にしおかすみこ、認知症の母、ダウン症の姉、酔っ払いの父と暮らす家に台風が近づいた日

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2023年は地球温暖化の影響もあってか、猛暑日が続き、台風の被害も多くあった。その状況は2024年になっても続いている。自分で身を守るすべを学ぶ必要もあるが、介護をしている家族はどうしたらいいのか。

認知症の母、ダウン症の姉、酔っ払いの父と2020年から暮らしているにしおかすみこさんも同様だ。

にしおかさんは2020年夏、コロナ禍で久々に実家に帰り、ゴミ屋敷のようになっていた家の荒れ方に直面して母の変化を知った。そして実家に帰る決意をし、認知症の母、ダウン症の姉、酔っ払いの父と暮らす様子を綴る連載「ポンコツ一家」として2021年9月にスタートした。

連載13回までと5編の書きおろしを加えて2023年1月に刊行した『ポンコツ一家』につづき、2冊目『ポンコツ一家2年目』が刊行となった。「家族の状況もパワーアップ、私の状況もパワーアップ、記事のボリュームもパワーアップ、さらに言えば私の文章力もパワーアップしています」とにしおかさんが語る本書は、連載15編に書き下ろし4編、さらに番外編1編が収録されている。

2冊の書籍に寄せられた声を見ると「介護」に関わる人の多さを感じさせる。では台風が近づいてきたらどうするのか……。

それウソでしょう?

ときどき、日常の些細なことで、それウソでしょう?と思うことが起きたりする。

2023年9月頃。

居間から母が「すみ〜、ちょっと〜、今年はセミがいるよ〜」と呼ぶ。台所にいた私は、「去年も一昨年もずっと夏はいるよ」と言いながら顔を出す。

座椅子に腰かけたババアが左腕を上げていて、そのサマーセーターの脇ら辺にセミがぶら下がっている。ウソでしょう?

私は「え?なんで?本物?どうしたらそうなるの?」と恐る恐る近づくも、グイっとは覗かない。虫全般が苦手だ。

「さあ? セミに聞いてよ〜。いつの間にへばりついてからに」と、母が右手でそっと羽部分を掴んだら、その茶色い生き物が「ジ」、セーターから引き剥がすと「ジジ」、小さな6本足をジタバタさせ「ジジジ」と鳴く。その度に母が「ジェ!」「ジェジェ!」「ジェジェジェ!」と反応する。セミとベテランのあまちゃんが会話しているようだ。

ベテランがそのまま立ち上がり大窓を開け「それ、飛んでけ〜」と庭に放る。一瞬、落下しかけ、正気を取り戻したかのようにバサッと羽を広げ、ピッとおしっこを落としながら去っていく。母がゆっくりとこちらを振り返り、こう言う。

「やれやれ、ああ、びっくりした〜。どうせあんたは見てるだけで役に立たないのは知ってたさ。でも一応、今年はセミがいたっていうお知らせ」

そのセリフと、《今年》って単語いる?

なぜこうなったのか。干した洗濯物にくっついてきたのか? 母が庭いじりをして、そのときについたのか? 窓を開けっ放しにしていて入ってきたのか? さっぱりわからない。

台風が近づいていた

例えばこんなこともあった。別の平日15時頃だったか。台風が近づいていた。

母が「今夜から明日にかけて風速60メートルで台風直撃! 突風でスリッパが弾丸のようにガラスを破って、自転車も人間も吹き飛ばされるって。自分ちのことより近隣の人に大怪我させる気か!ってテレビが言ってる!」。表現を盛っているやつがいる。

とはいえ外の様子が気になり、玄関ドアを開け伺い見る。曇天で蒸し風呂のような湿気だが、まだそこまでの風は吹いておらず雨も降っていない。

ひとまず傘立てや庭の軒下にあるサンダルは玄関内に入れる。母と私の自転車はどうしよう。ウチの中に置くとしたら狭い廊下か居間になる。想像だけで億劫だ。………庭の敷地を囲う柵に、紐で何カ所も固定し縛りつけた。

数十分後、その紐を母がハサミでブチブチと切っている姿を目撃する。ええ?!ウソでしょう?

近寄って行くと、汗だくのババアが私に言う。「何してんの! このバカタレが!」

こちらのセリフだ。

更に「テレビの言うことを鵜呑みにして! 翻弄されるんじゃないよ! あくまでも直撃したらの話だろうが!」と。

どちらかといえば私は母に翻弄されている。それに最近の気候は昔と違うから、備えるにこしたことはないだろう?

間もなくして

間もなくしてボタリボタりと雨が降り出した。次第に風も強まり勢いを増していく。夜をまたぎ次の日。朝からテレビが線状降水帯の注意喚起を呼び掛けている。時折の突風で、家の脇腹をドコ―ンドコーンと丸太で打ちつけてくるような音と揺れを感じる。雨戸は全て閉め室内の電気をつけている。台所の排水溝がコポコポいい出す。不安が顔に現れていたのか。姉が横に来て「すみちゃん ぜんぶ だいじょうぶだよ」と言ってくれる。おぅ、何を根拠に。そしてそんな言葉とは裏腹に左手に懐中電灯を握りしめ、小さなお財布型のポシェットを首から下げ、右脇に運動靴を抱えている。逃げ出す気満々だ。

……あれ? 母の姿がない。「お姉ちゃん、ママは?」と聞くと、

「でていった〜」……どこに? 廊下でふたりして突っ立っていると、不意に玄関ドアが開いた。ザーッと降りしきる強烈な雨音と共に全身ビチョビチョのババアが姿を現した。咄嗟に姉が「まって」と呟き、慌てながら懐中電灯のスイッチを入れ、その全体像に焦点を当ててから「わああ!!」と驚く。私は思う。室内はそもそも明るい。この隣のピュア人は一回母を確認し、薄明りを向けてからの、このリアクションだ。……あんた今、けっこう余裕あったでしょ。マイペースな鬼気迫る顔がなんともいえない。

母が「いや〜参った、参った。今、自転車をミカンの木に縛りつけてきた。そんなことやらなくても大丈夫だとは思うけど、一応ね。だからもっと早くやっとくべきだったんだよ。あれ程言ったのに」と。

どれ程言いました? 私は急いで洗面所のバスタオルを取り、手渡すも、滝行帰りのようなババアは喋ることに忙しい。

「もし避難所って言われても…」

「もし今から避難所って言われても、どうせお姉ちゃん怖がって座り込んで動かなくなるし、パクソは酔っぱらって寝てるし、それ皆引きずっては行けないよ。家崩れてもママたちここに残るから。でもウチの物が万が一飛んで、よそんち壊したらダメだろう?」

こういう話のときは決まって、《ママたち》の中に私は入っていない。すみはひとりで逃げなさいが込められている。もう聞き飽きた。ブレないねえ。

ちなみに台風はというと。この辺一帯は午後には落ち着いた。過ぎてみれば姉の言うとおり、ぜんぶ だいじょうぶだったようだ。

庭の木にグリグリに括られた自転車を回収しながら、母に怪我がなくて良かったと思っていると、本人がひょっこりやって来た。

「それ、ママがやったのよ。テレビとあんたに散々煽られて焦っちゃたのよフフフ。もう片付けなくていいから。来年の台風まで放っておきなさい」そうはいかない。母の脳内は常にブレブレだ。でも自分がやったという記憶はあるんだなあ。

もうひとつ、こんなこともあった。

とある日。母が言う。「ねえ、お姉ちゃんのサービス受給者証と保険証と障害者手帳だけがないんだよ。あんた知らない?大事なものだから、別のところに隠しといたのに。誰かが盗んだとしか考えられない」決して誰とは言ってこない。ドロボーとも言わない。でも腹が立つ。

◇にしおかさんはかつて貯金通帳をきちんと預かろうとして「ドロボー」と言われた苦い過去もある(1冊目の書籍『ポンコツ一家』参照)。自分で管理したほうがいいのもわかるし、難しい。絶対なくしてはならない重要なものだと思われるが、果たしてどうするのか。

後編「にしおかすみこ、認知症の母がなくしたダウン症の姉の「障害者手帳」を作りに行く」にて詳しくお伝えする。

にしおかすみこ、認知症の母がなくしたダウン症の姉の「障害者手帳」を作りに行く