U−22日本代表がアルゼンチンに大勝も露呈した日本サッカーの構造的問題 大岩ジャパンに期待すること
アルゼンチンに5−2で勝利を飾ったとなれば、普通は喜ぶものだ。ネットニュースの見出しを見ていると実際、はしゃぐような見出しが目に留まるが、当の大岩剛U−22日本代表監督は試合後、「試合には勝ったが、満足していない」と語った。本心だと考えたい。
親善試合を分析しようとした場合、90分間、1試合を通しで考えないほうがいい。試合の途中から両監督とも意図的にメンバーを崩して戦おうとするからだ。
崩し方(交代の仕方)として、勝利を一番の目的にすることもあれば、コンディションを最優先し、出場時間の管理が一番になる場合もある。はるばるやってきたアウェーのアルゼンチンが、後者に基づき交代カードを切った可能性は十分に考えられる。
両軍監督の試合後のコメントを総合すれば、試合の流れが変わったのは後半20分すぎからとなる。後半21分、鈴木唯人の2−2とする同点弾が決まるまで、ペースを握っていたのはアルゼンチンだった。
流れを一変させた鈴木の左足シュートに価値があるのは確かだが、そこから先は親善試合"あるある"と考えるべきだと筆者は見る。真のガチンコ対決を後半20分までと捉えればアルゼンチンの強さは際立った。
U−22アルゼンチン代表に5−2で勝利したU−22日本代表 photo by Fujita Masato
両軍には明らかな差があった。IAIスタジアム日本平の視角、眺望に優れたスタンドから俯瞰で全体図を眺めたとき、見えてきた差はパスワークの質だ。アルゼンチンのパスワークは日本のパスワークより安定していた。洒脱な高級感があった。日本のパスワークが光った瞬間もあるが、トータルで言えば1ランクの差があった。アルゼンチンがベスト4なら日本はベスト8止まり。アルゼンチンが優勝なら日本はベスト4という意味での1ランク差。だから決して絶望的な差ではない。だがその壁を越えないと、強豪の仲間入りはできない。パスワーク自慢の国にはなれない。
日本のパスワークが危なっかしく見える原因は、2日前、ミャンマー相手に森保ジャパンが示したものと同じだった。サイドの使い方、特にウイングをパスワークに絡ませる方法がうまくないからだ。
【ビルドアップの起点をサイドに】
大岩監督は試合後の会見で「ビルドアップの方法として、サイドで数的優位を作りたい」と述べている。森保一監督より説明が具体的かつ明快で、なるほどと納得させられたが、一方でサイドにおいてA代表と似た症状を抱えていることも確かだ。実際はそこで数的優位を作れていなかった。
サイド、特にライン際はピッチの廊下と言われる。そこで数的優位を作れば縦への推進力は増す。サイドは真ん中に比べてボールを奪われにくいので、そこでの攻防で優位に立つことはボール支配率の上昇に繋がる。ゲームのコントロールを可能にする。さらに、そこでボールを奪われても真ん中に比べ、自軍ゴールまでの距離は遠い。その分リスクは低下する。「サイドを制するものは試合を制する」のである。
日本では「中盤を制するものは試合を制する」のほうが一般に浸透している概念だが、試合の模様をゴール裏からではなく(縦ではなく)、正面スタンド、バックスタンド側から、つまりピッチの横側から見れば、たとえば4−2−3−1の3の両サイドは、サイドアタッカーと言うより中盤選手に見える。
アルゼンチン戦に出場した三戸舜介、山田楓喜(右)、佐藤恵允、松村雄太(左)は、そうした意味では中盤的ではなかった。ビルドアップに絡むことができなかった。ドリブルが得意なウインガーの域を脱し得なかった。もっと内側で、MF然と構えろと言っているのではない。ビルドアップの起点を真ん中ではなく、サイドに寄った場所にずらすべきと言っているのだ。展開の中心は真ん中ではなくサイド。濃いプレー、細かなパスワークを駆使するなら、ボールを奪われやすく奪われると危ない真ん中ではなくサイド。これがアルゼンチンに比べ、日本には浸透していなかった。
「サイドで数的優位を」と言いながら、真ん中中心主義が抜けきれていない。森保ジャパン、大岩ジャパンだけの問題ではない。女子も含めた、日本サッカーの癖。構造的な問題である。
【アルゼンチンとの差は縮まったが...】
記憶に鮮明なのは2004年、アテネ五輪に臨んだアルゼンチンだ。今回、監督としてやってきたハビエル・マスチェラーノがキャプテン格で、監督はマルセロ・ビエルサだった。武器は3−4−3の布陣から仕掛ける"ダブル・ウイング攻撃"で、ウイングバックとウイングが敵陣をえぐりまくる超攻撃的サッカーだった。結果は優勝。対する山本昌邦(現ナショナルチームダイレクター)監督率いる日本はグループリーグ最下位に終わった。
当時の日本とアルゼンチンは、3レベルぐらいの差があった。この20年弱で、日本はその差を2レベルほど詰めたと見るが、サイドに対する概念は変わらず、だ。山本ジャパンの布陣はサイドアタッカーが両サイドに各1人しかいない3−4−1−2だった。同じ3バックでもアルゼンチン型(ビエルサ型)とは天と地ほどの開きがあった。
その名残が20年近く経ったいまでも、伝統として残っている。今回の一戦を見て、あらためてそう感じた。森保ジャパンがちょくちょく披露する3バックは非ビエルサ的だ。4−3−3、4−2−3−1に布陣を変えても、真ん中重視の癖は残る。森保ジャパンの概念を払拭するサッカーを大岩ジャパンはどこまで追求できるか。
それは「中盤はサイドにあり」と言うべき横崩しサッカーだ。マンチェスター・シティで言えば、両ウイングにベルナルド・シルバ(右)とジャック・グリーリッシュ(左)の技巧派ウイングが並ぶと、パスはその周辺で有機的に回る。奪われてもカウンターを浴びにくい場所(自軍ゴールから遠い場所)なので、濃いプレーにトライする余裕が生まれる。
大岩ジャパンはサイドの概念さえ正せば、サッカーの質で森保ジャパンを上回る可能性が出てくる。安定感のある王道を行くビルドアップができる。期待したい。