◆これまでのあらすじ

長年交際していた顔だけのダメ男と別れたばかりの杏奈。高校時代の同級生が集まるパーティーで、現在経営者の高濱と再会する。しかし、10年間同じ男との交際に甘んじていた自分は、もはや恋愛初心者。恋愛の仕方をすっかり忘れている現実を目の当たりにしたのだった。

▶前回:女は、口説かれる気満々で行った2軒目のバーなのに…。男のアプローチが失速した理由




Vol.3 練習台の男


帝国ホテルでのパーティーから3日後。

杏奈は仕事終わりに、職場近くにある表参道の『CICADA』に麻沙美を呼び出した。

あのとき再会した高濱との関係について、共通の知人である麻沙美にアドバイスをもらうためだ。

「うーん…今の杏奈ってさ、年齢の割に恋愛偏差値は30って所なんだよね」

延々と続く杏奈の低レベルな恋バナを聞き終えた後、麻沙美は大きなため息をついた。

「ヒドイ。私、大学受験の時の偏差値は63だったのよ。麻沙美は確か59とかじゃなかった?それなのに…」

カチンときた杏奈はそう反論するものの、麻沙美は攻撃の手をゆるめない。

「はいはい。そうやって、相手の揚げ足取りつつ結局自分アゲに持っていこうとするところも、恋愛偏差値を下げている要因だよね。中身の割にプライドが高いというか」

「うっ…」

麻沙美の口が悪いところは、高校時代から変わっていなかった。

ただ、苛立ちは覚えるものの、その失礼さは逆に新鮮でもある。

実は、こうやってはっきりと言ってくれる人と対等に話すことは、杏奈にとって久しぶりなのだ。

周囲が大人だからなのか、それとも言いづらい雰囲気を自分が作っていたからなのか…恐らく、そのどちらもなのだろう。

高校を卒業してから29歳になる今まで、ずっとお姫様キャラでやってきたのだから。

― もしかして、私が直人と付き合っているときも、誰も「彼はダメ男だ」って指摘できなかったのかもしれないな…。

「とにかく、脈があるかないかとか占いの結果とかは置いといて、デートに誘ってグイグイ距離を詰めてみれば?まずは行動だよ」

話を切り替え、麻沙美は前向きなアドバイスをする。だが、杏奈の表情は暗いままだった。

「でも、高濱くんからはお礼メールの返信ないのよね」

「じゃあ、彼の経営するお店にこれから行く?」

「でも、サービス目当てでガツガツしていると思われるのも下品よ」

「いいじゃない、そう思われても」

「でも、私は彼にとって憧れの人なのよ。イメージを崩したくない…」

すると、呆れたように彼女は両手を広げて天を見上げた。

「…何を言っても、でもでもなのね。行動を起こさない言い訳ばかり」

確かにその通りだった。


「…」

「そ…そんな落ち込まないでよ。私が悪いみたいじゃない」

杏奈が何も言い返せずに黙ってしまうと、麻沙美は急に慌てだした。言い過ぎたことを、悪いと思ったのだろう。

麻沙美が口が悪いけれど心根は優しい性格だということを、杏奈は十分わかっている。だからこそ高校時代の3年間を、一緒に過ごすことができた。

高校卒業後は直人をはじめ、自分を甘やかしてくれるような人としか一緒にいなかった。

だからこそ今の自分には、麻沙美のような人からの厳しい指摘を受け入れることが必要なのだ。

「…大丈夫。むしろ、もっと言って。本気で素敵な恋人が欲しいから!今まで私、甘えてたの」

膝の上で握りしめた拳は固い。それを見た麻沙美の表情は和んだ。

「それなら遠慮なく言うけど、杏奈にはまず、経験値を積むことが必要かな。それと並行して、基礎も学んでいかないとね」

麻沙美は現在フリーの教育系コンサルタントをしているが、タンクと結婚する前は、学習塾の人気講師として活躍していた。そのせいか、まるで生徒に教えるような口ぶりで杏奈を諭す。

「どうやって…?」

「まぁ、とにかく、私の本棚にある恋愛マニュアル本をあげるから一通り読んでよ。役に立たない独自理論は多々あれど、駆け引きの基礎は学べると思う。それから、男子からのLINEには、練習だと思って返信すること。それ以前に、まず人としての礼儀だから」

杏奈は大きく頷いた。




帰りのタクシーで杏奈は早速、溜まっていたメッセージの返信処理に入った。

男ウケしそうな可愛い口調をコピペするなど、心を無にして作業をしていると、ある人物から速攻でレスが返ってくる。

『返信ありがとう、杏奈さん!実は無視されたのかと思ってたよ。もし来週、時間あったら食事でもしない?連れて行ってあげたい店があるんだ』

まっすぐな好意を感じる文体に好感を持った。

― 彼こそ、高濱くんとの恋の練習台として、デートするのにピッタリの相手かもしれない。

だが、“ひろたん”という表示名にはピンとこなかった。

アイコンは、グランドキャニオン辺りの赤土大地に大の字で立つ男だ。拡大しても、蟻のような小ささで、顔の判別がつかない。

「まぁ、いいか。下手な先入観が入るよりはね」

海外の恋愛ドラマで見たブラインドデートなるものや、お見合いやアプリでの出会いのようで、ドキドキ感がある。知っている人のはずなのに。

お断りするのにも精神力がいることもあり、そのまま彼とLINEを続け、とんとん拍子に翌週銀座で会うことになった。






ウィークデー、仕事帰りの午後7時。

期待と不安を、「これは練習なんだから気楽に!」という言い訳で中和しながら、杏奈は約束の店へ向かった。

― 欲を言えば、どこかで待ち合わせて、一緒に店に入りたかったけど…。

指定されたのは、路地裏にひっそりと佇む隠れ家風のお鮨屋さんだ。足を踏み入れるのに躊躇するような、敷居の高いお店だった。

けれど、その扉を開け、スタッフに席まで案内された時。杏奈はようやく気がついた。

「杏奈さん、待ってたよ」

カウンター席に腰掛け、ニッコリ笑うその男。

現在は外資系金融機関に勤務しているという“ひろたん”の正体は、高校時代は落語研究会に所属していた足立浩之だ。

そしてそれと同時に、彼が外で待ち合わせをしなかった理由をはっきりと理解した。


― なんか彼、足が…プラプラしてない?

店のカウンターはミドルカウンター。椅子の高さは65cm程度だろう。それなのに、足立の足は床についていない。他の男性客の足はちゃんと床についているため、足立の様子は余計目についてしまった。

高校時代は座席も整列の時も、一番前だった足立。

当時は全く話したことがなかった。というより、目に入らない存在だった、というほうが正しいだろう。パーティーの時の記憶もほとんど残っていなかった。

席に着くと、座高は杏奈が足立を見上げる形になった。その途端、足立が優越感を含んだほほえみを向ける。その笑顔に杏奈はまず最初の引っかかりをおぼえた。

「親方、いつものおまかせをお願いします」

足立は見せつけるように鮨の注文をすると、おもむろにお酒のメニューを開き、杏奈に日本酒を勧める。

「私…ノンアルでお願いできますか?」

「え、この店は珍しい日本酒も多いから一緒に楽しもうと思ったのに」

「いや、だけど…」

いける口である杏奈だが、テンションが下がって、呑む気分になれなかったのが正直なところだ。

執拗に酒を勧める足立に「家で仕事が残っている」という言い訳を貫くと、ノンアルコールのシャンパンで事なきを得た。




ミシュランに選定されたという店なだけあって、確かに料理は絶品だった。

お鮨はもとより、突き出しのスープや小鉢、巻物、デザートに至るまで、休むことなく杏奈の舌を唸らせる。

しかし、何かが足りない。その理由は、料理にあるわけではなかった。

「で、この前ニューヨークに出張に行った際に…」

「なるほど。ところで、このボタン海老、本当に美味しいですね」

「だろ。うちの会社の経営陣も…あ、勿論アメリカの人なんだけど、皆この店お気に入りでさ、日本に来るたびに連れて行かされるんだよね。俺の仕事は…」

自分を大きく見せるため、なのだろうか。どこか自慢やアピールが見え隠れする足立の話には、楽しさのかけらもない。

それは、美味しいお鮨を堪能するのにふさわしいとは到底言えない、不愉快な会話だったのだ。




「ごちそうさまでした」

食事を終えた杏奈は、店の前で足立の目線になって頭を下げ、にっこりとほほ笑む。

「いえいえ、こちらこそ食事に付き合ってくれてありがとう。君のこと、よく知ることができてよかった」

ついに上がりきらなかったテンションが、一層下がるのを感じた。

たった1、2時間程度一緒に食事をしただけで、相手を“よく知る”ことなんてできるのだろうか?足立との感覚の違いが、くっきりと浮き彫りになったような気分だ。

そもそもが本命・高濱との恋愛の練習としてのデートだったのだ。乗り気になれなくても、ある意味当然と言える。

― これ以上この人と会うことは、無いかな…。あんまり期待させても悪いし。

そう考えた杏奈は、心の中で2回目のデートに誘われた時の断り文句を探しながら、何気なく言葉をこぼす。

「え?私の、どんなことが分かったんですか?」

しかし次の瞬間。半笑いの足立のの口からこぼれ出た言葉に、杏奈は耳を疑った。

「美人って、話すとつまらないんだなってことが、だよ」

「え…?」

杏奈はその言葉の意味を考える。

けれど、答えを出す間もなく、逃げるような素早さで足立は右手を上げた。

「じゃあ。君はこれから仕事なんだよね。さよなら〜」

止まったタクシーに乗って去っていく足立。杏奈は呆然としながらテールランプを見送った。

― ん?これって、私が振られたってこと…?

少し遅れて、信じられないほどの衝撃に襲われる。

今の今まで、“自分はいつだって振る側の人間だ”と思い込んでいた杏奈は、初めて味わう屈辱感に震えたのだった。

▶前回:女は、口説かれる気満々で行った2軒目のバーなのに…。男のアプローチが失速した理由

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