NHK記者の企画案や取材メモなどが、子会社の30代の派遣スタッフによってインターネット上に流出するトラブルがあった。ノンフィクションライターの石戸諭さんは「今回の問題は、『取材源の秘匿』よりも『効率的な番組制作』が重視されたことが背景にある。マスメディアの経営状態は苦しく、こうした問題は各社で起きる恐れがある」という――。
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■NHKを揺るがした「メモ流出事件」

NHKが揺れている。今年1月に就任したばかりの稲葉延雄会長にとっては、受難続きの1年だったという他ない。稲葉氏の口癖でもある「アカウンタブル」=説明可能であることとは真逆の事態に見舞われた。その代表的な不祥事の一つとして、「取材メモ流出事件」はマスメディアの倫理を揺さぶる決定的な出来事だった。事実関係から整理しておこう。

2023年11月28日、若い女性の支援活動に取り組む一般社団法人「Colabo」を取り上げた「なぜネット上で誹謗(ひぼう)中傷を行うのか〜加害者に迫る〜」という企画書、同番組を企画した記者、そして記者が作成した取材先のメモがインターネット上に流出した。公開したのは「Colabo」の活動に対して批判を続けてきたXアカウント「暇空茜」氏だ。少し検索すれば事の経過はわかる。現状、「Colabo」側は執拗(しつよう)な誹謗中傷を受けたとして、「暇空茜」氏らと法廷で争っている。

暇空氏側が公開したのはNHK首都圏放送局の記者が作成した19枚の文書だ。1枚は企画書、残る18枚はかつて暇空氏とともに行動していたが、袂を分かった男性の証言である。匿名の取材ということだったが文書内には苗字や現在の職業の記載もあった。事態はすぐに動く。「暇空茜」に文書を提供したのはNHKでテロップ制作を担当していた派遣職員だったことが明らかになった。

当該職員はNHKの調査に対して、「興味本位でやった」と話している説明がなされていたが、暇空氏のアカウントの閲覧そのものはあったという。つまり問題の構図そのものは理解していたことが示唆される。「興味本位」はかなり幅があり、その動機の強さ――たとえば派遣職員が暇空氏の活動にどの程度共鳴していたかなど――を臆測で語ることはできない。

■メディアも一枚岩ではない

いまの時点で一つ指摘できるのは、2022年から現在に至るまで暇空氏の活動は訴訟を重ねても一定の支持者を獲得し、特にX上では定期的に話題にトレンドに上がってくることだ。

内側から見えるメディア企業は外から見るほど一枚岩ではない。社説がリベラルな新聞社でも同じ社内でも保守的な主張を持つ者もいれば、ものすごくリベラルな思考を持つ者もいる。その逆も然りで社論が保守的でもリベラルな記者もいる。

その中にあって、暇空氏の主張に惹かれるという関係者が出てくることも当然ながらありうる。ただし、これまでのメディア企業であれば表面的な主義・主張よりも最も優先される原則があった。それが取材源の秘匿だ。

どんな政治的な立場であっても、取材源が特定されるような内容を第三者に流すことがあれば当然ながら懲戒の対象だ。

「Colabo」をめぐる問題はSNSを中心に一定の関心を持たれてきたため、インターネット上で加熱して語られている。すぐにNHKがメモ流出の責任をとって、「Colabo」に謝罪に訪れれば公開された写真の構図や、「なぜ暇空氏に謝罪にいかないのか」といった議論にスライドした。

NHKが当該企画の取材先でもあった「Colabo」に流出の経過説明および、謝罪をすること自体はメディア企業の慣習に照らし合わせてもさほどおかしなことではない。事実関係の訂正をする際も、直接取材協力者や取材を受けた側に謝罪を求められれば責任者が対応をすることはよくあるからだ。

■問題の本質は「取材源の秘匿」にある

構図等々の問題は関心がある者同士で議論をしていけば十分なので、私から特に書くべきことはない。両者の法的な抗争もいずれ決着がつく。この一件をもって「Colabo」の活動を支持し続ける、もっと寄付をするという判断があってもいいし、写真がおかしいと思えば批判をすればいい(もっとも法的な意味で誹謗中傷にあたる言説は論外だが)。一連の問題について、マスメディアに携わる私にとって事の本質は極めてシンプルだ。

NHKのメモ管理の「効率の良さ」、そして取材源の秘匿という原則が踏み外されたことだ。

私がかつて所属していた新聞社の場合、企画案や取材メモの共有範囲はかなり絞られていた。現役記者だった頃、企画の取材班に入った場合は企画班のメンバー全員に社内メールでメモを送るというシンプルな方法が徹底されていた。

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高度な個人情報を扱う特ダネが絡む調査報道になれば取材源秘匿の原則が詳細な取材メモの作成以上に優先されてきた。ひとつ事例をあげよう。

私はある保守系大物議員および事務所関係者が、暴力団関係者が関わる企業に公的機関の融資を仲介したという疑惑を追いかけていた。この手の取材は「言った」「言わない」が鍵になるので、自分で確認するため、そして社内での説明用に詳細なメモを手元に残していたが、取材を統括する上司に報告する際は発言者を匿名にした上で、社内でメモを印刷してファイルに綴じた上で手渡すか、急ぎの場合はすぐに電話して連絡するに限っていた。ファイルの管理も徹底した。

■過去に責任を問われた「TBSビデオ流出問題」

他の記者チームが取材していた案件がいよいよ記事になるという最終段階になって、最後の裏どりが必要になったときだけいきなり記事の概要を聞かされ、証拠を持って相手の言い分を聞きにいく取材を命じられることも多々あった。

新聞社では基本的に隣の記者が何を追いかけ、何を取材しているのかもわからない。その日の編集会議で大型の特ダネが予告されたときに初めて知るというケースはよくあった。

同じ社内の記者同士なのに追いかけているネタや取材先がバッティングするケースもあったが、その「非効率」よりも取材源を特定されないようにすることの大切さが優先されていたように思う。

NHKのメモ流出はこれだけ赤裸々な取材メモが取材に直接関与していないスタッフにまで閲覧可能な状態で置かれていた。ここにマスメディア業界の変化を感じてしまう。

ここでよく比較に持ち出されるのはTBSが坂本堤弁護士らのインタビュービデオをオウム真理教関係者に見せた一件だ。TBSの番組プロデューサーら責任を持つ者が抗議活動に訪れた早川紀代秀元死刑囚らに見せたというものだが、文脈は大きく異なる。この一件については、江川紹子氏の検証記事に詳しく記されている。

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■取材の効率化にはリスクが伴う

坂本事件の実行犯の1人であり元死刑囚の早川紀代秀の証言によれば、TBSの番組プロデューサーらは教団関係者が出演する番組の構成を協議するなかで、自発的に坂本堤弁護士の取材ビデオを見せたとされている。

TBS側は「教団側が執拗に『見せてくれ』と迫ってきたので仕方なく見せた」と主張しており、早川元死刑囚の証言とは食い違いがある。だが、江川氏も指摘しているように、敵対している相手に取材内容を事前に見せることは取材倫理を逸脱している。取材した内容を教団との交渉材料に使ったTBSの責任は重い。

一方で、今回の件は番組のテロップ係のスタッフによる独断の取材メモの外部流出だ。NHKの責任も重いが、流出の経緯や文脈を考えれば両者を比較することが適しているかはやや疑問が残る。

より類似のケースが起きそうなのはどちらか、と問うてみれば明らかに後者だろう。NHKは巨大な組織であり、情報共有や取材のバッティングを避けるために効率が大切なのは否定しない。メモに閲覧制限をかけたり、パスワードや二重認証を求めたりすれば効率は犠牲になれど、ある程度問題は解決するだろう。企画書は概要のみ共有し、メモなど詳細な取材内容の把握は一部にとどめるのもいい。

だが、最も重要な問題は放置され続ける。新聞社で当時の私も含めて“非効率”を受けいれていた背景にあったもの。それは全員が同じ社内で記者教育を受けた正社員の記者であったこと。これである。

■問題の背後にある「社員と派遣の待遇格差」

基本的に日本の社員記者は恵まれた環境にいる。私も仕事に恵まれているといえば、恵まれているが基本的に独立した後に待っているのは成果を出せなければゼロ、成果を出して初めて報酬をいただける世界だ。

多くの社員記者は愚痴が先に出てくるが、成果が確約されていない領域にチャレンジできる権利は最初から認められているし失敗しても食いっぱぐれることはない。件の派遣職員がどのような境遇があったか。ニュースに携わっている記者と同等に必要な社内教育を受けていたのか。あるいは受けられるような状況にあったのか。

報道の世界にとって取材源の秘匿はもっとも重要な原則だが、それを取材に出ることもないテロップをつける派遣職員にまで無条件に理解させることができるのか。やはり難しいだろうとしか答えられない。

報道は専門職であり、通常の番組作りとは異なる原則を徹底しなければ事故が起こる。一度起こした事故は信頼に跳ね返ってくる。人件費というコストはそのための必要経費だ。責任の重さを理解し、職務に携わるヒトへの投資は欠かせない。相応の報酬とともに責任を負わせた上で、責任の重さを自覚させるのが筋だが、それを怠れば大きなツケを支払う。

■不祥事はなくならないが、やるべきことはある

NHKの報道現場も離職者が相次いでいるという報道も続き、取材経費の不正請求も公表された。職場環境として、ヒトへの投資よりも先に対応しなければいけないことが多いのだろうが問題は深刻だ。

石戸諭『東京ルポルタージュ 疫病とオリンピックの街で』(毎日新聞出版)

雇用形態が変われば、今回のようなメモ流出は防げるのだろうか?

悪意を持って問題を起こそうと決めた人物がいれば、その行動を100%防ぐのはどんな職場でも困難だ。新聞記者でも流出に手を染める記者が今後出てこないと断言することはできない。だが、そうした人物にジャーナリズムの倫理に則った説明と責任を負わせることはできる。取材源の秘匿を犯したメモ流出と天秤になるのは、懲戒処分と同時に「ジャーナリズムの基本原則」を踏みにじった記者という烙印(らくいん)だ。

いまのメディア業界にとって、NHKの流出騒動はひとごとではないはずだ。多くのスタッフが関わるほど、職業倫理の共有は難しくなる。倫理で縛れないのならば、非効率な方法に振るしかない。だが、それは経営事情が苦しい中で現場に負荷をかけることになる。そんな中であってもヒトへの投資を怠ってはいけないように思える。それがNHKの失態から得られる最高の教訓だ。

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石戸 諭(いしど・さとる)
記者/ノンフィクションライター
1984年、東京都生まれ。立命館大学卒業後、毎日新聞社に入社。2016年、BuzzFeed Japanに移籍。2018年に独立し、フリーランスのノンフィクションライターとして雑誌・ウェブ媒体に寄稿。2020年、「ニューズウィーク日本版」の特集「百田尚樹現象」にて第26回「編集者が選ぶ雑誌ジャーナリズム賞」作品賞を受賞した。2021年、「『自粛警察』の正体」(「文藝春秋」)で、第1回PEP ジャーナリズム大賞を受賞。著書に『リスクと生きる、死者と生きる』(亜紀書房)、『ルポ 百田尚樹現象』(小学館)『ニュースの未来』(光文社)『視えない線を歩く』(講談社)がある。
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(記者/ノンフィクションライター 石戸 諭)