研修医時代のななとさん。82歳の患者さんから連絡先を渡されたことも(本人提供)

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「母親はまだ、ホストの仕事を認めていません」
 歌舞伎町のホストクラブ「Top dandy 1st」に所属するDr.ななとさん(26歳・@nanasexnanato)は源氏名の通り医者として働いていたが、家族の猛反対を受けながらもホストの道を選んだ。ななとさんはなぜ、社会的地位の高い医者という仕事を捨て、夜の世界に居場所を求めたのだろうか。

◆私大医学部に合格も「経済格差」に劣等感を抱える

 ななとさんは勉強に厳しい両親の下、難関国公立大学・医学部への合格者を多数輩出するトップレベルの高校に進学した。例に漏れずななとさんも医学部を志したのは、通学中に起きたある出来事がきっかけだった。

「電車の中で目の前の人が倒れたとき、たまたま居合わせたお医者さんが迅速に初期対応していました。それまで勉強する意義を見いだせなかったのですが、その人を見て、自分の学びを人のために生かせる人になりたいと思ったんです」

 進学校の中で成績はイマイチだったが、負けず嫌いな性格もあいまって、毎日10時間以上勉強し、高校3年の受験期には学年30位以内まで成績を伸ばした。その結果、現役で私立の医学部に合格することができた。

「受かったのはうれしかったですが、入学後、他の生徒との経済格差に劣等感を覚えました。私立の医学部に入学する人の大半は金持ちで、アルバイトはしないか、“社会経験”として少しだけやっている人がほとんどでした。しかし、僕の家庭はそこまで裕福ではなかったので、働きながら奨学金を返さなければなりませんでした」

 そこで始めたのがホストだった。

◆現役東大生ホストから勧誘されてホスト

 東大に通っている友人が歌舞伎町のホストクラブでホストのアルバイトをしており、彼から「絶対に向いているから」と勧誘を受けた。

「彼の接客を見ていると、ホストは分析したり戦略を立てたりなど、考える能力が必要だと分かりました。頭を使うことは好きだったので、自分にもできるかもしれないと思い、友人と同じ店に入店しました。それに、平均賃金くらいのアルバイト代で医学部の奨学金を返すのはかなり大変です。高時給であることも、ホストを始める理由の1つでした」

◆歌舞伎町は「偏差値や学歴なんて誰も気にしていない」

 まずは指名をもらうため、午前中から夕方まで大学の講義に出席したあと、週4〜5日の頻度でホストクラブに出勤した。大学ではTwitter(現X)やInstagramのオープンな利用が禁止されていたため、勉強の合間に、鍵アカウントでお客さんとやりとりし、仲を深めていった。指名が増え、収入も上がっていくにつれて、「自分は医者は向いていないだろう」と、思うようになったという。

ホストになっていろんな人と出会って初めて、“親から勉強する環境を与えられること”が当たり前ではないことを知りました。同時に、“勉強以外の世界があること”も知りました。歌舞伎町にはさまざまなバックグラウンドを持つ人がいて、偏差値や学歴なんて誰も気にしていない。個性を受け入れてくれる場所だから、僕も自分らしくいられました」

 それでも、「せっかく医学部に入れたのだから」と自分の気持ちに蓋をして勉強に励み、医師国家試験を受けて無事に合格。ホストは辞め、研修医として働き始めた。

◆「医者を辞める」と言ったら両親は大反対

「研修医として働き始めて2カ月経ったころには、辞めたいと思うようになりました。週6日、毎日10時間ほど働き、合間に上司のカンファレンスに出席する、というハードな業務だけでなく、自分らしさが出せない日々にもストレスを感じていました。医者は患者に不安や不信感を与えないよう、個性はいらないと指導されます。ホストとは真逆の労働環境が、僕にはどうしても合いませんでした」