自民党の党大会であいさつする十倉雅和経団連会長

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「裏金問題」を発端として企業献金に疑念が抱かれる中、わが国最大の経済団体「経団連」にも注目が集まっている。しかしこの組織、一体何を目的に、どんな活動をしているのかは、意外にも謎に包まれたままである。その正体をひもといていくと……。(以下は「週刊新潮」2024年4月18日号掲載の内容です)

経団連とは

 経団連のルーツは、戦後間もない1946年にまでさかのぼる。GHQの影響下、日本経済の再建・復興を目的として、現在の経団連の母体となる経済団体連合会が発足。以来、経済政策に関する提言などを通じて、わが国の財界をけん引してきたとされている。2002年には、経営者の団体で、労使関係の安定化を目的とする日本経営者団体連盟(日経連)を吸収合併し、日本経済団体連合会が発足。12年の一般社団法人化を経て、現在の経団連の体制が整えられた。

自民党の党大会であいさつする十倉雅和経団連会長

 大手企業を中心に、今や1700近くの企業や団体が加盟していることから、経済三団体を構成する日本商工会議所、経済同友会とも一線を画し、名実ともに、財界の代表として君臨してきたのである。

 それゆえに、経団連の会長こそが、日本の経済界における頂点のポストとされ、“財界総理”とも称されてきた。歴代15代会長の出身企業には、東京芝浦電気(現・東芝)、新日本製鐵(現・日本製鉄)、トヨタ自動車などそうそうたる名が連なる。誰もが認める「日本を代表する大企業」が、その重責を担ってきたといえよう。

 だが財界総理ともあろうポストでありながら、その座がどのように決められてきたのかは、あまり知られていないところだ。

会長の条件

「いわゆる会長選挙のようなものが行われるわけではありません」

 そう話すのは、経団連の事情に通ずる経済ジャーナリスト。

「会長に明確な決め方というものはないのですが、実際は、現職会長が“ふさわしい人”を副会長の中から選び、後を託す形が多かったように思われます」

 とはいえ、守るべき“掟”は存在するようで、

「伝統的に、『非財閥系のものづくり企業』から選ばれるという不文律がありました。経団連には『自分たちが日本経済を背負っている』という意識が強く、財閥に忠誠を誓う企業の出身者は、トップにはふさわしくないという風潮があったのです。また、かつては『ものづくりこそ日本の基幹産業』という考えが根付いていたため、商社や金融業などはいわば“格下”にあたる。すると会長候補となる企業は、自然と限定されていたわけです」(同)

 この「後任選び」は毎度すんなりと進んだわけではない、と先のジャーナリストは続ける。

「その座をめぐって、熾烈(しれつ)な争いが繰り広げられたこともあります。特に激しかったのは、98年に任期を終える豊田章一郎会長(トヨタ自動車)の後任をめぐる、新日鐵・今井敬氏とNEC・関本忠弘氏の一騎打ちでしょうか。両者とも経団連会長への思いが強く、互いをおとしめる怪文書までばらまかれるなど、当時大きな話題となりました」

 結局、新日鐵からの3度目の会長選出を疑問視する声はありつつも、豊田氏は今井氏を後継に指名。片やNECでは、防衛庁の装備品納品をめぐる背任事件を受けて、関本氏が社内でも失脚に追いやられたことは、よく知られた話である。

 だが、昨今の会長の椅子がまばゆいほどに輝いているかといえば、そうでもないのだという――。

 有料版では、会長の座が住友化学の十倉雅和氏に回ってくるまでの経緯や、政界との“癒着”の歴史、そして疑惑の視線が注がれる「政治献金」のカラクリなどについて、詳報している。

デイリー新潮編集部