2018年、実業家の野崎幸助さんが不審死した和歌山県田辺市内の自宅(撮影・小川泰平)

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 2018年に〝紀州のドン・ファン〟と称された資産家・野崎幸助さん(当時77)が和歌山県田辺市の自宅で不審死した事件は当時、社会的な関心事となった。5月24日は野崎さんの命日で、事件発生から6年が経過した。野崎さんに対する殺人と覚醒剤取締法違反の疑いで、21年4月に「55歳年下」の元妻・須藤早貴被告(28)が逮捕され、同年5月に起訴されたが、3年後の今も裁判は始まっていない。その理由や今後の焦点などについて、同事件を追ってきた元神奈川県警刑事で犯罪ジャーナリストの小川泰平氏に話を聞いた。

【写真】野崎幸助さんと須藤早貴容疑者(2017年12月)

 この事件前、須藤被告は当時19歳だった15年から翌年にかけて札幌市の男性(当時61)から金をだまし取った詐欺事件を起こしており、その初公判が今月10日に始まった。だが、野崎さんに覚醒剤を摂取させて殺害したとされる容疑に関する事件の公判が開かれる見込みはまだない。

 小川氏は「3年もたって、まだ公判の計画が見えていないというケースは珍しい。証拠が弱いとか、弁護士が代わって時間がかかっているということもあるだろうが、それにしても時間がかかり過ぎ。裁判裁判をスムーズに進めるため、争点や証拠を整理する『公判前整理手続』の途中において、弁護士、検察官、裁判官と話をするが、そこでの話が一向に進まないから時間がかかっているのではと、考えられる」と説明した。

 その上で、同氏は「まず、公判前整理手続きの流れで、検察官と弁護士がそれぞれの主張を明らかにし、証拠の取調べを裁判所に請求するが、検察側の証拠書類等、不同意が余りにも多いのではないかと考えています。その一番の理由は『須藤被告が全く認めない、全く話をしない』というところではないかと思います」と指摘した。

 小川氏は発生時から現場での取材を続けてきた。

 「当初から須藤被告が『怪しい』と言われていました。もちろん、ただ、怪しい…というだけで、逮捕したのではなく、警察は逮捕するまで3年の時間をかけ、あらゆる捜査をしたことは推察できます。それだけ、いろいろな『状況証拠の積み重ね』で逮捕したということです。しかし、逮捕の決め手となる物証がある話は出ていない。当初から『逮捕ありき』での捜査が進められていたとしたら、非常に難しい裁判になるのではないか。状況証拠の中に『モノ』が出てくれば大きな証拠になるが、『過去に摂取した状況はない』という県警の発表があった。依然として『難しい事件』のままになっている」

 一般論として、「逮捕ありき」の逮捕では公判維持が難しい。須藤被告もこのケースに当てはまるのだろうか。

 小川氏は「(野崎さんは)覚醒剤を飲まされたのではないかと言われているが、では、どういう方法で飲まされたのか。押収したビール瓶から覚醒剤の成分は検出されなかった。実際、覚醒剤を通常の飲み物に混ぜると苦くて飲めない。密売人と接触したという履歴が須藤被告の(携帯電話の)アプリには残っているというが、初めての取引をする者に大量の覚醒剤を密売人が売買するのかといった疑問があるのも事実」と付け加えた。

 また、須藤被告について、小川氏は「現在、拘置所に移管されているので、警察から毎日のように取り調べされているというようなことはない」と現状を語り、今後について「取り調べの中で黙秘して、裁判で話をするというケースは結構あります。今回の詐欺事件の初公判では話をしていたが、殺人容疑の公判が開かれるなら、とこで、どの程度の話をするのか注目される」と補足した。

 一方、事件発生当時、須藤被告と共に自宅にいた家政婦の存在も話題になった。野崎さんの死から4か月がたった18年9月下旬、東京・銀座のスナックで働いていた元家政婦のXさんを取材した。記者が身分を明かして名刺を渡すと、Xさんは「私は殺していません」と、真っ直ぐにこちらの目を凝視して言い切った。メディアを通して世間から向けられた厳しい視線だけでなく、実際に街で罵声を浴びせられたこともあったと打ち明け、「我慢するしかないと思って黙っていました」と吐露した。その後、Xさんは連絡を絶った。

 現時点で殺害容疑は須藤被告に絞られているが、裁判の行方など今後の展開はどうなるのか。小川氏は「検察の決め手となる証拠は存在するのか、殺害方法(覚せい剤をどのような方法で摂取させたのか)等、裁判裁判の日程も含めて注視していきたい」との見解を示した。

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 依然として「真相はやぶの中」である以上、いかなる言及も推測の域を出ることはない。コロナ禍前、「誰が犯人か?」という推理とともに好奇の目を向けられた事件も〝消費〟され、風化し、次の関心事に目が移ろう。7度目の「5・24」を迎えた今、そんな世の流れを痛感させられる。ただ、一つ言えることは、平成という時代の終わりに起きた「異質な事件」であるということ。〝新事実〟が出て来なくとも、俯瞰(ふかん)してみれば、その事実は変わらない。

(デイリースポーツ/よろず~ニュース・北村 泰介)