知識ゼロから投資を始め、FIREを達成した櫻井かすみさん

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 岸田政権は、2023年を「資産所得倍増元年」とし、今年からNISAの非課税限度額を引き上げるなど、貯蓄から投資へのシフトを国民に促している。長期の円安や国際的な政情不安など、われわれの懐事情に打撃が続くいま、少額でも投資をするのは、デフォルトになりつつあるようだ。
 一方、まったくの未経験者には、投資には不安や抵抗感がつきまとう。本当に大丈夫なのだろうか?そこで今回は、知識ゼロから投資を始め、FIREを達成した櫻井かすみさんにお話をうかがった。

◆外資系製薬会社を寿退社。しかし…

 現在の櫻井さんは、資産額1億円を超え、「投資の学び舎スクール」を主宰し、著書『投資への不安や抵抗が面白いほど消える本』(Gakken)を上梓するなど、投資のエキスパートとして活躍している。

 しかし、最初からスムーズに成功できたわけではない。それどころか、キャリアの最初の一歩は、あまりにもキツい会社勤めであった。櫻井さんは、次のように打ち明ける。

「2010年に外資系の製薬会社に就職しました。職種はMR。これは医薬情報担当者の略称で、分かりやすくいえば、お医者さんを相手にした営業職です。仕事はかなり大変で、早く仕事を辞めたいという気持ちになりました。それで、入社2年ぐらいで結婚をして寿退社しました。ですが、1年足らずで別居となり、離婚しました。離婚の原因は、性格の不一致。大事なお金の話ができず、それが大きな引き金となりました」

◆1日14時間以上の勤務に疲れ果てて…

 まだ子供はいなかったが、貯金もなく、仕事も、収入もなかったため、いったん実家に戻ったという櫻井さん。その後、別の外資系製薬会社に中途採用され、再びMRに就く。そこでも激務で、朝は7時半ぐらいから始業。深夜の12時ぐらいまで働くという、仕事漬けの日々だった。

「ただ、給料は良く、成績優良であれば賞与も多くもらえて、お金の面では満足でした。そこでは7年間務めました。退職した直接のきっかけは、再婚して子供を出産したことです。でも、それ以前から心の底で、会社を辞めたいという気持ちはありました。仕事はハードで、部署内の離職率も多め。うつ状態になる人もいたくらいです。待遇はよくても、これは続けられないぞと思っていました」

 そんな櫻井さんが、投資に目覚めたきっかけは、再就職間もない26歳の頃。「いつ、また働けなくなるかわからない」という不安感からであったという。いうまでもなく、仕事の大変さも投資への情熱に拍車をかけた。経済的自由さえつかめれば解放されるというのは、何よりも大きなモチベーションとなる。

◆デイトレードの二足のわらじで救急搬送も

 櫻井さんは話を続ける。

「手初めはデイトレードです。やってみると、めちゃくちゃ大変なうえに、ハマりすぎて寝不足になり、会社の中で倒れて救急車で運ばれた経験も2回あるほどでした。

 仕事が多忙なうえに、帰宅してからですから、午前2〜3時まで画面とにらめっこしていました。出勤中もマーケットは開いているので、気になって仕方ありません。休憩時間や外勤の合間は、とにかくスマホで値動きをチェックするみたいな状況……。でも、1年ぐらい続けてみての成績はトントンぐらいだったのです。そして、心身は確実に疲弊しました。ただ、当時は本当にお金がなかったので、とにかく早く短期で稼ぎたいっていう気持ちでいっぱいでした」

 櫻井さんは、デイトレードと同時並行で暗号資産のビットコインにも投資したという。当時は、まだ1ビット10万円を切るぐらい。不透明感が大きく、大きく上がるときもあれば、ストンと下がるときもあったので、不安が勝っていたそうだ。しかし、今は1000万円前後に上がっていて、これは手を出して正解であったと述懐する。