明治天皇の妻である皇后美子(はるこ=昭憲皇太后、1849〜1914)に仕えました。いわゆる「皇后宮職」の女官です(正式な役職名は、権掌侍御雇〔ごんしょうじおやとい〕)。

そんな山川がつぶさに御所の内部の様子を振り返った同書は、最初は1960年に実業之日本社から公刊され、世間に衝撃を与えたとされます。

たとえば、明治天皇の朝の習慣、最近の言葉を使えば「モーニングルーティーン」について、同書はこのように報告しています。

〈お上(編集部注:明治天皇のこと)のおひる(お目ざめ)は平日は、午前八時でございました。御寝室に宿直した権典侍(ごんてんじ)の「おひーる」というかん高い一声から、皆の活動が始まるのです。「おひーる」のふれが、内侍から申の口へ伝わると、侍医頭と当番侍医を、命婦のおばあさんが、御格子の間(ご寝室)の入口まで案内して来ます。

拝診が終って侍医が退出すると、隣室に宿直した権典侍と権掌侍の手によって、朝のご洗面のお湯などが御格子の間に運ばれ、ご洗顔の後あついしぼりタオルで上半身をおふきになります。白羽二重のお召物に白縮緬のおみ帯のまま、お食堂へ〉

朝8時に起き出して、体調チェック、洗面……と、スケジュールが決まっていたようです。

朝食のメニューは…

朝食には何を食べていたのでしょうか?

〈やがて御朝食が始まると、一の膳、二の膳と、前日御覧に入れたお献立通りの品々も並べられますが、いつも牛乳入りのコーヒーとパンで、軽いお食事をお取りになります。お食後には、翌日の「おかんぱん」(献立表)をご覧に入れることになっておりました。もしお好みのお品がある時には、その時伺って伝えるわけなのですが、特にお指図がなくとも、日頃お好きなものを差し上げておりましたから、滅多にお好みは出されませんでした〉

栄養学者の児玉定子の論文によれば、明治天皇は日本料理を好んだとのことですが、朝ごはんはパンとコーヒーのことが多かったようです。

朝食を食べ終わってからそれまでの時間--9時から10時のあいだくらいでしょうか--はわりあい自由だったようで、以下のような記述があります。

〈その後しばらく御座所で、お好きな刀剣類などを眺めておくつろぎになります。また時計を殊の外愛でておいでになりましたので、置時計、柱時計、懐中時計などと、形や音のさまざまの物を集めて、お楽しそうにご覧になってもおりました。

お好きだというので方々から献上したものや、またお買上げ品もあったと思っております〉

やがて軍服に着替え、10時半からは「お学問所」で政務が始まったそうです。

こうした、普段は知ることのない皇族の人々の生活は、いっけん瑣末なようにも見えますが、皇室を制度として維持するというのがどういうことなのか、リアリティをもって考える際の、一つのヒントになるかもしれません。

なお、天皇の夜の習慣、「ナイトルーティーン」については、【天皇は「夕食を食べてから寝るまでの時間」なにをしていたか? 女官が目撃した「意外な習慣」】でふれています。

天皇は「夕食を食べてから寝るまでの時間」なにをしていたか? 女官が目撃した「意外な習慣」