事件発生から数時間後の深セン日本人学校前(ドウインより)

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「我々の規律は日本人を殺すことだ」

 現在も大きな波紋を呼んでいる深セン日本人学校の男児刺殺事件。中国国内でもSNS上などで激しい論争が発生している。そんな流れに拍車をかけたのは、地方政府の幹部による「ヘイトスピーチ」だ。

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 発覚のきっかけはチャットルームのスクリーンショット流出だった。「子供を殺すのはそれほど大ごとなのか?」「我々の規律は日本人を殺すことだ」「これは罪のない人々の無差別殺害ではない。なぜなら殺されたのは小日本(日本の蔑称)だからだ」といった内容は中国SNSで即座に拡散された。

 日本でも報じられている通り、ヘイトスピーチの主は四川省農業農村庁が直轄する農村エネルギー開発センターで副所長を務める黄如一(ホアン・ルーイー)氏。1983年に重慶で生まれた41歳で、21年に同センターの副所長に任命された。現在はカンゼ・チベット族自治州新竜県の副県長と常務委員も兼任している。

事件発生から数時間後の深セン日本人学校前(ドウインより)

 スクショが拡散された当初からアイコンなどから「人肉検索」(主にネットを使っての本人特定、真相解明など)が行われ、黄氏ではないかという推測が生まれた。メディアは関係当局への照会で黄氏と確認し、「この問題を注視しており、関係指導者に指示を出すなど対処に取り組んでいる」との回答を得たと報じている。

平凡な地方役人による過激なヘイトスピーチ

 日本で中国の「反日」に対する注目が高まる中、黄氏のヘイトスピーチ中国のネット上で激しい議論を呼んでいる。批判と擁護の様々な切り口が見受けられるが、中でも目を引くのは「地方役人」という黄氏の役職に対する反応だ。

「なぜこんな非人道的な人物が副県長になった?」
「『老百姓の飯を食べて、老百姓の鍋を壊す』(質が低い行政サービスや社会の不平等を意味する中国の成句)の典型例だ」

 人肉検索で黄氏の名前が早々に浮かび上がった理由はその特殊な経歴にある。役人を務める傍ら、歴史作家としても活動しているからだ。一般的な歴史ファンに向けて読みやすく書かれた書籍を数冊出版し、そのうちの1冊『冰火大明』(2017年)は日本のアマゾンマーケットプレイスにも出品されている。明朝末期をテーマに支配者層の混迷や「貪腐(政治腐敗や汚職)」を綴った内容だが、そんな内容を手掛ける役人兼作家が役人にあるまじき言論で糾弾されるとは皮肉な話でもある。

 さらに翻ってみれば、黄氏は社会に不満を抱いた腹いせに「偶発的な事件」を起こしたり、注目を集めるために反日動画を撮影したりする類の人物ではない。平凡な地方役人による過激なヘイトスピーチ。その背景にはやはり反日教育の影が見えるだろう。

「正義の声」は政府批判と紙一重

「公職に就く人間として軽率な発言はまずい」「個人的な意見としては問題ない」「とても正しい考えを持つ指導者」「言葉は人格と人間性を反映する」「非公開チャットの内容を報じる必要はあるのか?」「日本が大嫌いなんだけど、何が問題?」「極端なナショナリズムは容認できない」「中国人、特に四川人は日本人に対する深い憎悪を抱いている」――。

 黄氏の記事に付属するコメント欄では、擁護派と批判派が言葉での乱闘を繰り広げている。一方、シンガポールの中国語メディア「聯合早報」は、反日感情を煽る投稿動画の削除が再び行われていると報じた。蘇州日本人学校バス襲撃事件後と同じ動きである。

 中国でネット上から消された記事をアーカイブするウェブサイト「チャイナ・デジタルタイムス」は、深センの刺殺事件後に削除された3本の記事を紹介した。最初の1本は深セン市の微信公式アカウントの文章だ。深センはそもそも改革開放政策で作られた経済特区であり、育ての親はトウ小平氏である。よってこの文章は事件を強く非難し、トウ小平氏が日本企業に投資を要請し続けた事実や海外投資の重要性にも言及した。

 2本目は「事件と『偏狭なナショナリズム』を結びつけたくない関係当局は事件詳細を明らかにしないが、曖昧にすると『扇動のスパイラル』が生まれる」などとして透明性を求めている。3本目は「いくら高層ビルが建ち経済力が高くても、通学中の子供たちや弱者を守れなければ、この街は失敗都市になってしまう」とする内容だった。

 この3本だけでも、事件を巡る「正義の声」はともすれば政府批判と紙一重になる事実を想起させる。過激な反日感情を抑止するのか、それとも政府に矛先が向かうことを回避するのか。黄氏に対する当局の対応にもそうした判断が現れるかもしれない。

デイリー新潮編集部