さようなら広島ビッグアーチ 37歳の青山敏弘は1カ月前から起用を告げられ「本当に涙が出ました」
サッカー専門誌時代に自ら望んでサンフレッチェ広島番に名乗りを上げたのは、2006年のことだった。しかし初めてのホームゲーム取材で、立候補したことを早々に後悔することになる。
「ビ、ビッグアーチよ、なんて、遠いんだ......」
その日は自宅から電車で羽田空港まで行き、飛行機に搭乗。1時間ほどで広島空港に降り立つと、高速バスで広島駅へと向かった。そこから電車とアストラムライン(モノレールのような電車)を乗り継いで、スタジアムに辿り着いた時にはもうへとへとだった。
ビッグアーチ最後のピッチに立つ青山敏弘 photo by Getty Images
広島ビッグアーチ(エディオンスタジアム広島)はアウェーサポーターにとって、最も行きづらいスタジアムのひとつだろう。市街地からも広島空港からも遠く、クルマでもないかぎりはなかなか辿りつけない。
何度か通ううちに、空港からレンタカーを走らせるのがラクだと気づいたが、気をつけなければいけないのが渋滞だ。最寄りの五日市インターの出口付近から渋滞が始まり、スタジアム目前で遅々として進まなくなる。
そのためキックオフ時間に間に合わないことも、実は何度かあった。最終的には広島空港→高速バス→広島駅→タクシー(広島高速)が個人的な最適ルートとなったが、2週間に一度のペースで東京から通うには、あまりにも過酷な道のりだった(クラブハウスに行く時はさらに過酷だけども)。
ナイトゲームのあとはスタジアム周辺が真っ暗になるのも、ビッグアーチの洗礼だ。ある日、迎えのタクシーに乗り込むと、運転手は何を思ったか、暗闇のなか、車道ではなく歩道のほうに走り出し、クルマごと階段から落ちるという悲劇を味わった。
また3万5000人超とキャパが大きいので客席には空席が目立ち、トラックがあるのでピッチは遠く、臨場感を味わいづらいのも、ビッグアーチのネガティブなポイントだ。
でも、そんな仕打ちを受けながらも心が折れなかったのは、そこで見られるサッカーがとても魅力的だったからだ。
【誰よりもこのスタジアムに思い入れを持つ男】2006年、小野剛監督のあとを引き継いだミハイロ・ペトロヴィッチ監督のサッカーに出会えなければ、9年間も広島番を務めることはなかったはずだ。リスクも恐れぬ攻撃スタイルは、スリリングである一方で多くの歓喜を生み出すエンターテイメントだった。
佐藤寿人に森粼和幸・浩司兄弟といった実力者が存在し、青山敏弘、柏木陽介、槙野智章ら若手がミシャの下で台頭。広島の新時代の到来を予感させた。ペトロヴィッチ監督は志半ばでチームを去ったものの、あとを引き継いだ森保一監督の下で2012年に初優勝を成し遂げたのも、この地だった。
1993年のJリーグ開幕時から、ビッグアーチは広島のホームであり続けた。しかし、サッカー専用の新スタジアムの完成を機に、今年いっぱいでその役割を終えることになる。11月25日に開催されたガンバ大阪戦は、ビッグアーチでの最後の試合だった。
「このスタジアムっていい思い出だけじゃなくて、やっぱり、苦い記憶もあった場所でしたからね」
森粼ツインズの弟、浩司は感慨深げに振り返った。
初優勝を果たした2012年、G大阪とのチャンピオンシップを制した2015年には大きな歓喜に包まれた。だが、それ以前は優勝争いになかなか絡むことができず、敗戦の記憶のほうが強く刻まれているかもしれない。
なかでも屈辱だったのは、2007年のこと。京都サンガFCとの入れ替え戦に敗れ、2度目のJ2降格を余儀なくされた。
この瞬間を、松葉杖をつきながら迎えた青山にとっても、ビッグアーチは特別な箱だ。歓喜と悲劇の両方を知る在籍20年目の生え抜きは、誰よりもこのスタジアムに思い入れを持つ男であるはずだ。
そんな青山だが、ミヒャエル・スキッベ監督が就任した昨季から出番を減らし、今季はわずかに4試合しか出場していなかった。しかし、ビッグアーチでのラストマッチでは今季初のスタメンに抜擢されている。
【青山は最後のビッグアーチで不死鳥のように蘇った】実は1カ月前から、この起用は指揮官から告げられていたという。
「もうその時は、本当に涙が出ましたね。やっぱり、期待に応えなきゃいけないっていう想いが強かったです。この1カ月で自分に何ができるか。この試合までにどれだけコンディションを高めていけるかっていうところにフォーカスしてやってきました」
見慣れたキャプテンマークをつけた37歳のボランチは、この1カ月の準備を見事にピッチ上で表現した。球際で戦い、巧みな配球を見せ、積極的にシュートも放った。73分に交代するまで躍動感あふれるパフォーマンスを保ち、3-0の勝利に貢献している。
それは既視感のある光景だった。2012年に初優勝を決めたセレッソ大阪戦でも、青山はこうだった。ピッチを縦横無尽に走ってチームに活力をもたらし、自らゴールを奪う活躍で優勝に導いた試合である。
「僕もそう感じていました。当時の動画を見ると、こんなに走ってたんだって思うんですけど、今日も走りながら、このままいけるわって感じになって。そうさせてもらえる雰囲気だったんですよ。
あの時もそうだったんです。ああ、こんな雰囲気だったっていうのが試合中にフラッシュバックしましたね」
ビッグアーチでのラストマッチには、3万人近くの大観衆が詰めかけていた。C大阪戦にはわずかに及ばなかったとはいえ、スタジアムの雰囲気は決して遜色なかった。あの初優勝の熱気が、再びビッグアーチに戻ってきたかのようだった。
「37歳になって、こんな経験をさせてもらうとはね。本当にありがたいですよ。これからまたどんな経験あるかわからないし、自分がどういう立ち位置になっているかはわからないけど、来年は新スタジアムに立つという目標を今日、新たにこの場、 この瞬間に宣言させてもらいます」
試合前は不安もあったと語る青山だが、最後のビッグアーチで、不死鳥のように蘇った。そして新たな目標を掲げたバンディエラは、来季も戦う覚悟を示した。
【いいことも、悪いことも、たとえ遠くても...】この日は、今季かぎりでの引退を表明している林卓人のラストマッチでもあった。日本代表にまで上り詰めた大迫敬介に代わって83分からピッチに立つと、無失点で切り抜けて勝利にしっかりと貢献。試合後のセレモニーでは背番号1を大迫に継承し、感動的なフィナーレを迎えた。
翌日、広島市内を散策し、待望のサッカー専用スタジアムを訪れた。まだ工事中ではあるものの、市内の中心部からもほど近い好立地にある「エディオンピースウイング広島」の外観を眺めながら思い起こされたのは、昨夜に聞いた青山の言葉だ。
「まだ何もできなかった時から、ちょっとずつ成長させてもらって。ケガも多かったけど、実力も、自信もつけて、優勝もさせてもらった。本当にたくさんこのピッチに立たせてもらったし、ここには自分の物語が詰まっている。
今日もまた新しい1ページが刻まれたと思うし、そんな選手は気づけば自分だけだなって。そんな特別な瞬間に立ち会わせていただいて感謝です」
青山だけではないだろう。ビッグアーチには広島の歴史のすべてが詰まっている。いいことも、悪いことも、たとえ遠くても、どんなに見づらくても......。
そして目の前に見えるこの綺麗なスタジアムで、広島の新たな歴史が刻まれていくのだろう。