「喉から手が出るほど、欲しい――」

高級ジュエリーに、有名ブランドのバッグ。

その輝きは、いつの時代も人を魅了する。

しかし誰もが欲しがるハイブランド品は、昨今かなりの品薄状態だ。

今日もショップの前には「欲しい」女性たちが列をなし、在庫状況に目を光らせている。

人呼んで「ハイブラパトローラー」。

これは、憧れの一級品に心を燃やす女性たちのドラマである。

▶前回:娘を港区の幼稚園に入れたママ。登園初日に目に飛び込んできた、驚愕の光景とは?




専業主婦・理佳子(36)
本当に大切なもの【デルヴォー タンペート】


「ねえ寛太、颯太の小学校も決まったし、これから保護者会とかで使えるバッグが欲しいんだけど」

私はそう言って、4つ年上の開業医の夫・寛太にタブレットの画面を見せた。

表示されているのは、デルヴォーのタンペートだ。

「Vegetal」と呼ばれる気品あるブラウンに、特徴的なスタッズの留め具が映える。

「どれどれ?おお、結構高いね。でも買っちゃいなよ。理佳子は家のことを頑張ってくれているから、プレゼントさせて」

「ありがとう!」

― ああ、寛太が旦那さんで良かった。

プレゼントしてくれるのは、想定済みだった。だから既に、タンペートを探すための店舗巡りを開始していた。

息子の颯太が入学する予定の国立の小学校で、行事に持っていきたい。

その一心で先日、自宅近くの表参道ヒルズに立ち寄った。

その日出合ったのは、欲しい色とは異なるタンペート。持たせてもらうと、軽さとレザーの美しさに魅了された。

店員さんが説明してくれた、「のんびりした海での休日をイメージして作られた」というエピソードが、颯太の小学校受験を終えて自由になった自分の気持ちにぴったりなのも魅力に思えた。

でも、私が欲しい「Vegetal」という色は、人気色だからかどこの店舗にも在庫がないという。

並行輸入品と呼ばれる品がECサイトで売られているが、そちらもすぐに売り切れてしまうそうだ。

― 私は、短期決戦で手に入れたいのよね。

欲しい、と思ったらすぐに手に入れたい性格の私は、お取り寄せを待つなんて向いていないと思う。

かといってデパートで外商をはべらせるつもりもなければ、「プレ値」と呼ばれる割高な専門店での買い物もする気はない。

パトロールでタンペートに出合える強運にかけたい。

私は自分の運を信じている。

颯太のお受験で、国立の小学校の抽選に2校も通ったくらいだから、きっと今回の願いも叶うはずだ。




寛太にタンペートについて相談した次の日、私は颯太を幼稚園に送った足で、再び表参道ヒルズに向かうことにした。

途中でふと目をやったエルメス表参道店には、今日も行列ができている。

もはや幻の品となってしまったレザーグッズの購入を目指して、女たちは思いつめた顔をして並んでいる。

― 毎日並んで何も買えなかったら、あんな表情にもなるわよね。私はああなる前に勝負を決めるわ!

エルメスと同じぐらいの希少アイテムとなってしまったデルヴォーのバッグ。出合える確率はどれぐらいだろうか。

そう思ってデルヴォーの店舗に近づくと、ふと幼稚園のママ友の顔が思い浮かんだ。

― そういえば、香音ちゃんママを前にここで見かけたわ。

生真面目そうな彼女も、バッグを求めてパトロールしていたのかもしれない。

― 一時期は、全身ブランド品で固めてたものね。




香音ちゃんのパパは外銀勤めだ。

私の夫・寛太は開業医だし、私も香音ちゃんママも、お金に余裕のある専業主婦と言えるだろう。

しかし世の中には、特に私たちの住む港区には、信じられないぐらいのお金持ちが住んでいる。

― あのキラキラママたちと仲良くするには、もっともっとお金が必要なのよ。

お金持ちのママ友は、皆優しくて良い人だ。持ち物でマウントすることもなければ、誰かの悪口を言うわけでもない。

それでも輪の中に入るには、湯水のようにお金を使えなくてはならない。

香音ちゃんママは一時期、身の丈に合わないママ友グループに合わせようとするあまり、自分を見失ったように見えた。

― 私は、香音ちゃんママみたいに、あのグループに入ろうとは思えない。

自分の平凡さは、自覚済みだ。

― でも、タンペートだけは欲しいの。

あの美しさとレザーのクオリティーに触れてしまったら、ずっと手元に置いておきたいと思わずにはいられない。

見せびらかしたいとか、誰かに認められたいとか、そんな次元の話ではないのだ。

― ああ、早くこの手に迎えたい。

身の丈に合わない世界に深入りしないためにも、1日でも早くパトロールから卒業できることを願っている。






「寛太、今日もバッグは買えなかったわ」

パトロールを始めて数週間が経った。タンペートには出合えていない。

私は帰宅した寛太に報告しながら、成城石井で買った総菜をテーブルに並べる。

颯太は、先ほど公園の帰りに食べたドーナツでお腹いっぱいになったようで、お風呂に入るとすぐに寝てしまった。

「そんなにレアなバッグなんだ。あれ、ごはん炊けてない?」

寛太は、食事にしか興味がないようだ。

「ごはん?時間なくて炊いてないわ。今からコンビニで買ってこようか?」

「いや、いいよ。明日休診日だから飲んじゃおうかな」

そういって冷蔵庫からビールを出して飲み始めた。

「理佳子、明日ごみの日だっけ?まだまとめてないよね。僕があとでやっておこうか?」

「うん、お願い!私、今ちょっと手が離せないの」

私はスマホを見ながら答えた。

タンペートとはなかなか出合えないが、Instagramでインフルエンサーたちが次々と希望のバッグを購入している。

もうすぐ自分にもそのチャンスが巡ってくるような気がしたり、自分は絶対に買えないのではないかと落ち込んだり、落ち着かない気分だ。

― 明日はGINZA SIXと日本橋も見てみようかな。最近家事する時間も取れないけれど、これも短期間でパトロールを終えるため。仕方がないよね。

「理佳子、来月のヨーロッパの学会なんだけど、1週間ぐらいの日程になりそうで…」

「そうだった!いつからだっけ?」

― 忘れてたわ。寛太の出張中に、パトロールを強化できる!タンペートに出合えますように!

寛太の出張予定をスマホに入力しながら、私は心の中で祈った。




「え、インフルエンザですか?」

寛太がヨーロッパの学会に旅立った翌日。

なんとなく元気のない颯太を病院に連れて行くと、あっさりと診断が下った。

― 解熱してから3日間は幼稚園を休まないといけないじゃない。もし私にうつったらパトロールできない!

「もう!こんなに大事な時に!お受験も終わったし、幼稚園休んでおけばよかった!」

思わず口に出して言うと、赤い顔をした颯太が「ごめんね」と言った。

「…ママこそ大きな声出してごめん。さあ、おうち帰ろう」

帰宅して早々ベッドで眠ってしまった颯太の横に腰かけ、私はECサイトを開く。

― 落ち込むことはないわ。家にいられるおかげで、販売開始時間にサイトにアクセスできる。

Instagramで仕入れた情報によると、ECサイトで並行輸入品の販売があるらしい。

店舗パトロールにこだわってきたが、今日はECサイトでのショッピングに集中するべきだろう。

ページを何度もリフレッシュしながら、販売開始時間を待つ。




― まだ表示されない。画面が切り替わったらすぐに買えるようにしておかなくちゃ。

薄暗い部屋でスマホの画面を食い入るように見つめていると、「うー」と颯太がうなった。

― こんなタイミングで起きちゃうの?勘弁してよ!

ふと颯太を見ると、赤かった顔が真っ白になり、唇から血の気が引いている。

慌ててベッドサイドのライトをつけ、颯太の状態を確認する。

― 息も苦しそう。いつの間にこんなに…。

私は慌ててスマホを握りしめ、子ども急病電話相談の番号をタップした。

― ECサイトなんか見ている場合じゃなかった。私が見ないといけないのは目の前の颯太だったのに。

尋常ではない颯太の様子に、パニックで涙が出そうになる。

― もうタンペートはいらない。だから神様、颯太を助けてください!

「颯太…。しっかりして」

私は電話の向こうのオペレーターに、必死で指示を仰いだ。




そして1週間後。

寛太が、ヨーロッパから帰ってきた。

「ただいまー。あれ、颯太は?っていうか理佳子、昼間からベッドに入ってどうしたの?」

「寛太…。こっち来ちゃダメ!部屋から出て、そこにあるマスクして…」

幸い颯太の病状は大したことはなく、数日後にはすっかり元気になった。

しかし今度は私の番。3日間の潜伏期間を経て、今まさにインフルエンザに苦しんでいる。

世田谷の実家に颯太を預け、1人ベッドで寝ていると、タンペートのことだけを考えていた数週間がばかばかしく思えてきた。

「私、バチが当たったのよ。毎日バッグのことばかり考えて…」

思わず漏らすと、半開きのドアの向こうから寛太の声がする。

「そんなに落ち込むなよ。今の理佳子はちゃんと冷静になれているじゃない。それに、理佳子がいつも家のことをしっかりしてくれるおかげで、僕は仕事に打ち込めるんだよ。

で、お土産があるんだ。ドアの前に置いておくね」

ベッドルームのドアの隙間を覗くと、ベージュの大きな箱が目に飛び込んでくる。

「え、これって…」

震える手で箱を開く。中から現れたのはタンペート ヴェジタル PMサイズ、まさに私がずっと探していたバッグだった。

「ヨーロッパでも品薄だったけど、小さいサイズはまだ手に入りやすいみたいだよ。だからサプライズで買っちゃった」

「寛太ぁ…。このバッグ、一生大切にする!もう高い買い物なんてしない」

「理佳子。モノが欲しいって思う気持ちは自然だし、大切なことだよ。仕事や勉強を頑張る原動力になるし、それを眺めるたびに幸せな気持ちになるじゃない」

寛太の優しい笑い声に、思わず涙が出てしまう。

買えたり買えなかったりで一喜一憂する日々。

それはそれで楽しいのかもしれないが、私にはほかにも大切なことがたくさんある。

「…でも、モノで満たせない幸せがあるっていうことも忘れちゃだめよね」

私は、寛太の大きな愛が詰まったバッグを抱きしめた。

Fin.

▶前回:娘を港区の幼稚園に入れたママ。登園初日に目に飛び込んできた、驚愕の光景とは?

▶1話目はこちら:お目当てのバッグを求め、エルメスを何軒も回る女。その実態とは…