◆これまでのあらすじ
38歳の真弓は、生涯独身を覚悟して手に入れた自宅マンションを気に入っていた。しかし、友人の紹介で出会った40歳の雄介と結婚。子どもが欲しくなり、今の家に住み続けるか迷う真弓だが…。

▶前回:「実は、私…」カルティエで指輪を選び、入籍の日も決まったけど。女には“秘密”があって…




Vol.3 私の家、いくらで売れる?


とある休日の昼下がり。友人のミズホと予定が合ったので、私は彼女と軽くお茶することにした。

「しばらくぶりだね〜。あっというまに入籍3ヶ月か。どうよ、新婚生活は?」

「そうね…とりあえずは順調、ってトコかな。でも…」

「『でも』って?なにかあったの?」

入籍・雄介の引っ越しと妊活などでバタバタしていて、しばらく彼女に会えていなかった。

ミズホが開いてくれた会で雄介と知り合えたから、お礼もかねて入籍前に3人で食事したのが前回。今日はそれ以来に会う。

私は、妊活をしていることや、そのために今の家に住み続けることに不安があることを素直に彼女に話した。

「雄介は、『どうにかなる』とか『子どもができてから考えればいい』の一点張りで。たしかにそれも一理あるんだけど…」

「彼も真弓の家への引っ越しが終わって落ち着いたところだもんね。そんなバタバタ動きたくないっていうのも、わかるけど」

― たしかにミズホの言うとおりかも…自分が雄介の立場だったら、「また引っ越し?勘弁して」って思っちゃうかな。

ミズホの言葉に、雄介の感情に寄り添うことも必要だと気づかされる。「そうだよね。やっぱり子どもができてから悩もうかな」と言いかけた、その時。

「とはいえ、また次の家も購入して住むつもりなら、早いうちに住み替えた方がいいんじゃない?年齢重ねるとローンも組みづらくなっちゃうし。高齢出産でいつ授かるかわからないなら、なおさら早いうちに手を打っておいてもいいかも」

この言葉で、また私の中で気持ちが揺らぐ。


「それに、若い時にローンを組んだ方が条件も有利だしね。最近だと“超長期ローン”の商品も出てきてるじゃない?」

ミズホの言う“超長期ローン”とは、40年や50年などの長い年数で組める住宅ローンだ。

これまで住宅ローンは最大35年の商品が主流だったが、近年、一部の銀行では35年を超える年数の商品を打ち出している。融資期間を延ばすことで、月々の支払コストを抑える仕組みだ。




しかし、そのような商品には制限もある。

いつでも最大50年でローンを引けるわけではなく、“80歳になるまでの期間”などの条件があるケースが多い。

たとえば、30歳で契約すれば最大50年間のローンを引くことができる。でも、40歳だとそれが40年に減少する。

つまり、早く借りれば借りるほど、長く借りることができるのだ。

「正直、80歳まで住宅ローンを払い続けていたくはないけどね…」

「でも、月々の支払コストが減れば、浮いたお金を他の金融商品への投資に回せるよね。それで資産を増やしておけば、必要な時に繰り上げ返済もできるはずだし」

「そうだね。ちょうど新NISAで非課税枠も増えたことだし、余剰資金は若いうちに投資して、将来に備えたいなと思ってた」

思えば、20代で購入した米国株の投資信託は、毎月数万円を何年も継続して買ううちに、複利効果でどんどん増えていった。そのおかげで、今の家の頭金もしっかりと用意することができたのだ。

― 投資は、若いうちに始めて時間を味方につけた方が、低リスクで資産を増やせるんだよね…。

話せば話すほど、できるだけ早めに家を売却し、住み替えた方が良い気がしてくる。雄介の気持ちを考えると申し訳ないけれど、今から準備を始めても良いのかもしれない。

「売却査定だけでも取ってみたら?知り合いの業者、紹介するよ」

ミズホの言葉に甘えて、不動産業者の連絡先を教えてもらうことにし、その日は帰路についたのだった。




「雄介。週末、不動産業者さんにこの家の査定に来てもらうことにしたから」

「ええっ。もう家を売るって決めちゃったの?」

ミズホに紹介してもらった業者と連絡を取り合い、査定の日時を決めた。

そのことを雄介に話すと、案の定、驚きと落胆の混じった声を上げられる。

「まだ決めたわけじゃないよ。お互いの生活もあるし…。まずはどのくらいの金額で売れるのか、査定を取るだけでもやってみようかなって」

「なるほどね。今現在の価値は知っておいて損はないよな」

少し言葉を選びながら雄介に説明すると、彼は納得してくれた。

結局のところ、この家は私が買った私の資産であるという分別が彼にはある。必要以上に強い主張をしてこないことに、今はありがたさを感じた。

「そうと決まれば、部屋をきれいに片付けないとね!」

「ええっ。“購入者”じゃなくて“業者”の内覧なのに、そんなに力を入れなくちゃいけないの?」

「そりゃそうよ。できるだけ良い印象を持たせて、『売れる』って思ってもらわないといけないもの」

得意げに雄介に説明したが、これもミズホの受け売りだ。

不動産業者に好印象を持たせ、「この家は自信を持って顧客に紹介できる」と思ってもらうことは、とても大切らしい。

それが結果的に、高い金額とスピード感のある取引につながっていくという。

「色々やらなきゃいけないことが多くて、大変だなぁ」

ブツブツ言っている雄介をなだめつつ、私たちは週末に向けて準備を進めた。




家中を磨き上げて、塵ひとつない状態で迎えた査定内覧の日。雄介は休日出勤で朝から出かけていたので、私1人で対応することになった。

「お邪魔いたします。本日はよろしくお願いいたします」

新堂と名乗る不動産業者の男は、最近Instagramの広告でよく出てくる、リノベーションに強い会社の営業担当だという。

ミズホも以前に自宅のリノベーションを任せたらしい。「最近は売買仲介事業にも力を入れてるらしいよ」ということで、期待十分で迎え入れた。

「いいですね、このお部屋。壁紙や建具、巾木も白で統一されてるから、部屋全体が明るく広く感じますね。ヘリンボーンの床も素敵ですね。キッチンも最近取り換えてますか?」

新堂さんは、手元のiPadに色々と書き込んだり写真を撮ったりしながら、家の中を次々とチェックしていく。




「この吹き抜けもすごい!高さ5m以上はありますよね」

「ええ。シーリングファンもついてるので、空調効率は思ったほど悪くないですし。この窓のおかげで家の中が夕方まで明るいので、すごく気に入ってるんです」

「築35年以上とは思えない、オシャレな雰囲気ですね」

こだわりの家をたくさん褒められて、悪い気はしない。それに、「そんなに褒めてもらえるなら、良い価格ですぐ売れるのかも!?」とつい期待もしてしまう。

一通り確認を終えると、新堂さんはにっこりと微笑んだ。

「一度自社に持ち帰って検討したいと思いますが、この状態なら良い条件をお出しできるかと思います。この辺りの相場は直近2、3年で20%程度上がっていますから」

「本当ですか!ありがとうございます」

「3つのプランに分けてご提案いたします。相場より少し安い価格で早期売却を目指すプランと、相場相応の価格。それから、時間をかけてでも高値で売却を目指すための、チャレンジプライスとなります」

新堂さんによると、不動産の売却査定は3つのパターンに分けて価格提案をするのが通常だという。

売却理由や今後の住み替え計画にあわせて、売却活動期間に最適な価格設定を行うのが狙いだそうだ。

「早期売却プランについては、弊社での買取りもご提案させていただきます。社内査定に1週間程度お時間をいただきますので、来週末にまた打ち合わせさせてください」

「承知しました。よろしくお願いいたします!」

「もしかしたら誰にも買ってもらえないかも」とどこかで不安に思っていたから、新堂さんの会社での買い取りも提案してもらえるのは頼もしく、安心した気持ちになった。

― 相場が20%程度上がっているなら、価格はかなり期待できそうよね。

次の家の頭金や引っ越し費用のために、まとまったお金を確保したい。不妊治療にも何かとお金がかかるだろう。できるなら、高く売却できるに越したことはない。

私は、ほんの少しの不安を抱えながらも、期待9割といった心持ちで、新堂さんを見送った。




それから1週間後。

日曜の昼下がり、新堂さんがもう一度我が家を訪れていた。しかし、その表情は先週と違って少し硬かった。

「すみません。社内協議したのですが、思ったよりも価格が伸びず…」

申し訳なさそうに、鞄の中から取り出した資料を机に広げる。

私が購入した時の価格は7,000万円。

対して、新堂さんが持ってきた提案は、早期売却プランで6,200万円、通常プランで7,300万円、チャレンジプランで7,700万円というものだった。

「先日、『相場が20%上がっている』とおっしゃっていたので、少し期待したのですが…」

正直、落胆の気持ちを隠せなかった。

通常プランの7,300万円でも、買った時の価格に対して5%も伸びていない。

― 7,000万円でこの家を買った時、割安価格で買えたと思ってたんだよね。だから正直、『30%くらい価格伸びるかも』ってどこかで欲張る気持ちがあったかも…。

私の気持ちを察したのか、新堂さんが重々しい調子で口を開く。

「こちらのお宅の価格が伸びない“ある理由”がございまして…」

― なんだろう、何かこの家に悪いところでもあるのかな…?

緊張しつつ、彼の次の言葉を待った。

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