「激怒型認知症」で家族からも見捨てられ…威張って怒鳴ってわがままを通してきた男の「悲惨な末路」

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老いればさまざまな面で、肉体的および機能的な劣化が進みます。目が見えにくくなり、耳が遠くなり、もの忘れがひどくなり、人の名前が出てこなくなり、指示代名詞ばかり口にするようになり、動きがノロくなって、鈍くさくなり、力がなくなり、ヨタヨタするようになります。

世の中にはそれを肯定する言説や情報があふれていますが、果たしてそのような絵空事で安心していてよいのでしょうか。

医師として多くの高齢者に接してきた著者が、上手に楽に老いている人、下手に苦しく老いている人を見てきた経験から、初体験の「老い」を失敗しない方法について語ります。

*本記事は、久坂部羊『人はどう老いるのか』(講談社現代新書)を抜粋、編集したものです。

“多幸型”と“不機嫌型”

認知症にもいろいろなタイプがあって、まわりの状況がわからなくても、いつもニコニコして機嫌のいい“多幸型”や、逆にイライラして怒鳴ったり、ときには暴力を振るったりする“不機嫌型”があります。傾向として、前者はアルツハイマー型の認知症に多く、後者は脳血管性の認知症に多いと言われます。同じ認知症になるなら“多幸型”を望む人も多いでしょうが、どのタイプになるかは自分で選べないのがつらいところです。

ほかに私の見たところ、この二種類以外にもさまざまなタイプがありました。

便の苦しみのところで紹介したM′さんは、いつもデイケアから早く帰りたがり、早便の送迎バスで送ってくれと要求します。できるだけ希望に添うようにするのですが、ときには遅便になることもあります。すると激怒するのです。

「なんでワシばっかりいつも遅便で帰らせるんや。差別するのか」

私が「昨日もその前も早便だったじゃないですか」と宥めると、「いいや。いつも遅便や。もう我慢できん。ワシはひとりで帰る」と怒りのボルテージを上げ、頭から湯気が出んばかりになります。いわば“激怒型認知症”です。

仕方がないので、息子さんに連絡して迎えに来てもらうのですが、M′さんの怒りは収まらず、「ワシには仕事があるんや。そこらの隠居老人とはちがうんじゃ。もうこんなとこ、二度と来るか」と捨て台詞を吐いて帰ります。しかし、翌週には何事もなかったかのようにまた参加してくるのです。

このM′さんの奥さんがクリニックに来て、夫を施設に入れたいと相談してきました。もう家で面倒を見られないというのです。まだ施設は少し早いのではと思い、家でのようすを聞くと、トイレが間に合わず、寝室や廊下にオシッコをもらすのだといいます。先にも書いた切迫性尿失禁で、これには少々同情しました。排尿は一日何回もあり、そのたびにペニスをぎゅうっと握ってトイレに走らなければならないのは、どれほどの苦行でしょう。自分がそうなったときのことを思うと、思わずため息が出てしまいます。これも自然な老化現象のひとつですから、だれがなるかはわからず、もちろん本人が悪いわけではありません。

それでも奥さんは我慢できないようで、投げやりな口調で言いました。

「あの人のわがままには、これまでさんざん苦労のかけられ通しやったんです。わたしはもうやるだけのことはやりました。そやから、もういつ死んでもろても悔いはないんです」

M′さんはいつも髪も梳(と)かさず、フケを浮かせ、目ヤニもこびりつかせたままデイケアに来ます。家族がかまってくれていないのがまるわかりです。しかし、本人はこう言うのです。

「ワシがおらんと家族が困るんや」

威張って怒鳴ってわがままを通してきた男の末路を見るようで、私も自戒の念を強めました。

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