2023年は、移籍した選手の活躍が例年より多かった気がする。FA移籍組では、近藤健介(日本ハム→ソフトバンク)が本塁打王と打点王の二冠を達成し、森友哉(西武→オリックス)は主砲としてリーグ3連覇の原動力となった。

 FA移籍以外でも、近藤の人的補償として日本ハムに移った田中正義はクローザーとして25セーブを挙げた。

 そして昨年は現役ドラフトが導入され、大竹耕太郎(ソフトバンク→阪神)が12勝、細川成也(DeNA→中日)は24本塁打と大ブレイク。ふたりは現役ドラフトの成功例としてたびたびクローズアップされた。

 だが、光があれば影もある。11月15日、12球団合同トライアウトに臨んだ張奕、成田翔のふたりは、いずれも移籍してから1年という早さで戦力外通告を受けた。マウンドで懸命に腕を振る彼らの胸中には、どんな思いがあったのだろうか。


人的補償によりオリックスから西武に移籍した張奕だったが、1年で戦力外となった photo by Murakami Shogo

【育成契約はあるかなと...】

 フォアボールを出した時のしかめ面とは裏腹に、張奕はどこかスッキリした表情で取材エリアに顔を出した。額にはまだ汗の粒が光っていた。

「いやー、無事に投げられてよかったです。とりあえず投げられることを一番の目標に、この1カ月やってきたので。結果はよくないですけど、自分のやってきたことをしっかり出せたかなと思っています」

 打者3人に対し2四球、1奪三振という結果以上に、マウンドで投げることができた喜びを語った張は、移籍してからたった1年で戦力外となった。

 張は台湾出身ながら日本の高校、大学を経て2016年に育成ドラフト1位でオリックスに入団した。当初は外野手登録だったが19年に投手に転向。同年に初勝利を挙げると、22年にはキャリアハイとなる15試合に登板した。

 ところが2022年オフ、森のFA移籍に伴う人的補償としてオリックスから西武に移籍。新天地で活躍を期す張だったが、23年2月に右肩の炎症によりキャンプはB班スタートとなった。3月から開幕するWBCの台湾代表にもメンバー入りしていたが、このケガにより出場辞退となってしまう。

 それでも4月12日のロッテ戦で移籍後初登板を果たすと、最速149キロをマークするなど1回を無失点。同23日には京セラドームでのオリックス戦にも登板し、中川圭太、森、杉本裕太郎のクリーンアップを三者凡退に抑える好投を見せた。

 だがその後は2試合続けて失点し、5月3日に登録抹消される。結局、今季は5試合の登板に終わり、10月に非情な宣告が下された。

「本当に肩をずっと故障したままで......悔いばかりでした」

 西武での1年はどんな時間だったかを問うと、言葉を選びながらそう答えた。約半年、実戦から離れ、ブルペン投球を再開したのもシーズン終盤だった。トライアウトでの登板後に、口をついて出たのが無事に投げられた喜びだったことも頷ける。

 ただケガという事情があったとはいえ、移籍1年目での戦力外通告というのは、少し早すぎるようにも思う。正直、もっとチャンスがほしかったか? それとも仕方ないと自分でも思うか? あえてストレートに質問をぶつけると、こんな答えが返ってきた。

「本当は、自分のなかでは『育成(契約)はあるかな......』とは思っていました。それが(実際には)なかったので、『そうですかぁ......』みたいな」

 張は苦笑いを浮かべて、こう続けた。

「この1カ月間ずっと練習して、本当に西武のスタッフさんにも関係者の方にもお世話になって、球場も使わせてくれて......もう感謝の気持ちしかないです」

 古巣への感謝の気持ちを張は強調したが、やはり与えられた時間の少なさは否定しなかった。

【現役ドラフト1期生は6人が戦力外に】

 張とはルートが違えど、移籍1年目にしてトライアウトに参加した選手はまだいる。成田翔もそのひとりだ。成田は昨年"現役ドラフト1期生"として、ロッテからヤクルトに移籍した。

 現役ドラフトは、出場機会に恵まれない選手の活性化を目的として導入されたシステムだ。年俸や契約年数、FA権の有無などに制限を設け、とくに若手やレギュラーをつかめずにいる選手が対象になりやすい。前述したように、大竹や細川はこの現役ドラフトで人生が変わった選手だ。


昨年末の現役ドラフトでロッテからヤクルトに移籍した成田翔 photo by Murakami Shogo

 その一方で、現役ドラフト後も出場機会を増やすことができなかった選手や、逆に減らした選手もいた。現役ドラフトにより12人の選手が移籍を果たしたが、成田のほかにも笠原祥太郎(中日→DeNA)や古川侑利(日本ハム→ソフトバンク)など、6人が移籍後わずか1年で戦力外通告を受けた。

 成田は2015年、秋田商からドラフト3位でロッテに入団。17年に一軍デビューを果たすも、ロッテ時代の一軍登板は15試合にとどまっていた。それでもファームでは22年にチームトップの46試合に登板して3勝0敗1セーブ、防御率2.27と安定した成績を残していた。

「もしかしたら自分かな......という気持ちはなんとなくありました」

 そんな本人の予感どおり、成田は現役ドラフトでヤクルトに指名された。移籍が決まった時は「やるしかない。その気持ちしかなかった」と闘志を燃やしたが、与えられた時間は少なかった。

 移籍後初登板は、4月25日のDeNA戦。成田にとって2年ぶりの一軍マウンドだった。先発のサイスニードが5回に崩れ、ツーアウトからの登板になった。成田は死球を2つ出したが、佐野恵太や牧秀悟らを封じて、1回1/3を無安打、無失点に抑えた。

 同28日には神宮球場での阪神戦で登板し、二死一、三塁のピンチを招きながらも無失点で1イニングを切り抜けた。だが、翌29日の同じカードで運命は暗転する。

 阪神の上位打線と対峙した成田だったが、3本の長短打にミスも絡んで2失点。試合の大勢は決したなかでの2失点だったが、これが成田にとってヤクルトでの最後のマウンドとなった。

 トライアウト当日、成田は打者3人と対戦してキャッチャーフライ、ピッチャーゴロ、セカンドゴロと三者凡退。シュート、スライダー、チェンジアップを織り交ぜてテンポのいい投球をアピールしていた。

「戦力外になってから期間は空いたんですけど、試合感覚があんまりないなかで、ある程度いつもの打たせてとるピッチングができたんで......緊張感もなく、自分のなかではシーズン同様のメンタルとプレーだったかなと思います」

 成田はまっすぐ記者を見つめながら答えた。表情は緩まないが、やりきったという気持ちは言葉の随所に滲み出ていた。

【もうちょっとチャンスはほしかった】

 状態は悪くない。ならば、なぜたった1年で厳しい現実と直面せざるを得なかったのか。移籍から1年での戦力外を成田はどうとらえたのだろうか。

「まあ、実力の世界ではあるので。(戦力外通告に)ちょっとびっくりさせられた感じはあったんですけど、実力だからしょうがないなと。もう次に切り替えるしかないと思いました」

 そして一番気になっていたことをぶつけてみる。現役ドラフト1期生として、選手目線で制度そのものに思うことは何なのか。成田は小さく「選手目線で......」とつぶやいたあと、こう答えた。

「もうちょっとチャンスはほしかったなと。それも勝負の世界なので、しょうがないですが......」

 張と同じく、プロらしく割りきっていたが、それでも「チャンスはもうちょっとほしかった」というのは偽らざる本音だろう。

 成田が口にしたように、プロ野球は勝負の世界だ。与えられる時間もまた、人によって異なることも仕方のないことだ。ただ、張と成田のふたりに共通するのは、人的補償や現役ドラフトといった制度によって、自らの意思とは別にチームを移ったということだ。とくに現役ドラフトに関しては、もともとは埋もれている選手に活躍の場を与えるという趣旨で導入が決まった。成田をはじめ6人の現役ドラフト1期生が、わずか1年で戦力外通告になったという事実は、その趣旨に照らしてみると残念な結果と言わざるを得ない。

 選手の流動性を高めることは、野球界にとってプラスな要素も多々ある。ただ、今回のようなケースが発生していては本末転倒なのではないか──そんな疑問は拭えない。人的補償でも現役ドラフトでも、あるいは今後、新たな移籍システムが導入されることがあったとしても、もう少しケアするべきものもあるのではないか。

 張と成田のふたりは今、ただオファーを待つのみだ。