琉球ガラスの魅力と手仕事を中目黒から発信!ロースタリー 東京「JIMOTO Made+」新作
東京・中目黒にあるスターバックス リザーブ(R) ロースタリー 東京(以下、ロースタリー 東京)とスターバックス オンラインストアでは、日本各地のモノ作りを取り入れた商品シリーズ「JIMOTO Made+」を展開している。日本の工芸・産業を次の世代に残すため、商品の背景にある文化、職人の情熱や技術をロースタリー 東京から全国へ発信していきたいという想いが込められている。
【写真】「JIMOTO Made+ 糸満 琉球グラス 陽」(右)と「JIMOTO Made+ 糸満 琉球グラス 空」(左)
毎回注目度の高いシリーズの新作は2024年5月10日に発売となった、沖縄・琉球ガラスで作られた「JIMOTO Made+ 糸満 琉球グラス 陽」と「JIMOTO Made+ 糸満 琉球グラス 空」(各6400円)。沖縄・琉球ガラスはシリーズ初登場だ。どのように商品が生まれるのか、店舗のパートナー(従業員)と共に、糸満市にある工房を訪ねた。
■沖縄の歴史と共に変化する琉球ガラス
沖縄本島最南端、糸満ハーレーが有名な海人の町、糸満市。訪れたのは那覇空港から車で20分ほどの場所にあり、「琉球ガラス村」として知られる琉球ガラスメーカー・株式会社RGCだ。琉球ガラス村で工房を一般公開するほか、体験教室、ギャラリーなど琉球ガラスの魅力を発信。中央にガラスを溶かす溶解炉を据えた工房では、7〜8人の職人たちが長い吹き竿を持ち、炉からの熱風の中黙々と作業している。案内してくれたのは、琉球ガラス村常務取締役の川上英宏さん。
琉球ガラスというと青や赤といった鮮やかな色合いと、ガラスにまとう気泡が特徴だが、それは「時代を生き抜くために変化してきたから」だと川上さんは言う。
沖縄でガラス製造が始まったのは明治時代末期といわれ、昭和初期には、器やハエとり器など島民の生活用品が作られていた。今の琉球ガラスの形となる転機は第二次世界大戦後のこと。物資不足の中、米軍が廃棄する大量の空き瓶を原料としたが、瓶を溶かして作るガラスには気泡が入りやすく、その気泡をデザインとして生かしたのだ。
1960年代には駐留米軍の婦人たちからのオーダー商品を製造。そして1972年の本土復帰から3年後に開かれた沖縄国際海洋博覧会で本土から訪れた多くの観光客に認知され、土産品としての需要が伸びることになる。1998年には県指定の伝統工芸品に認定され、現在では県民もまた利用するように。
株式会社RGCは約30年前に8つの工房が合併・設立した協同組合が前進。こうした琉球ガラスの文化や技術を未来へつなぎたいと、スターバックスとタッグを組んだのだ。
■沖縄の陽光を表現したグラス
今回登場する「JIMOTO Made+ 糸満 琉球グラス 陽」と「JIMOTO Made+ 糸満 琉球グラス 空」は、水色とオレンジの2色がグラデーションのように混ざり合い、グラスの中央を包むように気泡が浮かんでいる。飲み口はあえて不均一にし、手作りの風合いのあるデザインだ。
この2色は、沖縄とロースタリー 東京をつなぐ色。オレンジ色は沖縄の朝夕の陽光をイメージし、またコーヒー豆の色にも近い。空をイメージした水色は、出会いの色とされているそう。沖縄とロースタリー 東京の出会い、お客と琉球ガラス、ロースタリー 東京での人々の出会いへの願いが込められているという。
「この色を表現するのがとても難しく、今日に至るまで色のレシピを検討してきました」と、川上さん。この美しい色と気泡がどのように生まれるのか、工房の様子と共に詳しく紹介しよう。
■職人のチームプレーで生まれる2色のカラー
琉球ガラス村では4〜5人がチームとなり商品を生み出していく。個人作家などすべての作業を一人で行う工房もあるが、ここでは職人育成のために若手が先輩の技術を学び経験を積めるようチームを編成している。
1300℃を超える溶解炉には複数のるつぼがあり、それぞれガラスと異なる色の原料が溶かされている。現在の琉球ガラスの原料は廃瓶ではなく、珪砂、ソーダ灰、石灰を原料としたソーダガラス。そこに色の原料をプラスしている。
1つ目のポイントは気泡。
まずは透明のガラスを吹き竿にとり、琉球ガラスの特徴である気泡を生み出すため、重曹をかける(工房によって気泡を生む元は異なる)。
「今回は帯状にデザインされるよう、上下の余分な重曹をふき取っていくというひと手間を加えています」(川上さん)
2つ目のポイントは異なる色のガラスを合わせること。
透明のガラスの上に水色のガラスを巻き取り、別の職人が巻き取ったオレンジのガラスを竿から竿へ、水色のガラスの上に巻き付けるように渡していく。それを成形炉で熱して溶け合わせながら型吹きをし、U字型の洋ばしなどで成形をしていく。
透明に色を重ね、色に色を重ねて生み出される、沖縄とロースタリー 東京を結ぶ水色とオレンジ。
「特にオレンジなどの暖色は温度や湿度などの外因を受けやすく、望む色を出すことが難しいんです。炉で溶かす原料の量でも変わってしまうので、1年ほどかけて調整を続け、表現したい色に近づけていくことに職人たちはとても力を入れました」(川上さん)
3つ目のポイントは仕上げ。
不均一で温かみのある飲み口になるよう、口元をハサミで波状に切る。そして洋ばしなどを使い全体的な形を整えていく。熱したガラスは手で触れることができないため、竿ですくい取るガラスの量、グラスの厚みなど、すべてが職人の感覚、手作業で作られていく。そうした感覚をひとつにまとめ、商品の均一性を担保するため「商品の仕上げはすべて、必ず同じ職人が行っています」と川上さん。
仕上げを担当するのは、6代目工場長を務めた我謝良秀さん。引力や遠心力を利用しながら手作業で行うガラス作りの難しさをこう語る。
「オーダーメイドの場合は作り手の個性を言い訳にはできません。ハンドメイドのぬくもりは残しつつも、1個の重さや容量、デザインには均一性が求められます。オレンジと水色の濃度や面積のバランスは幾度も検証し、巻き取りや巻き方も均一化を図るために試行錯誤を重ねました」
こうした様子を真剣な眼差しで、時折質問を交えながら見つめていたのは、ロースタリー 東京の物販部門・リテイル&スクープバーの2人のパートナーだ。2人は、今回の商品の成形も体験した。
吹き竿に巻き取ったガラスを型に差し込みながら息を吹き込む技法・型吹きガラスに挑戦。吹き込む力が足りずにふくらみが弱く、力を入れるとふわっと一気に膨らんでしまい「ちょっとした力の差で大きく変わるんですね」と加減の難しさを実感。
長竿を台の上で転がしながら洋ばしでグラスの口元を広げていく際に、ガラスの温度が下がってしまうとガラスは形を変えてくれない。「職人さんはやっぱりスピード感が違う」と感嘆の声を上げていた。
それらすべてを手作業で均一性のある商品へと変えていく職人技のすごみに感動し、「お店のほかのパートナーにも同じ熱量でお客様に伝えてもらえるようにしっかり話しをしていきたい」と語っていた。
■炉の火を絶やさず、技術を継承していくために
工房で赤々と燃え続ける炉。耐久性による入れ替え以外は、24時間365日、火を焚き続ける。しかし、創業以来、初めてそれが途絶えたことがあるという。コロナ禍だ。人の流れが止まり、観光客が激減し、やむなく休業。火の消えた炉の前には、落胆する職人たちの姿があったという。再び火の入った炉と共に息を吹き返す職人たちを見て、「当たり前に作ることができることは幸せなんだと改めて実感しました」と川上さんは振り返る。
コロナ禍が落ち着き、人の流れが戻った今、職人たちは「世界にファンのいるスターバックスのように、このグラスも世界中のファンに広がるように」と、JIMOTO Made+への想いも深いという。戦争で島内の工房が焼失した時も、コロナ禍で火が消えた時も、再生できたのは技があったからこそ。
「ガラスはいろいろな形で残っていい。我々はその技、ノウハウを継承していくために、モノ作りを続け、受け入れられる商品を作らなければいけないと思っています」
技が継承されるように、竿から竿へガラスが受け渡されるように、人と人がつながり、琉球ガラスとロースタリー 東京がつながって生まれた「JIMOTO Made + 糸満 琉球グラス」。グラスの底には、それを示すかのように両者のロゴが刻印されている。
【写真】「JIMOTO Made+ 糸満 琉球グラス 陽」(右)と「JIMOTO Made+ 糸満 琉球グラス 空」(左)
毎回注目度の高いシリーズの新作は2024年5月10日に発売となった、沖縄・琉球ガラスで作られた「JIMOTO Made+ 糸満 琉球グラス 陽」と「JIMOTO Made+ 糸満 琉球グラス 空」(各6400円)。沖縄・琉球ガラスはシリーズ初登場だ。どのように商品が生まれるのか、店舗のパートナー(従業員)と共に、糸満市にある工房を訪ねた。
■沖縄の歴史と共に変化する琉球ガラス
沖縄本島最南端、糸満ハーレーが有名な海人の町、糸満市。訪れたのは那覇空港から車で20分ほどの場所にあり、「琉球ガラス村」として知られる琉球ガラスメーカー・株式会社RGCだ。琉球ガラス村で工房を一般公開するほか、体験教室、ギャラリーなど琉球ガラスの魅力を発信。中央にガラスを溶かす溶解炉を据えた工房では、7〜8人の職人たちが長い吹き竿を持ち、炉からの熱風の中黙々と作業している。案内してくれたのは、琉球ガラス村常務取締役の川上英宏さん。
琉球ガラスというと青や赤といった鮮やかな色合いと、ガラスにまとう気泡が特徴だが、それは「時代を生き抜くために変化してきたから」だと川上さんは言う。
沖縄でガラス製造が始まったのは明治時代末期といわれ、昭和初期には、器やハエとり器など島民の生活用品が作られていた。今の琉球ガラスの形となる転機は第二次世界大戦後のこと。物資不足の中、米軍が廃棄する大量の空き瓶を原料としたが、瓶を溶かして作るガラスには気泡が入りやすく、その気泡をデザインとして生かしたのだ。
1960年代には駐留米軍の婦人たちからのオーダー商品を製造。そして1972年の本土復帰から3年後に開かれた沖縄国際海洋博覧会で本土から訪れた多くの観光客に認知され、土産品としての需要が伸びることになる。1998年には県指定の伝統工芸品に認定され、現在では県民もまた利用するように。
株式会社RGCは約30年前に8つの工房が合併・設立した協同組合が前進。こうした琉球ガラスの文化や技術を未来へつなぎたいと、スターバックスとタッグを組んだのだ。
■沖縄の陽光を表現したグラス
今回登場する「JIMOTO Made+ 糸満 琉球グラス 陽」と「JIMOTO Made+ 糸満 琉球グラス 空」は、水色とオレンジの2色がグラデーションのように混ざり合い、グラスの中央を包むように気泡が浮かんでいる。飲み口はあえて不均一にし、手作りの風合いのあるデザインだ。
この2色は、沖縄とロースタリー 東京をつなぐ色。オレンジ色は沖縄の朝夕の陽光をイメージし、またコーヒー豆の色にも近い。空をイメージした水色は、出会いの色とされているそう。沖縄とロースタリー 東京の出会い、お客と琉球ガラス、ロースタリー 東京での人々の出会いへの願いが込められているという。
「この色を表現するのがとても難しく、今日に至るまで色のレシピを検討してきました」と、川上さん。この美しい色と気泡がどのように生まれるのか、工房の様子と共に詳しく紹介しよう。
■職人のチームプレーで生まれる2色のカラー
琉球ガラス村では4〜5人がチームとなり商品を生み出していく。個人作家などすべての作業を一人で行う工房もあるが、ここでは職人育成のために若手が先輩の技術を学び経験を積めるようチームを編成している。
1300℃を超える溶解炉には複数のるつぼがあり、それぞれガラスと異なる色の原料が溶かされている。現在の琉球ガラスの原料は廃瓶ではなく、珪砂、ソーダ灰、石灰を原料としたソーダガラス。そこに色の原料をプラスしている。
1つ目のポイントは気泡。
まずは透明のガラスを吹き竿にとり、琉球ガラスの特徴である気泡を生み出すため、重曹をかける(工房によって気泡を生む元は異なる)。
「今回は帯状にデザインされるよう、上下の余分な重曹をふき取っていくというひと手間を加えています」(川上さん)
2つ目のポイントは異なる色のガラスを合わせること。
透明のガラスの上に水色のガラスを巻き取り、別の職人が巻き取ったオレンジのガラスを竿から竿へ、水色のガラスの上に巻き付けるように渡していく。それを成形炉で熱して溶け合わせながら型吹きをし、U字型の洋ばしなどで成形をしていく。
透明に色を重ね、色に色を重ねて生み出される、沖縄とロースタリー 東京を結ぶ水色とオレンジ。
「特にオレンジなどの暖色は温度や湿度などの外因を受けやすく、望む色を出すことが難しいんです。炉で溶かす原料の量でも変わってしまうので、1年ほどかけて調整を続け、表現したい色に近づけていくことに職人たちはとても力を入れました」(川上さん)
3つ目のポイントは仕上げ。
不均一で温かみのある飲み口になるよう、口元をハサミで波状に切る。そして洋ばしなどを使い全体的な形を整えていく。熱したガラスは手で触れることができないため、竿ですくい取るガラスの量、グラスの厚みなど、すべてが職人の感覚、手作業で作られていく。そうした感覚をひとつにまとめ、商品の均一性を担保するため「商品の仕上げはすべて、必ず同じ職人が行っています」と川上さん。
仕上げを担当するのは、6代目工場長を務めた我謝良秀さん。引力や遠心力を利用しながら手作業で行うガラス作りの難しさをこう語る。
「オーダーメイドの場合は作り手の個性を言い訳にはできません。ハンドメイドのぬくもりは残しつつも、1個の重さや容量、デザインには均一性が求められます。オレンジと水色の濃度や面積のバランスは幾度も検証し、巻き取りや巻き方も均一化を図るために試行錯誤を重ねました」
こうした様子を真剣な眼差しで、時折質問を交えながら見つめていたのは、ロースタリー 東京の物販部門・リテイル&スクープバーの2人のパートナーだ。2人は、今回の商品の成形も体験した。
吹き竿に巻き取ったガラスを型に差し込みながら息を吹き込む技法・型吹きガラスに挑戦。吹き込む力が足りずにふくらみが弱く、力を入れるとふわっと一気に膨らんでしまい「ちょっとした力の差で大きく変わるんですね」と加減の難しさを実感。
長竿を台の上で転がしながら洋ばしでグラスの口元を広げていく際に、ガラスの温度が下がってしまうとガラスは形を変えてくれない。「職人さんはやっぱりスピード感が違う」と感嘆の声を上げていた。
それらすべてを手作業で均一性のある商品へと変えていく職人技のすごみに感動し、「お店のほかのパートナーにも同じ熱量でお客様に伝えてもらえるようにしっかり話しをしていきたい」と語っていた。
■炉の火を絶やさず、技術を継承していくために
工房で赤々と燃え続ける炉。耐久性による入れ替え以外は、24時間365日、火を焚き続ける。しかし、創業以来、初めてそれが途絶えたことがあるという。コロナ禍だ。人の流れが止まり、観光客が激減し、やむなく休業。火の消えた炉の前には、落胆する職人たちの姿があったという。再び火の入った炉と共に息を吹き返す職人たちを見て、「当たり前に作ることができることは幸せなんだと改めて実感しました」と川上さんは振り返る。
コロナ禍が落ち着き、人の流れが戻った今、職人たちは「世界にファンのいるスターバックスのように、このグラスも世界中のファンに広がるように」と、JIMOTO Made+への想いも深いという。戦争で島内の工房が焼失した時も、コロナ禍で火が消えた時も、再生できたのは技があったからこそ。
「ガラスはいろいろな形で残っていい。我々はその技、ノウハウを継承していくために、モノ作りを続け、受け入れられる商品を作らなければいけないと思っています」
技が継承されるように、竿から竿へガラスが受け渡されるように、人と人がつながり、琉球ガラスとロースタリー 東京がつながって生まれた「JIMOTO Made + 糸満 琉球グラス」。グラスの底には、それを示すかのように両者のロゴが刻印されている。