《モイネロの巻》サファテに可愛がられた森唯斗に世話を焼かれ…「日本語はかなりしゃべれる」【ホークス一筋37年 元名物広報が見た「鷹の真実」】
【ホークス一筋37年 元名物広報が見た「鷹の真実」】#10
【次話を読む=東浜巨の巻】「鷹の祭典」の試合中、「このユニホーム洗えますかね?」と言われたワケ
モイネロ
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中継ぎとしてはもちろん、今季から転向した先発でも活躍しているのが、キューバから来たリバン・モイネロ(28)です。
入団当時は線が細く、「MAX149キロの左腕」との触れ込みでしたが、当初は140キロそこそこ。ただ、やる気だけは十分にあった。
2017年の入団会見ではユニホーム姿で登場。その後、筑後で三軍の試合を見ながら、「いますぐ試合に出たい」と言い出した。さすがに入団会見したばかりの選手、しかも投手を試合に出すのは無理でしたが、それくらい、やる気に満ちあふれていました。
だからなのか、成長も早かった。
最初は二軍で投げていましたが、みるみる球速が上がり、MAX158キロにまで成長。入団翌月の6月には支配下登録され、この年は中継ぎとして34試合で4勝3敗36奪三振、1セーブ、15ホールド、防御率2.52の好成績でした。
若い外国人投手にはときどきあることですが、体の使い方を理解し、ちゃんとしたフォームで投げれば、スピードは急激に上がる。珍しいことではない。モイネロもおそらく、キューバでは日本のような細かい指導はされていなかったのではないか。粗削りだったがゆえに、伸びしろも大きかったのだと思います。
言葉を覚えるのも早かった。これは一軍にリリーフの森唯斗がいたからでしょう。
森は抑えのサファテから「俺の弟」と言われるほど可愛がられており、面倒を見てもらっていた。そうしたことを今度は日本に来たばかりのモイネロに、と世話を焼いた。
あまり自分から話すことはありませんが、日本語はかなりしゃべれるし、森や嘉弥真新也とグラブやスパイクの隠しっこをしてふざけ合うこともあった。
キューバ人の先輩2人が球団に在籍していたこともプラスになった。
ロッテ時代から日本での生活を経験しているデスパイネは入団当時からおり、18年にはグラシアルも加入。彼らはモイネロを可愛がり、悩みがあれば相談に乗り、自宅に呼んで食事をすることも多かった。
もっとも、ラテンのノリで音楽をガンガンかけながら大ハシャギするものだから、「近所迷惑だ!」と球団に苦情が入ったことも2度ほどありましたが(笑)。
次は東浜巨の回となります。
(田尻一郎/元ソフトバンクホークス広報)
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