安倍元首相銃撃から2年、日本社会はどんな教訓を得ることができたのか Photo:JIJI

写真拡大

安倍元首相襲撃から2年
社会が何も変わっていない現実

 安倍晋三元首相が亡くなって2年が経過した。

 命日の7月8日は三回忌法要や追悼行事も開かれたが、多くの国民の中でいまだにこの事件が一区切りついた印象がないのは、やはり裁判が行われていないからだろう。

 報道によれば、証拠の整理が終わり、争点の絞り込みが行われていて、山上徹也被告の所持していた手製の銃が「拳銃等」にあたるかどうかなどのやりとりが続けられ、被告の弁護団の見通しでは、来年以降となるという。

 ただ、情報がなくてもこのような悲劇を繰り返さないためにメディアにもできることはある。それは今回の事件で改めて明らかになった「権力者を殺しても日本社会はなにひとつ変わらない」という現実を広く世に伝えることだ。

 この事件が起きてしばらくして、演説中の岸田文雄首相に「手製のパイプ爆弾」を投げるという模倣犯が出たように、今後も「悪徳政治家にアクションを起こすオレってカッケー」的な自己陶酔型のテロが増えていく恐れがある。

 これは、『山上被告を「同情できるテロ犯」扱いしたマスコミの罪、岸田首相襲撃事件で言い逃れ不能』という記事でも解説しているが、山上徹也被告に対して「やったことは悪いことだけれど日本の闇を暴いた」という感じで英雄視する人が続出したことも影響している。

https://diamond.jp/articles/-/321595

 海外のメディアでは銃乱射事件などのテロが起きたとき、日本のように実行犯に同情しないのはもちろん、生い立ちや主張を詳しく報じない。過剰なテロリスト擁護報道は、同情や共感を生んで次のテロ予備軍を作ってしまうことがわかっているからだ。

 しかし、日本のマスコミは事件直後から山上被告をワイドショーネタとして消費しまくった。だからこそ、せめてもの罪滅ぼしに毎年この時期が来たら、「暴力で世界を変えることはできない」というメッセージを強く発信すべきなのだ。

続きはこちら(ダイヤモンド・オンラインへの会員登録が必要な場合があります)