前回:「ちょっとだけ芸能のお仕事させていただいていた」港区の飲み会に頻出する20代女性からの忠告とは



1組、2組と、男女のペアが出て行く。カナさんと呼ばれていた女性もいつのまにかいなくなっていて、部屋の中には、私、ともみさん、エリックさんと後藤さんだけになっていた。

「後藤さんってお仕事何されてるんですか?」

ともみさんの質問に後藤さんは、うーん、まあ投資家っていうか、エリックみたいな若い子を助けるのがメインの仕事だね、と答えた。

「若い子を助けるかぁ…素敵なお仕事ですね」

鮮やかにそう笑うと、ともみさんは自然な動きで自分の右手、腕時計に目を落とした。

「まだ、2時間くらいしかたってないですけど、皆さんもういなくなっちゃったし…どうしましょう?後藤さん、お店変えます?私、近くに素敵なBARを知ってるので」

お付き合いしますよ♡というその提案に慌てたのはエリックさんだった。

「も、もう少しで大輝が来ますから…!ここで待ちましょう」

後藤さんはエリックさんの言葉を無視し、確かにここにいるのも飽きたよね、と言った。

「宝ちゃん、一緒に出ようか?」
「…え?」
「2人でいろいろ話したいなと思って」

突然自分に意識を向けられ、相変わらずねっとりとしたその視線と喉に迫る程強い香水の香りに圧迫されてしまう。反応できずにいる私の肩を、うん、そうしよう、と抱き、後藤さんが立ち上がろうとした。

40代にも50代にも…もしかしたら若く見える60代なのかもしれない。とにかく年齢不詳。浅黒い肌に真っ白い歯、髪の毛はオイルに光り、ブルーのピンストライプのスーツもラメの糸なのか光っている。

ギラギラという表現がぴったりな人のその体を振り解こうと、放してください!と身をよじったとき、なんか寂しい〜というのんびりとしたともみさんの声が被さってきた。

「私じゃなくて宝ちゃんを連れて行きたいなんてショックです…私、後藤さんともう少しお話したいのにぃ」
「…そうですよ、ともみちゃんもこう言ってますし、大輝もここに向かってますから…!あ、後藤さんのグラスが空ですね。次何飲みます?スタッフ呼びましょう!」

いそいそと部屋のインターフォンに向かっていくエリックさんに後藤さんは溜息をつき、諦めたようにソファーに深く座りなおした。

「さっきからずっと名前が出てる、大輝…さん?ってどんな人なの?」

ともみさんは私に聞いたのに、答えたのは後藤さんだった。


「誰もが見惚れるルックス。つまり超イケメンで由緒正しきお家柄のサラブレッド」
「えー♡素敵、会うのが楽しみ〜♡」

じゃあ、イケメンくんが来る前にお化粧直ししてこようかな、と、ともみさんが立ち上がった。

「宝ちゃんも行こ!」
「いえ、私は…」
「えー。1人で行くの寂しいから一緒に行こうよ♡宝ちゃん口紅おちちゃってるし♡」

ともみさんに引きずられるようにして(気分的には)再びトイレへ向かうと、またも当然のごとく門番(しかも2人)がついて来た。

彼らにもしっかりと愛嬌をふりまいていたともみさんだったけれど、トイレに入るやいなやその表情を変え、化粧ポーチを開けながら小さい声で話しはじめた。

「後藤さんってかなりヤバい人だと思う」
「…ヤバいってどういうことですか?」
「私が可愛いからって、世の男の人全員が私を気に入るとは思ってないけどさ」

自分を可愛いと言い切れるその自信がすがすがしい。

「女子に興味がない人なんだと思う。まあそれは別にいいんだけど、なんとなく纏ってる空気がヤバいというか。あと、若い子の夢を応援するのが仕事とかいう系の人って大体ヤバい人だから」

若い子の夢を応援するまともな大人もいるはずですけど…と思いながら、私は尋ねた。

「…どうしたらいいでしょうか…」
「正直、私だけならたぶん今すぐ抜けられる。でも宝ちゃんは逃してもらえなそうだし…ちょっと作戦を考える。だからもうすこしだけがんばろ。宝ちゃんは黙って座っててくれればいいから」

はじめて会ったのに。どうして助けようとしてくれるんだろう。不思議に思って聞くと、ともみさんは私の中の仁義的な?と笑った。

「宝ちゃんが自分からここに来たのなら自己責任だから放っておくけど。無理やりなんでしょ?」
「…はい」

エリックさんとの面識は一度だけ。さっき偶然会って拉致同然に…という話をすると、ともみさんは溜息をついた。

「そういうことする男、死ぬほど許せないんだよね。無理やりだったり、騙されたり。食い物にされて傷ついた女の子たちをめちゃくちゃ知ってるから」
「…そんな光景を見てきて…ともみさんは、怖くないんですか?」
「んー。怖くないと言ったらウソだけど、非常手段は結構あるの。バッグの中に催涙スプレーも緊急通報装置も入れてる。それに今日のこの場所も信頼できる人に伝えてきてるし。

約束の3時間が経過して1度も私から連絡なければ、対応してもらうことになってる。今回はカナさんの紹介だったから、上客しかいないって少し油断しちゃってたけど…短時間で高額をもらうならそれなりのリスクがあって当然だからね」

「…すごい。強いんですね、尊敬します」

思わず漏らした言葉に、そんなことはじめて言われたと笑うともみさんを見つめながら疑問が湧いた。

ともみさんはとても賢い。それなのになぜ…という疑問だ。聞いてもいいですかと前置きしてから尋ねてみる。

「なんで、ギャラ飲み、を?」




ともみさんは驚いた顔で少しフリーズしたあと、それ聞いちゃう?と苦笑いになった。そして、宝ちゃんって変わってるよねぇ、と、仕方ないなとばかりに答えてくれた。

「宝ちゃんは私のこと知らなかったみたいだけど、私さ、グラビアとかもやるようなアイドルだったの。でも色んなことがあって辞めることになって…」
「…」
「元アイドルって普通の仕事に就くのが難しくなるの。顔を知られてることもそうだけど、何よりも問題なのは自分のプライドなんだと思う。

アイドル時代にちやほやされた快感が忘れられないのか、知らない間にしみついてた承認欲求が消えてくれなくて。困っちゃうよね」

ともみさんは続けた。

アパレルの広報とか、事務職にも挑戦した。でもうまくいかなくて。夜のお店で働いてみたら、元ファンの人たちが集まってきちゃうし、失礼なお客さんに少し反論しただけでSNSに切り取られてさらされちゃうしさ。

ストーカー的な事もされて家バレしたりして疲れちゃって。あーもう、アイドルなんかやるんじゃなかったなぁ」

かわいい上に才能がある子たちが腐る程いるんだもん、私なんて通用しなかった、と笑うともみさんが悲しかった。

「ごめん、暗い話しちゃって。とにかく、ここから抜けだせる方法を考えるから…」

その瞬間、トイレの入り口のドアが開いた。そして入ってきた人が言った。

「お嬢ちゃんたちはもうなにもしなくていい。ここからはババアの出番…なんてガラじゃないんだけどね」

「じょ…」

女帝、と言いかけて口をつぐんだ。深緑で光沢のあるワンピースを着た大柄な女性。今日も安定のド迫力で釘付けになるしかない、西麻布の女帝こと、光江さんだった。

「…なんで」

ここに、と私が続ける前に光江さんが言った。


「男たちに絡まれて連れて行かれてる女の子がお嬢ちゃんに似てるなと思ったんだけどさ。ただお嬢ちゃんと会ったのは一回きりだし…」

光江さんは、西麻布の交差点近く、通りの向こう側から、私がエリックさんたちに捕まる様子に気がついたらしい。ただ、連れて行かれたのが私であるという確信が持てないまま自分の店へ。

すると店長から、さっきまで私と雄大さんがいたと聞いた。私の服の色が目撃した光景と一致したことで、店長から雄大さんに連絡を入れてもらったのだという(光江さんは携帯電話を持っていないとのこと)。

ただ、その連絡が雄大さんまで届くのに少し時間がかかったという。雄大さんは私と別れて帰宅したあとすぐに、シャワーを浴びていていたからだ。

そして雄大さんが着信に気が付いたとき、店長からのLINEと同時に、大輝くんからのSOSも受け取ることになった。

エリックさんから連絡を受けていた大輝くんにより、私がどこにいるのかは判明したけれど、大輝くんは家族の行事で根にいて、西麻布に戻るまで時間がかかってしまうと雄大さんに助けを求めたらしい。

「雄大がね。オレが行きたいけど、オレだけだと店に入れないかもしれない。だから光江さんの力でなんとかしてくれないかと。

子どものもめ事に介入するなんて面倒くさいと思ったんだけど、雄大がアタシに頼み事をするなんてはじめてだし、雄大に貸しが作れるならまあ悪くないかなってね」

「…宝ちゃん、こちらの…お姉さまはどなたですか?」

女帝登場の圧倒感でともみさんがいたことを忘れていた。どなたと問われても、どう説明すればよいのか迷っている間に光江さんが答えた。

「アタシが誰でもどうでもいいだろ。さて…そちらのお嬢ちゃんにももう少し付き合ってもらおうかね」



トイレを出ると、私たちを見張っていたはずの門番2人がなぜかいなかった。

― 光江さんが追い払ったってこと…?

その代わり…というのも変だけれど、店のスタッフさん(さっきシャンパンを運んできた人)がいて、へこへこ、という表現がぴったりな様子で光江さんにへりくだり、今回の件はどうかご内密に、と何度も頭を下げ続けながら光江さんを部屋まで案内していく。

光江さんのあとをついていく間、私と腕を組んで歩くともみさんの顔が、とてもワクワクしているように見えた。

ドアが開けられ、光江さんが、ババアがお邪魔するよ、と入っていく。

「…なん…どう…」

なんで、どうして?と言いたかったのだろう。言葉にならない動揺を、エリックさんのその表情が物語っていた。

後藤さんが、女帝…!?と口に出してしまい、ギロリと光江さんに睨まれる様子を見て、光江さんは有名人なのだと改めて知る。

か弱いババアをつかまえて女帝だなんてやめてくれ。そう呼ばれるのは何より嫌いなんだよ。そう言いながら、光江さんはエリックさんと後藤さんの斜め前の位置…少し離れた席に、よいしょ、と大げさなほどに声を上げて座った。

お嬢ちゃんたちもこっちにおいで、と呼ばれる。

光江さんの体の影に隠れる位置に座ると、まるで守ってもらっているようで、私はこの店に入ってはじめて心の底からホッとしていた。

「友坂のところの息子が来るまでの代わり…というとなんだけどさ。このババアにも一杯おごってくださいよ」

光江さんはそう言うと、エリックさんと後藤さんの返事を待たずに、まだ部屋にいた(というか光江さんに待機させられていた)店のスタッフさんに、この店で一番高いシャンパンを持ってくるように伝えた。

はい、すぐにお持ちします!とわかりやすく媚びた返事をしたスタッフさんが出ていくと、光江さんが、さて、と男性2人を見た。

「アタシに見られるなんて。アンタたち、運が悪かったね」
「…じょ、女帝がいらしたのなら、私はそろそろ…」

後藤さんが立ち上がり、光江さんが、あ?というドスの聞いた声で引き留めた。

「女帝と呼ばれるのはイヤだと言ったばかりなのに、アンタ相当なバカだね。そんなバカ者に質問がある。だから座りな」

座りなと言われたのに、まるで石像にでもなってしまったかのように後藤さんは立ちつくしている。それに構わず光江さんが続けた。

「アンタ、友坂のところの息子に会いたいんだろ?このところこの辺りで友坂のところの…あーなんだったっけ、名前」

光江さんが大輝くんの名前を覚えられないという話は、前にお会いした時にも聞いた気がする。どうやら私が質問されているようなので、大輝くんです、と答えた。

「ああそうだ、そうだ、大輝だ。大輝に会えるコネがないかこの辺りで嗅ぎまわってる男がいるって話はちょっと前から噂になってたけど」

後藤さんは黙ったままだ。

「なんでそこまでして、ここ、西麻布で…夜の街で。あの子に会いたい?」

西麻布、夜の街、を光江さんがやたらと強調している気がした。

「大輝が来たらあの子に何をしようと思ってた?」
「…」
「どうして黙ってるんだい?…まあ答えられなくても、もうすぐアンタは丸裸になるけどね」
「…そ、それは、どういう…?」

うなるようにつぶやいた後藤さんを、光江さんが鼻で笑った。


「アンタが女帝だとか呼んでくれるくらいには、私はこの街におともだちが多いのでね。ここに来る前にね、この店に今誰が来てるのか確認してちょっと調べてみたのよ。

アンタこの辺りで随分ひどい遊び方してるみたいだねぇ。すぐに名前は分かったよ。で、今、アンタの名前を大輝の父親…友坂の当主にも問い合わせ中なの。

アンタの大事な大事な一人息子をしつこく狙う輩がいるみたいなんだけど、なんで狙われてるのか知らないかい?その男のことを調べてくれ、ってね」

後藤さんは、パクパクと口を動かしているけれど声は出ていない。その様子は、水面に浮きあがり空気を求める金魚を連想させた。

「友坂のネットワークを使ったらアンタの情報の全てが丸裸になる。その情報がまとまり次第、このお嬢ちゃんの携帯に届くことになってるんだよね」




私は携帯を持たないからね、と光江さんが私を見たけれど、私の携帯は奪われたままだ。

「…私の携帯は…」

私がエリックさんを見ると、光江さんの視線もエリックさんに動いた。するとエリックさんが慌てて私の携帯をテーブルの上を滑らせるように差し出し、それは光江さんの前で止まった。

「アンタ…この子の携帯まで取り上げてたのかい」

そう呆れた光江さんから私に携帯が戻される。落とされていた電源を入れると同時に携帯が何度も震えた。大輝くんと雄大さんからの着信の記録、そして大輝くんからのLINEの受信だった。

≪オレのせいでごめん。本当にごめん≫
≪今、根にいて急いでもどってる。おそらく2時間くらいで着くけど、それまで絶対に出された飲み物は飲まないで≫

心配が伝わる文面にはところどころ誤字があった。これまで一度も誤字のある文章を送ってきたことがない大輝くんの焦りが伝わる気がした。

― 来なくていい、と打つべきかな。

ここに来たら、大輝くんは傷つくことになるだろう。光江さんが来てくれたから、きっともう安全だし、エリックさんが大輝くんを利用しようとしている現場を…信じていた友達の裏切りの現場を見ることは。

― 絶対にダメだ。

友達の裏切り。それがどれほどの傷を残すか、私は身をもって知っているのだから。私は大輝くんにLINEをした。

≪光江さんが来てくれてこちらはもう大丈夫。だから大輝くんは来なくて大丈夫だよ≫

すぐに既読になり。

≪なんで?≫

大輝くんの返信に、真実は告げられない。どう返すべきか迷っていると、アタシさ、と光江さんの声がして顔を上げる。

「この年になるのにまだ老眼じゃないんだよ。すごいだろ?」

光江さんが私の携帯画面をのぞき込んでいた。

「ダメだよ。お嬢ちゃんはあの子に来なくていいというつもりなんだろうけど、あの子の責任はあの子のものだ。それを奪わずここに来させなさい」
「……でも…」
「今日はある意味、あの子の卒業式なんだよ。卒業式に寂しさと後悔はつきものだろ?時には痛みもね」

卒業式?と聞いた私には答えず、光江さんは、さて、と、未だ立ったまま固まっていた後藤さんを見た。

「…大輝がこっちにもうすぐ着きそうだし、アンタがいると邪魔になりそうだから、とりあえず今日はお帰りいただこうか」

え?と反応したのはエリックさんだけではなく、後藤さん本人もだった。思わぬ許可が出たからだろう。

ありがとうございます!と弾んだ声を出した後藤さんが、そそくさとジャケットを着て帰り支度をはじめた、その腕をエリックさんが掴んだ。

「…ちょっと…ちょっと待ってください、その、僕との契約は…」
「エリック、その話はまた今度にしよう。な?今日はほら、女帝もいらっしゃるし、またすぐ連絡するから!」
「…そんな…今約束してもらえないと、オレは…」

エリックさんは後藤さんの手を離さなかった。縋るその手を、離せ…!と声を荒らげた後藤さんが振りほどく。

「…では、失礼します」

笑顔をはりつけて光江さんに挨拶をした後藤さんが急ぎ足で部屋を出ようとしたとき、光江さんが言った。

「あ〜あ、いつからこんなレベルの低い輩がのさばる街になっちゃったんだろうねぇ」

ゆっくりと立ち上がり、光江さんは後藤さんと出口のドアの間に立ちはだかった。やはり大きい。迫力も相まって後藤さんが見下ろされているように見えるほど大きい。

「アタシはね、悪さをするなって言ってるわけじゃない。必要悪だってあるさ。でもね、この街から、品がなくなっていくのだけはどうにも許せない」

その目に宿る怒りが後藤さんを突き刺しているようで、こちらまで震えてしまう。

「良くも悪くも人が街を作るんだよ。街の品を失くすのは、アンタみたいな小物の悪党たち。欲で子どもたちを手なづけて、崇められることに酔いしれる奴ら」

後藤さんがあとずさる。そんなに怯えないでよ、と笑って光江さんが続けた。

「今日は帰っていいよ、今日は、ね」
「…きょう、とは?」
「だから今日は、だよ。もうすぐさ、アンタについての情報が、あのお嬢ちゃんの携帯に送られてくるわけよ。なんでそんなに友坂の息子に執着するのか、アンタが今までどんなことをしてきたのか」
「…」

あとずさり、間合いを詰められ、また逃げる。足元がふらつき尻餅をついた。そんな後藤さんを立ったまま見下ろし、光江さんが言った。

「この街には二度と入れないようにしてやるよ…全てを暴いて追い詰めてやるから、覚悟しておくんだね」


光江さんは声を荒らげたわけではない。それなのに場の空気が震え、一気に凍った。ヒッと息をのんだ後藤さんが、四つん這いのまま逃げ、なんとか立ち上がり、ドアを開けた瞬間、うわっと誰かとぶつかった。

慌てて走り去る後藤さんと入れ替わりで中に入ってきたのは。

「…あらアンタも、来たのかい」
「…」

入ってきたのは雄大さんだった。私と目が合うと、その表情がホッとしたとばかりに一瞬緩んだ気がしたけれど、すぐにいつもの仏頂面に戻った。

「アンタは来なくていいって言ったのに」
「…光江さん一人だとどう暴れるかわかんないし」
「よく言うよ。気になって仕方ないなら正直にいいな。…あ、もしかして愛も来るとかいわないだろうね?」

愛には連絡してないと答えた雄大さんに、良かった、保護者勢ぞろいの授業参観じゃないんだから勘弁してくれ、と光江さんが呆れた。

「宝ちゃん、ごめん。やっぱり送って行くべきだった」
「いえ、私が不注意だったんです」

雄大さんはかなりラフな…普段では見られないスウェットの上下で、慌ててかけつけてくれたのだろう。

「…あ、あんた。帰るなら帰っていいよ?」

今までともみさんの存在を忘れていたと言わんばかりの光江さんの唐突な言葉に、ともみさんが、でも、と明るく答えた。

「今日のギャラが支払われるか心配で。みなさんの話が終わったらエリックさんに確認したいですし、最後までいてもいいですか?」

お嬢ちゃん、肝座ってるねぇ、気に入ったよ、と光江さんが笑った時、足音が一気に近づき大輝くんが走りこんできた。

「…うわっ♡予想超えすぎてヤバい♡」

美しすぎてテンション上がる♡というともみさんの反応は勢いよくスルーし、大輝くんは横目で私を確認すると、そのままエリックさんに近づき、と思ったら胸倉をつかんで席から立たせた。

「なんでこんなこと…!」
「殴れば?」

唇の端に笑みを浮かべたエリックさんに、大輝くんが拳を振り上げる。

「…大輝くん!」

私が声を上げると、大輝くんはエリックさんを突き放し、エリックさんは脱力したようにまた元の位置に座った。

「お嬢ちゃん、うるさいねぇ。ここからは大輝の好きなようにやらせな」
「…え?でも…」
「アタシたちはもうお役御免だよ。ただ、このシャンパンはもったいないから、2人は残して、アタシたちはフロアのカウンターに移ろう」
「…え?」
「そっちのお嬢ちゃんは、ギャラの話もしたいんだろ?だから坊やたちの話が終わるのを飲みながら待っていよう」

そう言って立ち上がった光江さんに、素直に従うともみさんの全く気後れしないその様子に、今日何度目かの彼女への驚きを覚えた。

雄大さんも立ち上がったのを見て、私もしぶしぶ…立ち上がった…けれど、やっぱり。

「…私、ここにいます」

思ったより大きく出てしまった私の声に、光江さんがゆっくりと振りかえり、大輝くんもこちらを見た。それらの視線を感じながら伝える。

「今日一番怖い思いをしたのは、その、私で…無理やりここに連れてこられた理由とかをきちんと…あの、聞く権利が私にはあると思うんですよね」

― 今、大輝くんとエリックさんを…2人きりにしたくない。

どんなやりとりになったとしても、きっとこれから大輝くんは傷ついてしまう。そうなったとき、私にできることは何もないかもしれないけれど、とにかく大輝くんを独りぼっちにだけはしたくなかった。

しばらく私と大輝くんを見比べていた光江さんが、フッと笑った。そして、じゃあババアからは最後に一言だけ、とエリックさんを見た。

「子どもは大人をうまく利用するべきで、子どもが大人に利用されたらダメだ。それと…」

光江さんが言葉を切り、皆が静寂を共有し待つ。

「欲や野心を友情に持ち込んで壊してこじれるのは若さの象徴で、初々しくさえあるけどね。誰かを傷つけて得る勝利には、後悔が刻まれて消えないんだ。その痛みを抱えて生き続けることを覚悟するんだね」

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▶1話目はこちら:27歳の総合職女子。武蔵小金井から、港区西麻布に引っ越した理由とは…

次回は、8月3日 土曜更新予定!