福岡第一高校のエースとして全国制覇を成し遂げた崎濱秀斗【写真:長嶺真輝】

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福岡第一のPG崎濱秀斗 沖縄出身PG並里、岸本に憧れ「観客を魅了する選手に」

 2022年12月に公開され、大反響を巻き起こしたバスケットボール映画「THE FIRST SLAM DUNK」。主人公として描かれたポイントガード(PG)の宮城リョータは沖縄県の田舎村で生まれ育ち、神奈川県の湘北高校で全国大会に出場した。そして、本作のラストではアメリカ留学に挑戦中と見られるシーンも描かれた。その経歴を現実世界で辿る選手がいる。リョータと同じ沖縄県の出身で、昨年末の全国高校選手権大会(ウインターカップ)で福岡第一高をエースとして4年ぶり5度目の優勝に導いたPG崎濱秀斗である。漫画「SLAM DUNK」の作者である井上雄彦氏らが設立した「スラムダンク奨学金」の奨学生として、3月下旬に渡米する。

 沖縄県内でもバスケが盛んな地域で知られる本島中部の沖縄市出身。父・秀勝さんが高校バスケの指導者であることもあって、小さい頃からバスケは身近にあった。

 本格的に始めたのは小学校4年生の時。きっかけはBリーグ1部(B1)の琉球ゴールデンキングスの試合を見始めたことだった。「並里成選手(B1群馬クレインサンダース)や岸本隆一選手のプレーが観ていておもしろく、めちゃくちゃ好きでした。自分も観客を魅了できる選手になりたいと思って、始めました」。自身と同じ沖縄出身のPGたちが見せる独特なリズムや優れたスキルに惹かれ、県内で強豪のミニバスケットボールチームに入った。

 2年後の小学校6年の時には、一つ目の目標が決まる。2016年のウインターカップを二つ上の兄・秀真とテレビで観ていて、この年に優勝を果たす福岡第一高の中心を担った双子の重冨兄弟のスピード感溢れるプレーが目に留まった。「こういう速いバスケットがしたい」。先を見据え、並里や渡辺竜之佑(B3福井ブローウィンズ)、ハーバー・ジャン・ローレンス・ジュニア(東海大3年)など、多くの有力選手を沖縄から福岡第一高に進学させた沖縄市立コザ中に進んだ。

 ただコザ中を強豪に押し上げ、福岡第一高への進学ルートを築いたコーチが、自身が在学している間に一線を退いた。進路に不安を感じる時期もあったが、秀勝さんの支援もあり、中学2年の途中に強豪の福岡市立西福岡中に転校。指導する中学校を何度も全国制覇に導いた鶴我隆博監督の指導の下、ドライブやパスセンスに磨きを掛け、3年時にはエースを張った。

 留学を意識し始めたのは、この頃だ。コロナ禍で緊急事態宣言が発令され、満足に練習ができない時期だった。「たまたま安藤誓哉(B1島根スサノオマジック)さんが海外でプレーをしている動画を見て、とてもレベルが高かった。そういう環境に挑戦している姿を見て、『自分も海外に挑戦したい』と思うようになりました」。中学卒業と同時に海を渡ることも考えたが、「まずは日本で結果を残してから」という秀勝さんの勧めもあり、当初から目指していた福岡第一高に進んだ。

 高校では100人を超える大所帯の中で1年時から出場機会を得た。「何個かのスキルを1回でやるのは好きじゃない。1個のスキルを1年間で極めて、それが積み重なったら成長できると思って練習していました」と言う通り、1年時はジャンプシュート、2年時はスリーポイントシュート(3P)の練習に注力。3年時は「全てを組み合わせて1対1の能力を高めました」と得点力をさらに向上させ、身長178cmと小柄ながら高校最後のウインターカップでは全試合で二桁得点を記録。特にシグネチャームーブ(その選手の象徴的な動き)である右ドリブルからのジャンプシュートで放つ3Pは、勝負所で何度もゴールを射抜いた。

 河村勇輝(B1横浜ビー・コルセアーズ)やハーパー・ジャン・ローレンス・ジュニア、轟琉維(東海大1年)など優秀なPGを多く輩出している福岡第一高での3年間は、個人のスキル以外でも多彩な学びがあったようだ。

「最後の年はキャプテンをさせてもらったこともあって、ガードとしてのプレーメイクの仕方や声出し、リーダーシップを学べたと感じます。(ガードの)先輩たちの後ろ姿を見て、日頃の生活のあり方も含め、ガードとして在るべき姿を自然と教えられたような気がします」

 怪我に苦しむ時期もあったが、個人トレーニングを手伝ってくれた仲間の存在や厳しい競争環境の中で着実に成長を遂げ、以前からの夢だった海外挑戦に向けて応募したスラムダンク奨学金の奨学生に選出。今年4月から米国北東部のコネチカット州にあるプレップスクール「セントトーマスモアスクール」で学業とバスケの研鑽に励む。プレップスクールは大学進学前の準備校の位置付けであり、NCAAチームのスカウトも多く訪れる。

独学とチームメートの留学生との会話で“英語脳”に

 進学先を決める経緯や技術を伸ばす過程からは、自らが定めた目標を達成するためにはどういう準備をして、どんな段階を踏めばいいかを長期視点で導き出す優れた“思考力”、一つ一つの事をやり通す“徹底力”が垣間見える。

 小さい頃から「どれだけ真剣かが大事。適当にやるんだったらやるな」「やるんだったらとことん追究しろ」という方針で接してきたという秀勝さんは、たくましく育った息子をこう評する。

「彼は一度習った事に対しては習得するまでやり切る習慣があります。本格的に始めた小学校4、5年くらいの頃から、自分で練習するためにバスケゴールのある近所の公園に行って数時間帰ってこないということもありました。やると決めたら、できるようになるまで止めない。信念がある」

 当然だが、この習慣はバスケのスキル向上だけに生かされているわけではない。

 中学3年で留学を意識し始めると同時に着手した英語の習得は、その例の一つだ。現地で日常生活を送るためにはもちろんのこと、チームをコントロールするガードにとって他の選手とのコミュニケーションは不可欠だ。コーチからの指導を理解する上でも語学力は絶対条件となるため、すぐにオンラインの英会話レッスンに申し込み、トレーニングの合間を縫って勉強を始めた。

「それまで全然英語に興味がなかったので、初めはとにかく単語を覚えました。あとはオンラインでネイティブの人とかと話す。それしかやっていないです。すごい教えてもらったというより、ほぼ独学。高校1年の頃には“英語脳”になってきた実感がありました」

 英語脳とは、リスニングした言葉を日本語に変換せず、英語で理解してそのまま会話ができる脳の状態を示す。高校生活では午前6時前には体育館に着いて朝練を始め、放課後も練習をこなすバスケ漬けの日々を送っていたが、その合間を縫って英語に触れる時間を欠かさずつくっていった。

 高校2年時には英国から留学生が入部し、「ずっと一緒にいて英語を教えてもらっていました。とても楽しかったです。(英語を習得する上では)それが一番大きかったかもしれません」と振り返る。今では日常会話は全く問題がないレベルだ。実際、昨夏に米国のクラブチームの組織であるAAUのトーナメントに参加した際も、現地の選手たちとのコミュニケーションに困ることはなかったという。

 高校バスケを引退し、地元沖縄で留学に向けた準備をしている間も、平日は1日6時間以上を英語の勉強に充ててきた。チームメートやコーチとの信頼関係が築ければ、自身のスキルやリーダーシップの成長曲線が大きくなることは間違いない。中学3年から4年越しで積み上げてきた準備は、海外挑戦におけるスタートラインをより前に押し出した。

 渡米を目前にした準備期間では体づくりにも気を配り、AAUトーナメントの際に「ミスマッチになった時、体の強さの違いを痛感した」と、食べる量を増やして体重アップに取り組んできた。ウインターカップの時点では体重が77kgだったが、現在は83kgほど。3月に入ってからは筋力トレーニングに注力し始め、特に下半身を鍛えながら85kgまで増やすつもりだという。

「最近はデニス・シュルーダー選手(NBAブルックリン・ネッツ)の1対1の仕方や、河村勇輝選手の足の使い方、プルアップシュートのタイミングなど、ずっと研究をしています」と、スキルの向上にも余念がない。

次の目標は米NCAA「ディビジョン1」の強豪校への進学

 NBAやBリーグでプロ選手になることも含め、将来の目標を聞くと、ここでも崎濱らしい愚直な答えが返ってきた。

「もちろん将来プロ選手になることは見据えていますが、やっぱり自分は一つ一つ目の前の目標を立て、それを叶えてから次のステップに行きたい。だから、今の一番の目標はNCAAのディビジョン1のハイメジャー(強豪)な大学からオファーをもらうことです。そこでプレーができれば、将来のオプションは絶対に増えると思っています」

 現在、NCAAの最高峰のカテゴリーであるディビジョン1のネブラスカ大学で際立った活躍をしている富永啓生の存在は「めちゃくちゃ刺激になっている」という。同じ舞台に立つためにやるべきことは、これまでと変わらない。まずはプレップスクールで自己研鑽を積み、体の強さやスキルを伸ばしていくことだ。それが、自らの将来を切り拓く一番の近道であることは、自身の経験が物語っている。

「絶対に苦しい時期があるのは分かっていますけど、それを乗り越えれば絶対に精神的に強くなるし、その先にはいい結果が待っている。だから緊張は全くありません。今は楽しみな気持ちしかないですね」

 崎濱は柔らかい笑みを浮かべ、そう言った。まるで、挑戦し続けることが自らの生きがいであるかのように。

(長嶺 真輝 / Maki Nagamine)