連載「斎藤佑樹、野球の旅〜ハンカチ王子の告白」第42回

 プロ2年目、オールスターゲームに出場した斎藤佑樹は、京セラドームで中村紀洋(当時、ベイスターズ)にストレートを投げて特大のホームランを打たれ、その次の打席もストレートで勝負を挑んで今度はキャッチャーへのファウルフライに打ちとった。その時、斎藤はストレートの使い方について気づいたことがあると言った。そして後半戦、最初の先発の舞台はオールスターと同じ京セラドーム、相手はバファローズだった。


プロ2年目の夏場以降、長い二軍生活を強いられた斎藤佑樹 photo by Sankei Visual

【栗山監督に告げられた二軍行き】

 あの試合、とにかく意識したのは大胆さを意識しながらストライクゾーンへ投げ込むことでした。ストレートでも変化球でも、まずはストライクをとる。初めからいいところへ決めようとコーナーを狙うと、ボール、ボールとなって、カウントを悪くしてしまいます。そこでストライクを欲しがってしまったら、ろくなことになりません。

 もうひとつ、フォームの話をするなら、投げる直前、トップの位置をつくる時に早く力が入りすぎて、体が浮き上がってしまっていました。そうすると視線も上下にブレるし、思ったところへ投げられない。力まずに、スッとトップがつくれれば、体重もスムースに移動できるし、アウトローにも狙いを定めることができるはずです。その感覚をオールスターでつかんだ感じがあったので、同じ大阪のマウンドで後半戦が始まるのは僕にとってはラッキーでした。

 実際、初回はいいイメージで投げられました。ほとんどがストライクだったと思います(14球のうち、ボールになったのは2球)。ただ、(2番の大引啓次に)ヒットを打たれたあと、ツーアウト一塁から4番の李大浩選手に左中間を破られて1点を先制されます。あの打席、見逃し、空振りの2球で追い込みましたが、3球目がファウル、4球目は真っすぐを外してワンボール、ツーストライク。ここで僕の勝負球を考えたら選択肢は2つありました。

 ストライクゾーンからボールゾーンに落ちるスライダーを振らせるか、あるいはワンバウンドを覚悟でボール球のスライダーを振らせるか。キャッチャーのツルさん(鶴岡慎也)のサインはワンバウンド覚悟のスライダーではなく、ストライクゾーンから逃げていくスライダーでした。結果、スライダーが甘く入ってしまいます。ストライクゾーンでの勝負を優先させたことが裏目に出た形となりました。

 その直後、ファイターズが3点をとって逆転。2点のリードをもらった3回、またも大引さんにヒットを打たれて、初回と同じツーアウト一塁で4番の李大浩選手を迎えます。

 初球、外を狙ったストレートが外れてボールになりました。あとから考えたら、もしかしたらこの時すでに余計な力が入ってしまっていたのかもしれません。せっかくオールスターでうまく力を抜く感じをつかんだのに、打たれたくないと思うと知らず知らずのうちに力が入ってしまう......初球はそんな感じの外れ方でした。

 力を抜いてストライクを投げる、という両立が僕にとっては難しかったんです。開幕直後にはそれができていたのに、暑くなるにつれて疲れも溜まってきて、抑えられていたはずのボールで打たれるようになると、いつしか力が入ってきます。力が入るとボールのキレも失われて、コントロールは乱れました。

 そんな状況でどうしても打たれたくないとなると、さらにきわどいところを狙いすぎて、ボール球が先行してしまいます。そんな悪循環を断ち切るためには、淡々と、力を抜いて、ストライクゾーンに投げることだけに集中しなければなりません。

 でも、力は入ってきちゃいます。

 2点をリードしていたこともあって、勝ちたいという気持ちも出てきますし、ここを抑えればいい流れになるという場面でもありましたから、自信のある球で勝負したかったんです。

 あの頃、僕はスライダーを思うように操れない感じがあって、カウントをとる時に自信を持って投げられませんでした。これだけ力を抜いているのにカウントをとるスライダーのフワッという感じが思い出せなくて、1−1からアウトコースのストレートでカウントをとりにいきます。そのストレートが高く浮いて、李大浩選手の長い腕が伸びきったところに合ってしまいました。これが右中間へのホームランとなって、3−3の同点に追いつかれます。

 そして4回、3連打を許して(53球で)交代......試合後、僕は栗山(英樹)監督に呼ばれて二軍行きを告げられました。その時、監督は「2回、投げてきてくれ」と言ったんです。僕はファームでの2試合、ちゃんと周りを納得させるだけの結果を出してこい、という意味だと受けとりました。もちろん嫌な流れも続いていましたし、気持ちを切り替えなくちゃという気持ちもありました。

【緊張の糸が切れてしまった】

 ファームに行って最初の先発は、暑い夏の鎌ヶ谷でのフューチャーズ戦(8月4日、イースタン・チャレンジマッチ)。5球団で戦うイースタン・リーグの公式戦では当時、出場機会を得られない各球団の若手が集まる混成チームを加えて試合をしていたんですが、それがフューチャーズでした。

 僕はこの試合、プレートの真ん中を踏んでストレートとスライダーをシンプルに、リズムよく投げることをテーマにしていました。それがうまくできて、毎回、3人ずつで抑えます。ストレートは低めに集まっていたし、アウトローのスライダーもうまく振らせることができていました。そのスライダーはカウント球にも使えましたし、相手バッターの懐も積極的に攻めることができました。予定していた5回を、たしかノーヒット、無失点(58球)で投げ終えたんです。

 ところがベンチからの指示で、僕は6回のマウンドへ上がることになりました。ランナーをひとりも出さなかったことで、セットポジションからのピッチングができていないと言われたからです。6回、僕は先頭バッターに対して、セットポジションで投げました。ランナーもいないのにセットで投げるなんて、僕にとっては気持ちよくはないピッチングです。

 こういう状況設定をして投げるのは、緊張感のある一軍の実戦では経験していなくて、その時の僕は苦手でした。それでも抑えればいいだけの話なんですが、情けないことにリズムを崩して連打を浴びてしまいます。6回にヒット5本を打たれて、5失点。5回までは満点だったのに、6回の続投で0点になってしまいました。

 ファームでの2度目の先発は、これまた酷暑の戸田(8月11日、スワローズ戦)です。この試合でそれなりの結果を出せば一軍に上がって、中6日で札幌ドームのマウンドに立つはずでした。

 でも、この日は6回を投げて3失点。どうにも微妙な結果で僕は一軍に呼び戻されることはありませんでした。そのあたりで張り詰めていた緊張の糸が切れてしまったのか、僕は結果を残すことができなくなってしまいます。

 8月は南三陸でイーグルスに打たれて(5回6失点)、鎌ヶ谷に戻ってからスワローズにも打たれます(6回7失点)。9月に入って西武第二球場でライオンズを相手にまあまあのピッチング(5回2失点)をしましたが、一軍の日程に余裕があったこともあってまたも昇格は見送り。

 今度こそという社会人のJX−ENEOS戦(9月13日)では、ランナーを背負いながら(4回までを)無失点で凌ぐも、5回に3ランホームランを打たれてしまいます。結局、6回を投げて(被安打10の)4失点。その日、(ファイターズの)一軍が夜に千葉でマリーンズと戦う日だったこともあって栗山監督が鎌ヶ谷に観に来ていたんですが、監督の期待に応えることはできませんでした。

 じつはこの頃、右肩にイヤな違和感が芽生えていました。まだプロ2年目ですし、夏場になれば疲れもたまってくる、シーズンを投げ抜くというのはこういうことなんだろうなと思いながら、違和感とつきあうつもりでいました。痛いわけじゃないんですが、重だるいというか、次の登板まで疲れがまったく抜けない感じで、そんななか、結果を出そうと、真夏にネットスローを繰り返しました。今となっては、少しムキになっていたのかもしれません。

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 斎藤が開幕投手を務めた2012年のシーズン、ファイターズはリーグ優勝を果たした。優勝が決まる直前にようやく1軍へ戻った斎藤は、優勝決定後、1試合の先発を経て(イーグルスを相手に5回を投げ切れず6失点で負け投手)、一軍の登録メンバーのひとりとしてジャイアンツとの日本シリーズを迎えた。その大舞台で、斎藤は右肩の状態を悪化させてしまうことになる。

(次回へ続く)