元U-20日本代表監督
冨樫剛一インタビュー(前編)

 パリオリンピック世代の旅は、準々決勝でスペインに敗れて終わりを迎えた。選手たちは本人の才能もさることながら、それぞれ多くの指導者と出会い、教えを請うことでここまで成長してきた。この世代の育成に関わった指導者のひとり、冨樫剛一氏に話を聞いた。

 現在は横浜F・マリノスユースの監督を務める冨樫氏だが、2019年からはコロナ禍の影響を受けて中止になった2021年U-20ワールドカップを目指すU-18日本代表のコーチ(監督は2022年からJFAユース育成ダイレクターを務める影山雅永氏)となり、2021年からは2023年U-20ワールドカップを目指すチームの監督を務めると同時にU-22日本代表も率いた。

 2021年U-20ワールドカップを目指したチームは、今回のパリ五輪代表と同じ2001年1月1日以降生まれが対象で、冨樫氏はほとんどの選手と関わりを持つ。また、2006年から2018年までは東京ヴェルディでジュニアユースやユースの監督からトップチーム監督、強化部とさまざまな立場で現場に立ち、藤田譲瑠チマや山本理仁を小学生時代から知る人物だ。

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スペインに0-3で大敗してパリ五輪を終えたU-23日本代表 photo by Watanabe Koji

── まずは、大岩ジャパンの選手たちの戦いぶりを見た感想をいただけますか?

「彼らは僕にとって、初めて代表チームで関わった選手たちでしたので、やっぱり見ていて気持ちも入りましたよね。

 思い出すのは、U-20ワールドカップが中止になった時のことです。ちょうど2020年のクリスマスごろで、JFA夢フィールドで合宿中でした。深夜にネットの情報で中止を知り、僕は衝撃のあまり眠れなくなってしまった。選手たちが世界につながる成長のために合宿をしているのに、その目標がなくなってしまって......。

 彼らの成長が止まってしまうのかと、いろいろ考えました。合宿ではトレーニングマッチも予定されていましたし。翌朝、影山監督らスタッフに『中止になった情報は知っています?』って聞いたらまだ誰も知らなくて、そこから急遽、多方面に調べてもらいましたね」

【U-18時代に衝撃を受けた世界との差】

── 急転直下の出来事だったのですね。

「たしか午前中の活動は中止にして、朝ごはんを食べさせたあとは待機してもらったのかな。そしてお昼になって、選手たちに話しました。目標がなくなってしまいましたからね、本当にかわいそうで......。でも、歩みを止めてはいけない、この合宿は最後までやろう、と伝えました」

── 当時、ロールモデルコーチだった内田篤人さんと話した時、彼も「合宿を切り上げて選手を家に帰してあげるべきではないか」など、いろいろ考えている様子だったのを覚えています。

「その時点では最終予選(2021年予定のAFC U-20アジアカップ)が開催されるのかどうかもわからなかったので、やれることはやろうという方針でした。でも、U-20ワールドカップが中止になったことで、合宿を切り上げて帰った選手もいます。それぞれ所属先のクラブ事情もありますしね。シーズンも終わってオフの時期でしたから」

── 山本理仁選手に最近、その当時の合宿の話を聞きました。「ほんとに地獄だった。何のためにやっているのかわからなくて......」という話をしていました。

「まあ、そうですよね。大岩ジャパンの選手たちとは、U-18時代の最初のカナリア遠征(2019年2月)からずっと一緒に過ごしてきました。その遠征ではスペインに0-4でやられたのですが、その悔しさもあって選手たちは本気モードになりましたので、U-20ワールドカップで彼らを世界に出せていたら......と、今でも思います」

── 山本選手も最初のカナリア遠征では「世界のレベルに驚いた」と言っていました。

「そうなんです。僕たちコーチングスタッフもそこそこ勝負になるだろうと思っていたら、あまりにもレベルが違いすぎて......。技術面から何もかもすべて違っていました。

 でも、おかげで僕たちはそこに基準を置くことができたので、日常からサッカーへの取り組みを考え直そうと話しました。そして同年9月のムルシア遠征では、スペインになんとか勝つことができたんです(1-0の勝利)。

 ただ、同じピッチに立っていても、スペインとのレベルの違いは強く感じました。日本の選手たちも同じように成長していると思っていたのですが、まったく追いついていなかった。彼ら(日本人選手)の世界デビューが遠のいたようにも思いました。スピードの違いについては『仕方ないことだ』と伝えましたね。だから、その世代の選手たちがオリンピックまで行けたことを、あらためてすごいなと思っています」

【マスチェラーノに指摘された日本との違い】

── パリオリンピック準々決勝・スペイン戦(0-3)を見て、どのように感じましたか?

「やっぱり代表活動って難しいですよね。全員でトレーニングできる日は、本当に1回か2回しかないこともザラにあります。あとはミーティングを重ねて、頭のなかで理解してもらうしかない。

 ただ、そういう状況だからこそ、国としてのカラーも出てくる。スペインが攻撃してくる時に日本は4-4-2でブロックを引きながらプレスをかけたいのですが、それにはクラブレベルのトレーニング回数が必要です。逆にスペインのプレスはすごく柔軟性があり、クラブレベルで積み重ねてきたものを代表レベルでもやってくるんだと驚きました。結局、個人戦術が必要なんだということをあらためて思いましたね」

── 短い準備期間で、どこまで連係の精度を上げることができるか。

「そうですね。スペイン戦を見ていて、U-20代表監督をやっていた時のことが頭をよぎりました。アルゼンチンと試合をしたことがあるんですが(2022年モーリスレベロトーナメント。2-3で惜敗)、スコア以上に衝撃を受けたのは、ピッチでやっていることが日本とアルゼンチンでまったく違っていたことです。

 その時のアルゼンチンU-20代表を率いていた(ハビエル・)マスチェラーノに聞いたんですよ。『日本と君たちとは、何が違うのか』って。すると彼は、最初は『日本もいいチームだよ』ってはぐらかすから、『そういうお世辞はいい』って返したら、『インディビジュアルのタクティクス(個人戦術)の部分がちょっと違うかな』と。

 今回のスペイン戦を見て、結局はそういう個人戦術の違いが勝敗を分けるのかなと。そんな考えが、頭のなかをグルグル駆け回りましたね」

── そうなると、選手の鍛え方はまったく違ってきますよね。

「日本人の指導の方向は結局、スキル(個人技術)に行き着くと思うんです。いいか悪いかは別にして、大きな場面から少しずつ小さく的を絞っていった時、1対1になったら個人で抜く技術が日本人は最も気になるのかなと。

 でもスペイン人は、なぜ1対1でないといけないのか、そもそも抜かなきゃいけないのか、抜かなくてもいいんじゃないか、抜くことによって何を得たいのか......など、プレーのあとに起きる出来事に、よりフォーカスしていると感じます。オリンピックで敗れたスペイン戦では、それが顕著に表われていたサッカーのように思えました」

── すでに23歳になっている選手を、そこから鍛え直すのは大変そうに思います。

「その意識が変わるのは、(内田)篤人たちもそうだけど、やっぱり海外に出て行くことでしょうね。現代のサッカーを作っているのは主にヨーロッパで、日本ではありませんから。未来の形を掴むためにも、ヨーロッパに出て行って経験することが大切だと思います」

(後編につづく)

◆冨樫剛一・後編>>小学校6年生の藤田譲瑠チマ「セレクションでそんなことをする子は初めて」


【profile】
冨樫剛一(とがし・こういち)
1971年7月15日生まれ、神奈川県出身。読売サッカークラブ育ちで、ヴェルディ川崎→横浜フリューゲルス→コンサドーレ札幌でプレーしたのち1997年に現役引退。翌年からコーチとしてV川崎(東京V)や札幌で指導者の道をスタートし、2014年には東京V監督を務める。2019年からU-18(U-19)代表コーチ、U-22代表監督、U-20代表監督などを歴任する。2024年より横浜F・マリノスユースの監督となる。ポジション=DF。